古寺の化物
昔むかしね、深い深い山の中でね、古いお寺、あったんだと。
落ちぶれた(うつぶれた)お寺で、
和尚さんもさっぱりいつかねえ古いお寺で、
本堂も外から見えるような幽霊の出るようなお寺だったと。
(次からは全国区の皆様の理解のために、
会話のみ方言の注を入れます。)
あるとき六部が、背中に観音様をしょって、
前に鐘を抱えてやってきた。
カーン、カーンと鐘を叩きながら、
観音様を拝んで、村々を回っていた。
庄屋さんの所に来ると、六部は、
「何だべや、あそこの寺に、和尚さん居ね~のスかあ?」
と聞いた。
庄屋「な~に、あのお寺サ、和尚、何ぼ入っても、
次の朝には居なくなるのだから、あのようになっているんだろうな
(次の朝なると、居ねくなるウんだから、
あのようになっているんだべな。)」
と話した。
六部「おれ、一晩泊まってみるから、
お寺に泊めて貰えないだろうかね?
(おれとこ、お寺さん泊めて、けるべかねえ?)」
と頼んだ。
庄屋「お寺サ泊まると、明日の朝、居ねくなるから・・・
泊まることはいいですども、行ったってだめだよ」
六部「どんな所だか、一晩入ってみるか。
お寺に泊めてください
(な、なんしょだか、おれ、一晩泊まってみるか。
おれとこ、お寺サ泊めてけらえン。)」
と熱心に頼んだ。
「そんなに希望するのなら、泊まったらいい。
明日の朝、村の人を集めて、行くから、
それまで、元気で居るようにな
(ああ、そんなに希望するこたら、泊まったらよかべや。
明日の朝、おれア、村の人集めて、お寺サいってみるか。
それまで元気で居ろいん)」
六部は、その落ちぶれた(うすぼれ)寺に泊まった。
夜中までは、何も変わったことが無かった。
真夜中になるとね、遠くから、寺の後ろの方から、
歌うものがやってきた。
♪でっかばっか、鼻一つ。後ろ[うしよ]にまなぐ二つある。
タ~ンコロリ、タンコロリ♪
♪でっかばっか、鼻一つ。後ろ[うしよ]にまなぐ二つある。
タ~ンコロリ、タンコロリ♪
“何だ! おかしねえもの来るなア、
化物だな、やっぱりな!”
六部が待ちかまえていると、まなぐ(目)の黒い、
けだものみたいな化物が近づいてきた。
六部の右後から
♪でっかばっか♪
と来たとき、六部は、錫杖[しゃくじょう]に仕込んでいた刀を手に、
スパーッと切りつけた。
その化物は、
♪でっかばっか、でっかばっか、
でっかばっか、でっかばっか♪
と、言いながら、サーッとお寺の裏に逃げていった。
翌朝、庄屋さんは、
“今ごろは、六部は、死んでしまって、居なくなっただろうな
(居ねくなったべな!)”
と、心配しながら、村の人達とやってきた。
六部は元気だった。
庄屋「あ~あ、六部さん、何もなかったんスか?」
六部「うん、何もねえども、夕べな、何かおかしなものが来た
(何だかおかしねえもの、来た。)」
そして、説明した。
・・・刀で切りつけると、
♪でっかばっか、でっかばっか、
でっかばっか、でっかばっか♪
って、山の方に逃げて行った。
みんなで、そのおかしな物を探しにでかけた。
ボッタラ、ボッタラと落ちている血の跡を辿って、ズウ~ッと、
お寺の裏の方に行ってみた。
すると、おそろしげな古タヌキが二つに切られて、
死んでいた。
ややや、大きな下駄の化物になっているぞ。
そこには、今までに食われた
和尚さんの骨がいっぱい、散らかっていた。
■ 楳原さんのコメント・・・
だから、古い下駄でも大事にせよ、
タヌキの化物になって出て来るから、
大事にするようになあ、と教えられたものです。
会場は、ねまりこの宿(宮城県鳴子町)
(栗原市、石巻市)
本編は、楳原さんが4歳の頃、
父親の知人から聞いた昔話だそうである。
これは、古下駄の恨みを描いた、実に奥深い昔話である。
物を大事にすることを叩きこまれた戦前の日本人には、
「もったいない」精神で暮らすことは当り前であった。
戦後育ちの人間にも、残滓は残っている。
鉛筆一本、消しゴム一個も、
ちびて使えなくなるまで、大切に使った。
ものを大事に使うという暮らしかたは、
現代の20~30代の若い世代には、異文化と映るだろう。
物は、金さえあれば、買って新しいのに取り替えればいい・・・
ちびたものなんて、使うのヤだから、捨てればいい。
親や年寄りは、眉をひそめながらも、
これが大勢ではないか。
ここへ来て、ケニヤの環境副大臣ウンガリ・マータイ女史
(2003、ノーベル平和賞受賞)が来日したときに、
日本の“もったいない”精神に賛同し、突如、
この古くからの日本独自の言葉“もったいない”が、
流行語のMOTTAINAIになったことは、記憶に新しい。
付随して、環境省が音頭を取ったクールビズ・ファッションと
風呂敷が、一躍、脚光を浴びた。
なぜ、日本には“もったいない”という
言葉や精神があるのか?
道具をほったらかして、使い捨てにするとどうも良くないらしい、
というホノ暗い思いが
意識の底に残るのは、なぜなのか?
これをすっきりと解いてくれたのが、
次の付喪神(つくもがみ)の由来である。
室町時代中期の「付喪神記」は、下記のように書いている。
古道具の恨みとは、次のようである。
・・・洛中洛外の家々から放り出される古道具は、
集まって来て、恨みを口ぐちに言う。
長年、家具として忠実に仕えて来たのに、
恩賞にもあずかれない身の上だ。
おまけに路上に打ち捨てられて、牛馬のひずめに踏まれている。
これは、我慢の限界を越えることだ。
化物になって、恨みを晴らすぞ。
(室町時代の「付喪神記」より)
また、付喪のいわれは、このようである。
・・・古道具は、百年を経ると化物になる。
化物になったものは、人の心をたぶらかすが、
これを付喪神と呼ぶ。
百に一画足らぬ字は、白であり、
九十九[つくも]は同じく百に一年足らないことである。
老人の白髪を指して、九十九髪[つくもがみ]と言った。
つまり付喪神は、老人のように年を経たことを表現している。
対策というのもヘンだが、
「立春の前に、古道具を路上に捨てて、すす払いをする」とよい。
百年になると化けるので、その前に捨てよ、
と書かれている。
しかし・・・と、想いますね。
彼らに、自力で化けるほどの実力があるのだろうか?
たかが古くなった家具や仏具ではないか。
何か魔物や妖しい鬼神が、
恨みでいっぱいになった化物の古道具を
あやつっているのだろうか?
古道具達は、生きるも死ぬも大変なのである。
我々に伝統的な“もったいない”精神が、
実に室町時代から連綿と続いていたことを知り、
スーも一瞬、悠久な思いに浸たった。