婿[むこ]の初夢
秋田県東成瀬村は、横手市から南へ車で下ること40分。人口3,300人。
山一つ越せば、東は岩手県という位置にある。
周りを山に囲まれた田園風景が広がり、
紅葉の美しい国定公園栗駒山を擁する。
8月、旧盆過ぎなのにここでは、
すでに一陣の涼風がすきま風のように通り過ぎる。
厳冬の積雪は2m、そのころは村中がすっぽり雪の中に埋まる。
豪雪の村をささえる60,70台のおかあさん達を集めて、
8年かかって「東成瀬村の昔こ」に着眼して、
見事に掘り起こしたのが公民館主事の谷藤広子さん。
生粋の東成瀬村っ子である。
おかあさん達の語り口は、
子どもの頃に耳から聞いて育った人に特有の自然さがある。
てらいや飾り気がなく、のびやかである。
東京のスーパーに並ぶ「桃太郎」、トマトのことですよ、はこの村の特産品。
寒暖の差はトマト本来の旨味を引きだすという。
おかあさん達の作ったトマトを買っては、
一人、一人の顔を思い浮かべて味わっている。
昔、むかしある所にオト(父親)とアバ(母親)、
娘と入り婿[むこ]と4人居たんだと。
元日の朝ま(朝)に、むこはあちこちの神様、拝んでいたけど。
「あや~、何をがヒャ-、神様拝むんだ
(あれ、何で神様を拝んでいるんだ?)」
と聞くと、
・・・いい夢見たんだ、
と笑います。
「そう良い夢なば、なに夢か聞かへろ
(そんなにいい夢なら、
どんな夢か聞かせてくれ)」
と聞くと、
・・・絶対に聞かせられない、
と言うばかり。
「なったことしたって聞かへられねが?
酒っこいっぺ買って飲まへるし・・・
(どうしても聞かせてくれないか? 酒をいっぱい買ってきて飲ませるよ)」
どうしても言いたくない、
と頑固につっぱねました。
オトとアバは次第にハラを立てました。
「そうヒャ-、おら家[え]さ、むこになってきて、
聞かせられねようだことあるなら、おめえこと島流しかける、だ!
(そんならね、この家にむこに来て、聞かせてくれないなんて、島流しにするぞ)」
むこは、それでもいいから言わないと頑張りました。
しうと等は、大工を呼んで、むこを入れる箱をこしらえてもらい、
川に流してしまいました。
箱はどんぶら、どんぶら流れて、
やがて鬼っこのいる島に流れつきました。
鬼っこは、かやかやかやかや騒いで、口々に
「あれっ、何か流れて来た。人なら食うべし、先ず拾って、な」
と、箱に近ずき取り囲みました。
箱から出たのはむこ、鬼達は
「人だっ、食った方がいい!」
と、言ったとき、
年寄りの鬼がかき分けかき分け、前に出て来て言いました。
「待て待て、何か理由あって来たのだ。聞いてからだって遅くねえべ」
そういって、むこに
「なして、島流し掛けられて来た?」
むこがよい初夢を話さなかったので、うんぬんかんぬん、と訳を話すと、
鬼達も好奇心でいっぱいになって、話せ話せと詰め寄ったのです。
「言わねえなら食ってしまうぞ」
と、恐ろしい顔をして飛びかかろうとした時に、
鬼の大将が割って入りました。
「待て、待て。おれ、こういうのある(こんなものを持っているぞ)」
と、言いながら、へらを見せました。
片方は赤く、裏は黒い魔法のへらでした。
「赤えへらっこで、アネっこのけつ撫でれば、けつア鳴るなんだ。
黒い方で撫でれば、ぴたっと止まるなんだ
(赤い方で若い娘の尻を撫でると、尻が鳴るし、黒い方はぴたっと止む)」。
むこは、ほほうと思いましたが、
へらを先ず貰いました。
「これだけ? これじゃあな」
と、不満げに鼻を鳴らすと、
鬼の大将はちょっとびっくりしました。
「待て、まだある」
と言いながら、千里走る車を曵いて来ました。
「千里か?」
と、又もやもらすと、鬼の大将は、
ちょっと大きな車をもう一つ持って来ました。
なんと、二千里走る車だと自慢しました。
鬼の大将は、このボタンを押せば二千里走るんだと説明を始めました。
むこが、
「ほう、これか?」
と、ぺっと押したのです。
車はむこを乗せたまま、ダダダッと走り出しました。
鬼達はびっくり仰天。乗り逃げされたぞ!
千里走る車で追いかけたって、な、なんにもなんねことになるべや
(何にもならないよ)。
二千里走る車に乗って、ダダダダッと遠ざかるむこの後ろ姿を見て、
鬼達は、地団駄踏んだのです。
後の祭りとはこのこと。
むこは、二千里も走った頃、
門構えのどこかの長者の家に着きました。
おやおや、きれいな長者の娘がけつ、デンとたくって、
おしっこしているよ!
