瀬戸内海に浮ぶ、小豆島(香川県)生まれ。
小豆島高校卒、奈良女子大(英文科)を経て、講談社に勤務。
講談社現代新書編集部で3人の文化勲章受章者の作品を担当した。
「タテ社会の人間関係」(中根千枝著)
「風蘭」「月影」「春の雲」「曙」「神々の花園」まで5冊(岡潔著)
「美しい日本の私」(川端康成著)
中でも、数学という知性の深い深淵から、立ち上がってくるような知性の体現者であり、
徹底したヒュ-マニストである岡潔氏からは人生において決定的な影響をうけた。
その後、アメリカのワイオミング州立大学(文化人類学を主とする国際関係学Foreign Studies)に留学。
1974年、奨学金を得てMAを取得。
帰国後、講談社を経て、法政大学院(社会人コ-ス、経営学部)に入学、2003年、MBAを取得した。
1997年頃からHPの「妖怪通信」を発信している。
現在の興味は、世界のお茶、プロジェクト。
世界には食の一環としてさまざまの飲み物(緑茶、コ-ヒ-、紅茶、ココア等)がある。
決して主菜にはならないが、その国固有の飲み物が連綿と続いている。
各国大使館と共催でその国の文化を紹介し、年間1回程度、開催。
なんで「スーちゃん」っていうの、これはよく聞く質問です。
アメリカに行っていた頃、彼らにとってFujiiは発音が難しいのか、
”Hi, Fuji.”(藤井ではなく、これでは藤ですね)と呼ばれるのが常でした.。
そんなとき、知り合った英国人から、節をつけて歌うように呼びかけられました。
♪スージー ムージー フジイ♪
そうだ、スージーになろう。
スーちゃんは、5分と経たないうちに、周りの友人に、
”Please call me Susie”と言って回りましたね。
今でも親しい友人からは「スーちゃん、スージー、スージーさま」と
その場、その場で呼ばれていますさ。
化け物や幽霊の話は、5つ6つの頃、 小豆島でお婆ちゃんから
(彼女は5つしか話の手持ちがなかったのですが)
寝しなに毎晩、聞いたのが発端です。
脳裏にこびりついたこれらの話は、今になっても原稿がすらすらかけちゃうもん、
スージーは3つ子の魂のありかを信じています。
現時点では全国の昔話はど~なっているんだろ、と思いましたね。
それでも、気の向くまま足の向くまま、旅行のついでに一つ二つの昔話を採話する程度でした。
ところが、若い友人が来ていわく「スージー、多くの人が見てくれているデータが出ているよ」。
そこで、これまでのポリシーを守り、熱入れて採話することになったから、も~大変になっちゃった。
ポリシーとは? 現地で実際に民話を聞いて、それを一つずつ文章に書くこと。
現地を踏みもしないで原稿を書くことは出来ますが、
(ここで悪魔の囁き・・・楽だよん、そうしたら。民話の本だってたくさんあるじゃないか)、
いえいえ、わが耳で聞き、わが手で書くことはこのHPの中心です。
時間もコストも掛かる要領の悪さ、しかし何という贅沢さ・・・分かってくださいます?
ある日の電話はこんな具合です。
スー「ご紹介の語り部のじっちゃん、お耳は大丈夫ですか?」
教育委員会「方言がそちらに分かるか心配ですが、耳はよく聞こえますよ」
ははは、こんなことはしょっちゅう。
小豆島はすでに語り部がおりません。
口から出る昔話は、話し手が生きている間が勝負です。
話し手の命とともに話自体が消えてしまう運命です。
実際、全国でも話が消えた地方は多いのです。
話の消失しないうちに集めること、
次世代にこの文化(口承文化)を伝えることのささやかな一助となれば、と願っています。
えっへん。
お暇のある方、このサイトに遊びに来てね。