田沢湖の爺[じじ]石、ばば石物語

(秋田県)
田沢湖 写真
秋の田沢湖
(田沢湖町、藤原健氏撮影
田沢湖町観光商工課提供)
辰子像(西木村) 写真
辰子像(西木村)
田沢湖は田沢湖町と西木村にまたがっているが、西木村側の湖畔に立つ辰子の著名なブロンズ像。群れる観光客がしきりにシャッターを切っていた。製作/舟越保武/昭和43年4月12日除幕。

田沢湖は水深423.4m、日本一深い湖である。
東西南北いずれも約6km、ほぼ円形をなし、
田沢湖ブルーと呼ばれる濃紺の湖面を
静かに横たえている。
ここには、由来伝説として有名な
「辰子姫伝説」がある。

佐藤忠冶氏「辰子姫の伝説なば、
本にも出ているし、誰でも知っている。
ここへ来なくば聞かせられねえ話、
聞きたいか?」

「うん。聞きたいよ」

と、スーちゃんは元気よく答えました。

辰子姫の父母が、本編の「じじ石、ばば石」
の主人公なので、
前段となる辰子姫伝説のあらすじを
ざっと述べてみよう。

田沢湖町院内の神成沢[かんなりさわ]という
所に住む阿部三乃丞の娘に生まれた辰子は、
絶世の美女であった。
若くて美しい今の自分のまま、
永遠の命を授かりたいと祈念して、
院内嶽の麓の大蔵山観音に
百日の願をかけた。

満願の日、“泉の水を探せ”と神意がくだった。

そんなある日、
友達と山菜を採りに山中に分け入った辰子は
激しい喉の渇きを覚え、
一人岩間の湧き水を求めてさまよった。
岩清水を見つけた彼女は、
喉の渇きに身悶えしながらその水を飲んだ。

不思議なことに飲んでも飲んでも喉はいやされない。

ふと水面に写った自分の姿は、もはや人間ではなく、
恐ろしい竜に変わっていた。
雷鳴と激しい雨で背後の山は二つに裂け、
押し流された山水は湖となって広がっていった。
竜になった彼女は目のまえの湖に静かに入って行った。

辰子が田沢湖の主になってから、神成沢に住む阿部三乃丞の近くには、
クニマスやカタ雑魚[ざっこ]が来るようになって、
父親と母親は急に暮し向きがよくなった。

辰子は母親が40歳になって出来た子供なので、
15、6歳になったときには、母親は55、6歳、父親は60過ぎになっていた。
いい爺んじ、婆んばになっていたわけだ。

冬になって二人でママ食っていた時、婆んばがぽつんと言った。

「爺さ、こういうとき辰子いればなあ」

「んだ、辰子居れば、なんぼかよかったんだがなあ」

二人は押し黙っていたが、爺さ、急にこんなことを言い出した。

「婆んば、辰子だって大蔵サの観音様サ願い事して、田沢湖の主になった。
今度ア、オラの言うことを聞いて、辰子を戻して貰おう」

「出来るべか? 爺さ」

(辰子の言うことを聞いてくれたから、今度は)オラの言うこと、
聞いてくれるべしや」

そういうことになったわけだ。
今は冬だからどうにもならない、
雪の消える春を待って観音様にお参りすることにした。

春が来てお参りし、二人して、“何とか辰子を戻してけれ”と、祈った。
待っても待っても、観音様から何も音沙汰が無い。

“こいなば、一回ぐれえでは駄目だ。やっぱり願[がん]かけねば”

そして、思った。

“辰子は百日の願、かけたども、オラ、年寄りなんてや、
21日の願、かけるんてや、何とか辰子を戻してけえろ
(自分は年寄りだから、21日の願をかけるから何とか...)

