蟹[かに]の恩返し
●鬼首[おにこうべ]のこと
鬼首とは、実に興味のある地名であるが、やはり由来があった。
1880年もの昔、坂上田村麻呂が蝦夷の大将大竹丸を捕らえて、斬首したことに由来する。当時、人々から鬼と呼ばれていた大竹丸の首は、天空を駆け抜けて、鬼首の地へ飛び、ものすごい形相で岩に噛みつき、無念の声をあげて息絶えた。
この岩も今は、荒雄湖の水中に没したという。
鬼首は鳴子町内の地区だが、鳴子町は合併して大崎市になった(平成18年3月)。また、鬼首は奥羽山脈中の陥没盆地で、中央に荒雄岳(標高995m、コニーデ型火山)がある。
宮城県JR古川駅~JR鳴子温泉駅間(JR陸羽東線、普通)の所用時間は46分。
鳴子町営バスに乗り換えて、23分。
鳴子峡の紅葉の美しいピークと重なり、起点の鳴子温泉駅は大型観光バスがひしめき、人混みでごった返していた。すかすかの鬼首に向かうバスに乗る。鳴子町を貫通する荒雄川に沿って、くねくねと曲がりながら進む。途中の(鳴子ダムによる)人造湖、荒雄湖を取り囲むような紅葉のじゅうたんは、すでに水面まで降りてきて、つるりとした水面に映えて美しい。
次の話は、もう少しで97歳を迎える満96歳の、遊佐かのえさんが語ってくれた昔話である。思い出し思い出ししながら、話の筋を辿る記憶はしっかりしたものだった。
昔、あるところサ、きれいな娘がいた。
自分の家の前に、川っコあって、毎日、米をとぐんだと。その時、蟹っこが集まって来るんだと。
いい娘で、蟹に米を食[か]せたんだと。
(婆ちゃんの方言はそう強くはないのですが、目で文字を追う容易さを考慮して、次からは、会話のみ方言を入れます。)
やがて、毎晩のように、
どこからかいい男が、娘の所に通ってくるようになった。
まず母親が気がついて、娘にたずねた。
「あんたの所に、毎晩のように男が通って来るが、
どういう人だ?
(おめえの所サ、しょっちゅう男が通って来るようだが、何たら男だや?)」
「いい男なんだ」
「おめえ、好きなのか?」
「うん」
「ふうん、それでどんな着物を着ている?
(何たら着物、着て来る?)」
「縦縞の着物、着ているんだ」
母親は何ともいえない不審感に襲われた。
娘に、太い針に麻糸を通して、男の着物に刺してみよ、
と言った。
翌朝、娘は、糸を辿ってずっとずっと歩いて行った。
山に行くと、穴の中から、
う~ん、う~んとうなる声が聞こえてきた。
そこには、大きなヘビがいたから、娘はびっくり仰天。
針はヘビには、毒だったんだな。(と、婆ちゃん。)
娘は叫んだ。
「私を(おれどこ)今までよくも騙したな。
罰なんだから早く、くたばってしまえ。」
そいつは、にくにくしげに言った。
「おれ一人で死ぬの嫌だ。おまえも道連れにするぞ
(おればり死んでらんないから、おまえも連れてかなくちゃなんねえ。)」
それを耳にすると、
娘はぶっ倒れそうになり、とにかく逃げようと思った。
そいつは、すぐに正体を現して、とぐろを巻いた。
娘をどんどん追いかけてきた。
川まで来て、もう少しで追いつかれそうになったとき、
いつも米を食わせていた蟹が、川一面に出てきた。
はさみを振り挙げると、ヘビをパチパチ、パチパチと挟み切った。
蟹はヘビを殺したので、娘は助かったという話だ。
遊佐かのえさんは、大場さんの母上である。
スーは、宮城県内の民話の会で、
大場さんと知り合った。その時に
「私の母親は、家に毎日のように遊びに来るが、
昔話を知っている」
と耳寄りな話を聞いた。
お年を聞くと、95歳という。
「早い方がいいよね」と、
二人は相談して、それから一年後の、
2006年の夏の暑い頃にお話を聞くことになっていたが、
結局、夏も過ぎ、晩秋の10月末96歳の折りに実現した。
かのえ婆ちゃんは、足が少し痛むようで、
外出時には車椅子に乗っているが、
村内なら何処へでも自由に行ける。
部屋の中ではつかまらないで、自分の足で歩く。
これはすごいことだ。
何よりも頭がしっかりしている。
雑談していて、ネコ化けの妖しい話になった。ハハハ。
婆ちゃんは、
「追われたネコが部屋の天井をツツッと飛んだよ。
開いている窓から、パーッと外に飛んで逃げた。
おら見たもん」
などと、不思議な話を聞かせてくれた。
又聞きでない、一次情報なのがすごいでしょ。
100年近い年月を体験すると、人間、
様々な体験は、それぞれ頭の中に、
いつもそっと息づいているのだろうか。
“50、60は、鼻垂れ小僧”という言い方があるが、
こういう年輪を「100歳の重み、“存在の絶え難い重み”」
とでも言うのかな。
婆ちゃんには、ひしひしとこちらに向かって来る、
圧倒的なパワーがある。
だから、婆ちゃんが
「この娘、パンツ履いていなかったんだよ」
と言っても、ヘンな雑念は湧かないのネ。
娘が川で米をといでいるときに、
きっと近くで、ヘビが見ていたのだ、と婆ちゃんは、
言外で言っているのだ。
民話にもきわどい話があるが、
婆ちゃんのように枯れきった女性の口から出ると
・・・彼女は、純粋に人間そのものなので・・・
エロチシズムは墨絵のように無彩色な、
すっきりした風景になる。