田沢湖の爺[じじ]石、ばば石物語
田沢湖は水深423.4m、日本一深い湖である。
東西南北いずれも約6km、ほぼ円形をなし、
田沢湖ブルーと呼ばれる濃紺の湖面を
静かに横たえている。
ここには、由来伝説として有名な
「辰子姫伝説」がある。
佐藤忠冶氏「辰子姫の伝説なば、
本にも出ているし、誰でも知っている。
ここへ来なくば聞かせられねえ話、
聞きたいか?」
「うん。聞きたいよ」
と、スーちゃんは元気よく答えました。
辰子姫の父母が、本編の「じじ石、ばば石」
の主人公なので、
前段となる辰子姫伝説のあらすじを
ざっと述べてみよう。
田沢湖町院内の神成沢[かんなりさわ]という
所に住む阿部三乃丞の娘に生まれた辰子は、
絶世の美女であった。
若くて美しい今の自分のまま、
永遠の命を授かりたいと祈念して、
院内嶽の麓の大蔵山観音に
百日の願をかけた。
満願の日、“泉の水を探せ”と神意がくだった。
そんなある日、
友達と山菜を採りに山中に分け入った辰子は
激しい喉の渇きを覚え、
一人岩間の湧き水を求めてさまよった。
岩清水を見つけた彼女は、
喉の渇きに身悶えしながらその水を飲んだ。
不思議なことに飲んでも飲んでも喉はいやされない。
ふと水面に写った自分の姿は、もはや人間ではなく、
恐ろしい竜に変わっていた。
雷鳴と激しい雨で背後の山は二つに裂け、
押し流された山水は湖となって広がっていった。
竜になった彼女は目のまえの湖に静かに入って行った。
辰子が田沢湖の主になってから、神成沢に住む阿部三乃丞の近くには、
クニマスやカタ雑魚[ざっこ]が来るようになって、
父親と母親は急に暮し向きがよくなった。
辰子は母親が40歳になって出来た子供なので、
15、6歳になったときには、母親は55、6歳、父親は60過ぎになっていた。
いい爺んじ、婆んばになっていたわけだ。
冬になって二人でママ食っていた時、婆んばがぽつんと言った。
「爺さ、こういうとき辰子いればなあ」
「んだ、辰子居れば、なんぼかよかったんだがなあ」
二人は押し黙っていたが、爺さ、急にこんなことを言い出した。
「婆んば、辰子だって大蔵サの観音様サ願い事して、田沢湖の主になった。
今度ア、オラの言うことを聞いて、辰子を戻して貰おう」
「出来るべか? 爺さ」
「(辰子の言うことを聞いてくれたから、今度は)オラの言うこと、
聞いてくれるべしや」
そういうことになったわけだ。
今は冬だからどうにもならない、
雪の消える春を待って観音様にお参りすることにした。
春が来てお参りし、二人して、“何とか辰子を戻してけれ”と、祈った。
待っても待っても、観音様から何も音沙汰が無い。
“こいなば、一回ぐれえでは駄目だ。やっぱり願[がん]かけねば”
そして、思った。
“辰子は百日の願、かけたども、オラ、年寄りなんてや、
21日の願、かけるんてや、何とか辰子を戻してけえろ
(自分は年寄りだから、21日の願をかけるから何とか...)”
願をかけて一週間経ったとき、観音様の声が聞こえた。
「爺さ、婆んば、おめ等の願いはかなうことはにゃ~。
辰子は願い事して田沢湖の主になった。
何として、おみゃ~等に戻すツーこと出来るべしや。
おめ等の願い事は、駄目だ、駄目だ」
爺じ「だども観音様、
辰子の願い事聞いて、オラだの願いを聞かねえことねえべ」
観音「いやいや、辰子はな、自分から望んでやったことで、
観音が連れて行ったのではない。あれは天からの声で行ったのだ。
おめ等もそこのとこ、よく考えて見ろ。
オレは、取り次ぎをしただけなんだ」
爺じ「オラだって願い事してる。又来るんてが(又参ります)」
二週間経ってお参りすると、観音はこう言われたわけだな。
「おめ等、世の中には、かなわねえ出来ねえこともある。
だが、本当に辰子を戻して貰いたいなば、
容易でないことだとよく腹に入れて、そいで願かけよ」
それで三週間、通ったわけだ。
満願の21日目、拝んでいたら観音の声あって、
「おめ等の願いは聞き届けてやる。だども、でっかく覚悟してかかれよ。
いいか」
あとに続く言葉を聞いて、二人はどてんした。
「これから田沢湖の水さ、入れ。そうして、辰子と一緒に暮らせ」
何とか、家に辰子を戻して貰って、家で一緒に暮らしたい、
と二人は重ねて頼んだが観音は、
「いや、辰子と暮らすにはそれしかない。
それで駄目なのなら、おめ等、この願いは無かったことにする。
今の内にはっきり決めよ」
二人は家に帰っても、
「これなば大変だぞ、何として田沢湖さ行って、水にはいるってが」
と、思案投げ首。
「どうするべ、婆んば」 「何とする爺さ」
二人して、なんぼしても決まらないわけだ。
また観音の声がした。
「おめ等、この家から戻って、
払川渡って仁王門くぐるまでに心、きめてかかれ。
決められねえようだと、おめ等はとんでもない罰当りだ。
結論ださねば駄目だぞ」。
二人してとうとう払川まで来ても
「どうする爺さ」 「どうする婆んば」
というばかり。
“辰子、家さ戻ってくればいいなあ”
と、話している内に、仁王門をくぐってしまった。
そのとき・・・
婆んばがふと横を見ると、美しい花が咲いているのを見た。
婆んば“ああ、この花っこ、辰子の枯れ墓さ、上げてけるか”と、
花をもぎ取ろうとして手を延ばした瞬間、
婆んばの身体はその姿のまま、石になってしまった。
爺さまは、どてんして、
「婆んば、どこだで~(どこに居る)?」
って走って行くと、
爺さもそのまま、石になってしまった。
人間には、かなわない望みをしたので、こうなったんだと
村の人達がいうようになった。
三之丞の家は、跡取りが居なくなってしまったんだと。
佐藤さんの先導運転で、
辰子の生家跡に案内して頂きました。
秋田杉の山並が重なり、
まるで山が山を抱くような所でした。
ここ、田沢湖町の山寄りの田圃には、
はるかまで緑の稲苗が見渡せ、
畔の桜が今を盛りの満開・・・
なんという潤いのある日本の原風景、
日本的リリシズムでしょうか。
今にも、えぼしを被った直垂[ひたたれ]姿の村おさ、
粗末なもめんの筒袖姿の里人に会えるかと
思えるほどのどかでした。
スーちゃんは、ふと「かぐや姫」の村里、
「泣いた赤鬼」の山里を想い起こすのでした。
“辰子の里”は、観光化していない分、
何百年たっても往時の面影をたっぷり残しているのでしょう。
観光という美名のもとで、
観光地が消費されて行く例も多いのです。
田沢湖には辰子伝説があり、
秋田県内の三大湖の他の二つ、
十和田湖と八郎にもそれぞれ由来伝説があります。
八郎潟の八幡太郎と辰子は、 蛇体どうし恋人になったし、
十和田湖の覇権をめぐって
八幡太郎と南祖坊の死闘などです。
機会があれば現地へ行って取材したいと思いますよ。
大きい方が阿部三之丞夫婦、
右の小さいのが辰子の墓と伝えられている。