願をかけて一週間経ったとき、観音様の声が聞こえた。

「爺さ、婆んば、おめ等の願いはかなうことはにゃ~。
辰子は願い事して田沢湖の主になった。
何として、おみゃ~等に戻すツーこと出来るべしや。
おめ等の願い事は、駄目だ、駄目だ」

爺じ「だども観音様、
辰子の願い事聞いて、オラだの願いを聞かねえことねえべ」

観音「いやいや、辰子はな、自分から望んでやったことで、
観音が連れて行ったのではない。あれは天からの声で行ったのだ。
おめ等もそこのとこ、よく考えて見ろ。
オレは、取り次ぎをしただけなんだ」

爺じ「オラだって願い事してる。又来るんてが(又参ります)

二週間経ってお参りすると、観音はこう言われたわけだな。

「おめ等、世の中には、かなわねえ出来ねえこともある。
だが、本当に辰子を戻して貰いたいなば、
容易でないことだとよく腹に入れて、そいで願かけよ」

それで三週間、通ったわけだ。

満願の21日目、拝んでいたら観音の声あって、

「おめ等の願いは聞き届けてやる。だども、でっかく覚悟してかかれよ。
いいか」

あとに続く言葉を聞いて、二人はどてんした。

「これから田沢湖の水さ、入れ。そうして、辰子と一緒に暮らせ」

何とか、家に辰子を戻して貰って、家で一緒に暮らしたい、
と二人は重ねて頼んだが観音は、

「いや、辰子と暮らすにはそれしかない。
それで駄目なのなら、おめ等、この願いは無かったことにする。
今の内にはっきり決めよ」

二人は家に帰っても、

「これなば大変だぞ、何として田沢湖さ行って、水にはいるってが」

と、思案投げ首。

「どうするべ、婆んば」 「何とする爺さ」

二人して、なんぼしても決まらないわけだ。

また観音の声がした。

「おめ等、この家から戻って、
払川渡って仁王門くぐるまでに心、きめてかかれ。
決められねえようだと、おめ等はとんでもない罰当りだ。
結論ださねば駄目だぞ」。

二人してとうとう払川まで来ても

「どうする爺さ」 「どうする婆んば」

というばかり。

“辰子、家さ戻ってくればいいなあ”

と、話している内に、仁王門をくぐってしまった。

そのとき・・・
婆んばがふと横を見ると、美しい花が咲いているのを見た。
婆んば“ああ、この花っこ、辰子の枯れ墓さ、上げてけるか”と、
花をもぎ取ろうとして手を延ばした瞬間、
婆んばの身体はその姿のまま、石になってしまった。
爺さまは、どてんして、

「婆んば、どこだで~(どこに居る)?」

って走って行くと、
爺さもそのまま、石になってしまった。

人間には、かなわない望みをしたので、こうなったんだと
村の人達がいうようになった。
三之丞の家は、跡取りが居なくなってしまったんだと。

はい、とっぴんぱらりのプー
辰子像(御座石神社境内)写真
辰子像(御座石神社境内)
湖畔に4体ある像の中で唯一、下半身が竜の形をしている。

スーちゃんのコメント



【語り部】 佐藤忠冶氏(1928年1月3日生まれ)
【取材日】 2003年4月27日
【場 所】 田沢湖町立公民館
【取 材】 藤井和子、黒沢せいこ氏(横手市)
【方言指導】 佐々木一生氏(秋田県東京事務所)

佐藤忠冶氏写真
佐藤忠冶氏

佐藤さんの先導運転で、
辰子の生家跡に案内して頂きました。
秋田杉の山並が重なり、
まるで山が山を抱くような所でした。
ここ、田沢湖町の山寄りの田圃には、
はるかまで緑の稲苗が見渡せ、
畔の桜が今を盛りの満開・・・
なんという潤いのある日本の原風景、
日本的リリシズムでしょうか。

今にも、えぼしを被った直垂[ひたたれ]姿の村おさ、
粗末なもめんの筒袖姿の里人に会えるかと
思えるほどのどかでした。
スーちゃんは、ふと「かぐや姫」の村里、
「泣いた赤鬼」の山里を想い起こすのでした。

“辰子の里”は、観光化していない分、
何百年たっても往時の面影をたっぷり残しているのでしょう。
観光という美名のもとで、
観光地が消費されて行く例も多いのです。

田沢湖には辰子伝説があり、
秋田県内の三大湖の他の二つ、
十和田湖と八郎にもそれぞれ由来伝説があります。
八郎潟の八幡太郎と辰子は、 蛇体どうし恋人になったし、
十和田湖の覇権をめぐって
八幡太郎と南祖坊の死闘などです。
機会があれば現地へ行って取材したいと思いますよ。

辰子の生家跡写真
辰子の生家跡 (神成沢)
辰子親子の墓 写真
辰子親子の墓 (神成沢)
田んぼと林に囲まれた村里の一角にある苔むした墓。
大きい方が阿部三之丞夫婦、
右の小さいのが辰子の墓と伝えられている。