(「フ-テンの寅さん」の唄の文句にありますね)
♪サラサラ流れるお茶の水、粋なねえちゃん立ち小便♪
そう、この娘は、あろうことか、立小便をしていたのです。
むこは、鬼に貰ったへらを取り出すと、
赤い方できれいな尻をぺらっと撫でました。
知らないフリをしてね。
すると、娘のけつア、鳴りだしたけど。
♪ア~ すぽア、すぽア、しんでんじ、
しゃ-が、ほうが、ほうがくじ、
六波羅 清水[きよみず] 六角堂
てーごの皮 鳴~るがな~り
ど~ふ、と~ふ♪
(本間さんは、まるで唄の一節のように調子よく口ずさみました。
秋田出身の佐々木氏は“どういう意味でしょうかね”と、首をひねっています。
お尻の唄ネ、ふふふ)
むこは、思いましたね。
・・・これア、いいもんだワ。
あっちこっちのあねっこのけつ撫でて、うきうきして歩きまわったのです。
あの初めのあねっこの家、長者の門前に戻ってみると、
おやっ、立札が出てらあね。
立て札にいわく・・・
“オラ家[え]のな、娘、こういう奇病さかかって、
治して来た人をさ、なった褒美もやる
(わが家の娘が奇病にかかったので、
治してくれる人には、どんな褒美でも取らせよう)”
これアいいな、と、黒いへらっこを抱えて、その家に入りました。
「門の立札見て、来たども」
「まんず、入れ。入って見てきろ」
長者は、しかつめらしくこう言いました。
「だども、汚たねえ格好して来ば、
わいの娘、どてん(動転)してへんでヒャー、風呂さ入って、
おれ、羽織、袴[はかま]出すから、それから行ってけろ」
身なりを整えて、奥座敷に通されました。
あねっこは寝ていたのですが、
お尻からへんな唄が・・・
医者達は布団の周りをぐるっと取り囲みながら、
何も出来ずにいた。
むこが“医者達、並んでヒャー、なんで治しねんだ”と、思ったとき、
医者達はサッと笑って言いました。
「おれ達が治せねえのに、若え男来て、何でけつ鳴るのを治そうだ!」
治せまいぞ、の悪態ですね。
むこは、どれどれ、なんて言いながら、あねっこの尻の方にちこっと座って、
ちょいと布団こ上げると・・・
尻からへんな唄が聞こえます。
♪すぽア、すぽア、しんでんじ、
しゃーが、ほうが、ほうがくじ、
六波羅 清水[きよみず] 六角堂
てーごの皮 鳴~るがな~り
ど~ふ、と~ふ♪
むこが黒いへらで、ぺらっと撫でたところ、
今まで勢いよく鳴っていたのが、だんだんゆっくりになってきました。
そうです、かなり昔あった手回しの蓄音器が、
終わりかけには回り方が遅くなって、のろのろ聞こえましたね。
あの感じ。
あれっ!
医者達はど~てんして、一斉に逃げて行ってしまったぞ。
もう一度、黒い方でぴらっと撫でると、シタッと止まったのです。
長者は、満面に笑みを浮かべて言いました。
「ありゃ、まずまずありがとう。何でも欲しいもの、
けるへんでヒャー(欲しいものを何でも上げるから・・・)」
むこは
「宝物は要らぬ、おらここの家のムコに収まりてえ」
と、そう言ったのです。
長者も
「何とか、なってけろ」
と、頼むように願ったのでした。
長者のむこに収まって、上方へ行ったり、
あちこち日本全国遊んで歩いて、幸せに暮したということです。
・・・これが、そのむこ殿のみた初夢でした。
(1937年10月25日生まれ)
黒沢せいこ氏
初夢とは、正月の元日から2日にかけて見る夢とされている。
昔は大晦日から元日の朝は、オオトシの夜と呼び、
家内中で夜明けまで起きていた。
今でも108つの寺院の鐘を合図に、
神社にお参りする人は多い。
良い初夢のナンバー3は、
1富士、2鷹、3なすび、とされている。
“今年こそどれかを見よう、神様よろしく”
と念じて、
枕に頭をつけても、願いは空振りするばかり。
やっと鳥が飛んで来てくれたと喜び、夢の中でよくよくみれば、
ベランダの性悪カラスだったり、
ナスビではなくカボチャだったり・・・ね。
富士山は、夢よりも生まの姿が何倍も素晴らしい。
冠雪して裾野を長く曵いた名峰は、
何回見てもとり肌がたつ。
40年も南米にいる友人は、
“日本に帰ったら、あの神々しい富士山をひとめ見たい”
と言い続けていた。
ようやく帰国して、芦ノ湖から富士の雄姿を
食い入るように見入っていた。
スーちゃんは富士山を見ないで、
もはや外国人の目をした友人の横顔ばかり
・・・見ていたぞ。
昔、年の初めにあたって、
人々は神を迎えてその年の運命を予測しようとした。
告知する神の代理を担ったのが夢とされていた。
夢がその年の運勢を予測する以上、
よい方をみたいという願いは、昔も今も変わらない。
初夢がよい夢、愉快な夢ならば、今年は良い年になりそうだ、
と気分も伸びやかになる。
よい初夢を見られるように、
室町時代から枕の下に宝舟の絵を敷いて寝たというし、
江戸時代には、これが商売になって元日に宝舟を売り歩く、
宝舟売り屋がいたというから面白い。
悪い夢を見た時のためにも、れっきとした対処法があり、
サイに似た想像上の動物バクの絵を敷いて寝たという。
バクは、悪夢を食べてくれるから災難よけになった。
むこの初夢は、この三大幸運初夢のどれでもないが、
大喜びのようす。
自分の身にとって、毒にも薬にもならない
富士山や鷹やナスビではなく、
実際の生活に即した庶民の気持ちが描かれていて、
興味深い。
それにしても入り婿の身でありながら、
他の家の婿に志願するのは、
入り婿として何等かの抑圧した気持ちがあったのか、
男の気持ち一般なのか。
その辺は謎ですね。