カマ神様の始まり
昔むかし、ある所に爺[ず]んちゃんと婆[ば]んちゃんが
二人仲良く、住んでだんだと。
銭っこも無くなったな、じゃあ山切り(芝刈り)に行ってくっかなあ、
って爺んちゃんは毎日、山サ行ったんだと。
柴っこに、毎日毎日刈って、山サ重ねておいたんだと。
そして、あらかた一年、焚ぐぐれえ刈ったなあ。
爺んちゃんはね、ほだげっづも、今日も行ってみっかな、
と思って行ったんだと。
柴重ねているそばに、穴っこがあったの。
(次からは全国区の皆様の理解のために、会話のみ方言の注を入れます。)
・・・あれっ、昨日までこれは無かったのになあ、
穴っこというものはいいもんだ、
何が出て来るかな、
と思ったが、蓋して置こうと思った。
何かないかな、と思って、
そばにあった柴の木を穴に入れた。
スルスルスルッと入って行ってしまったんだって。
あれっ、この穴、大きな穴なんだなあ。
また、放り込んだ。
スルスルスルッと入って行った。
あれっ、また入ってしまった。
“さっぱり塞がらないなあ(さっぱり、ふたがらねえちゃ。)”
また、入れたと。
また、入れても、スルスルスルッと入って行く。
いやいや、どうしたことかなあと、思って、
お爺んちゃんも意地になって、
一晩もかかって、切っておいた柴を、残らず詰めた。
“あ~あ、あんなにあったのになあ、
全部、詰めてしまった。
いったい、この穴なんだべや!”
と、思って立っていた。
すると、その穴っこから、
とても可愛らしい(めんこい)お姫さまが出てきた。
「爺んちゃん、爺んちゃん。
さっきだわね、柴いっぱい頂いてありがとうございんした。
あのオ、お礼にね、今夜、夕御飯をご馳走[ごっつお]すっから、
おら家[え]サ、来て下さい(あばいんちゃ。)」
「いやいや、おら家[え]サ、寄ってくれ(あばいんちゃ)たって?」
「いいから、来て下さい(あばいんちゃ)」
と言われた。
可愛い(めんこい)きれいな娘っこに手、引っ張られたからね、
爺んちゃん、悪い気はしなかった。
後について、その穴に入って行った。
何とそこには、立派な御殿みたいな家があった。
門をくぐると、爺んちゃんの柴がきれいに積み重ねられていた。
「さあ、どうぞどうぞ」
と、一番奥の座敷に連れて行かれた。
そこには福の神様のような白髪のお爺んちゃんがいた。
「さっきはどうも。
柴をいっぱい頂いたそうで、有難うござんした。
今夜は、ご馳走[ごっつお]してやっから」
と言った。
爺んちゃんは、
“恥ずかしくて、恥ずかしくて(おしょすくて、おしょすくて)
柴山の、
樵[きこり]の格好した姿だから、こんな立派な家で。”
と、思った。
いろいろな酒や魚が出された。
「さあさ、遠慮なく食べてください
(さあさ、遠慮ずねえで、どうぞ食べられん。)」
爺は、うんと酒っこ飲んで、見たことの無いようなご馳走を食べて、
腹が一杯になった。
・・・家では婆んちゃんが、待っているだろうなあ。
(家では婆っちゃが待ってんべっちゃなあ。)
おいとましようと、礼を言ったら、
福の神様みたいなお爺んちゃんが、言った。
「柴、いっぱい貰ったから、何かお土産やっから・・・
だども、大した物がねえがら、この童子[わらしこ]、
くれてやるから(けでやっから)」
土産というのは、小さな(ちゃっこい)野郎っこでね。
小せえ野郎っこ、
・・・あんまり欲しいこともないような、わらしこだった。(聴衆笑)
やややっとよこされたので、貰って行くかな、
と思った位の子どもだった。
家に帰ると、
「婆んちゃんや、今日こんなことあった」
と、みんな話して聞かせた。
「よかったな、うちには子どもがいないから・・・
(えかった、えかった。おら家[え]にゃ、わらし居ねえからな)」
二人は、その子を大事に育てて、毎日、ご飯を食べさせた。
毎日育てても、その子はさっぱり大きくならなかった。
それに、囲炉裏に当たって、
毎日、へその掃除をしているようだ。
・・・このわらし、へそばかりいじっているなあ、
と爺んちゃんは不思議に思った。
爺んちゃんが、へそにす~っと手を当ててみた。
ヤヤヤ・・・へそから、小判がポロッと落ちてきた。
もう一枚、ポロッと落ちてきた。そして、又!
三枚も小判がね!
「あ~ラララ、宝の子どもを貰ってきたよ
(らずもねえ、宝ワラシ、貰ってきたっちゃな!)」
毎日、3枚ずつ小判が落ちてきた。
爺んちゃん、喜んでな。
金(銭っこ)もいっぱい貯ったし、今日は町へ買物に行くかな、
と言いながら、
爺んちゃんは、出かけて行った。
婆んちゃん、一人、留守しててね。慾たれた人だけど。
爺んちゃんの居ない内に、へそから、もっと金を出そうと、思ってね。
・・・へその穴、大きくしたら、もっとお金がでてくるかな。
へその穴に、火ばしを突っ込んで、
グリグリ、グリグリと大きくした。
わらしこは、コロッと死しんでしまったんだと。
爺んちゃんが町から帰って来てね、
「あ~ラララ、罪もないわらしこに、とんでもないことをする
(らずもねえことをする)!」
そう言いながら、死んでしまったわらしこを弔ったんですね。
ある晩、爺んちゃんの夢枕にそのわらしこが出てきた。
「爺んちゃん爺んちゃん、
おれ、死んだったってね、そんなに悲しむことねえ。
おれに似たメンコ(お面)作って、
かまどの上の柱[はっしゃ]に掛けてください。
そうするといいことがあるからね。
(はっしゃサ、掛けててきらへ、そうすっとえがら)」
と言うのである。
夢だけど、爺んちゃんは、一生懸命になって、
ヒョウトク(わらしの名)に似た可愛いメンコを掘って、
竈[かまど]の上に掛けておいた。
そうしたらね、身上[しんしょう]が、うんと上がってきて、
マンマンと暮らしたということだ。
これが、カマ神様の始まりで、
「ひょうとく」というのが、だんだん「ひょっとこ」と呼ばれる
ようになって、ひょっとこの面になったわけだ。
ねまりこの宿(宮城県鳴子町)
70歳を越えて自立し、仕事や社会活動に
生き生きとチャレンジしている高齢者を讃える
読売新聞社主催の第5回「ニューエルダー・シチズン」大賞
を受賞した(2005年8月23日)。
これは、応募総数333人のトップに輝いたもので、
東京の読売新聞社に招かれて、
日野原重明氏から賞状を貰った(2000年8月5日)。
伊藤さんは、母堂よしのさんや
祖母よふさん(共に宮城県登米郡出身)から
農作業の合間に聞いた昔話を、
もう30年以上も幼稚園、保育所や公民館等、
人前で語り継いできた実績が認められたものだ。
祖母は300話を記憶していて、
その語りが母親から伊藤さんに伝えられたという。
「宮城民話の学校」主催の、
畳敷きの広い広い宴会場で語りかける趣向だった。
伊藤さんのみずみずしい声は、
すみずみまで、よく響いた。
語り部の条件の一つは、
最後尾の聞き手にまで透る、明瞭な声かもしれない。
さて、カマ神のこと。
ガスやコンロになった今風の台所風景からは、
想像できないおそれがあるが、
炊事用のかまど(=へっつい、関西ではおくどさんと呼んだ)は
土間の台所の主役であった。
火を起こして、ここで煮炊きをして三度三度、
家族に食事を作る装置として。
火を扱うために、かまどの後ろの柱には、
火難からその家を守る火の神様の絵入りの
「火の用心」と書いた引き札が貼られていた。
神社で買ったり、富山の薬売りのサービス
として貰ったものだったか。
これは、関西の体験であるが、
話り部の登米市(宮城県北部)や、
岩手県南部では、竈[かまど]神は、
カマ神と呼び、カマ神様は、
太い柱にすすけて飾られた黒い顔の面であった。
この面のそばには、しめ縄が張っている家もあったそうだ。
このカマ神は、単に火災事故から財産を
守ってくれるばかりではなく、
盗難や厄除けも一手に引き受けてくれる神様でもあった。
いわばその家の守護神である。
現存するのは、藩政時代から昭和初期のものという。
家を新築する時に関わった大工や左官が土製の面をつくってプレゼントした。
家の守護神として、にらみを利かすという意味があった。
カマ神の異様な面は、全国広しといえども、
宮城県北部登米市や岩手県南部にしかない。
かまどが撤去された生活様式では、
この面も博物館に保存されている20面が、
宮城県の有形民俗文化財となっているに過ぎない、という。
本編は、この有難いカマ神のいわれ、
出自を語ったものである。
引き札を拝む習慣は記憶に全くないが、
東北では写真のようなカマ神さまを、拝んだのだろうか。
まつり方は、家庭によって違うとしても、
朝、少量の水やご飯を供えたりしたのだろうか。
民俗学では、ひょうとくは、異界
(地下にあるという水の世界で、富や幸運の源泉)から、
この世に連れてきたわらしこという説である。
水界とこの世との媒介者が、“ひょうとく”というわけだ。
竈[かまど]は、水界の入口とも目され、
カマ神(一般には竈神)をまつるという。
この醜く汚いわらしこが、
実は福の神であったという話は、「醜いアヒルの子」が
美しい白鳥になる話を思い出す。
汚い異形の子どもが、実は、
大きな存在であることに否応なく注目させる、
民話の手法であろうか。
人口に膾炙[かいしゃ]している言葉として、
竈を起こす(=生活が良くなる)、
竈が賑わう(=財産を増やす)とか、
竈が消える(=財産を失う)があるが、
ことばの背景を知れば、含蓄のある日本語である。