田の久

(秋田県東成瀬村)

昔、富山の薬売りで“田の久”って人いたけど。
なかなか機転の利く人で、商売も繁盛していました。

ある時、山の向こうサ、行かねばならぬ用ができて出かけて行きました。
ふもとの村まで来たとき、村の人達が口ぐちに言いました。

「山には化け物いるから、行がねほう(が)いいよ」

どうしても行かねば、と、振り切って山に向かいましたたが・・・
あちこち迷って、やっとあかりを見つけました。

戸を叩いたら、男の人が出てきました。

佐藤洋子氏写真
佐藤洋子氏

「何だ?」

「迷ってしまって、一晩泊めて貰いてして」

「ほうか、まず入れ」

って、囲炉裏[いろり]にあたって、
ごっつお(御馳走)なって、
いろいろ話をしました。

(次の会話が、この話のポイントになります)

「おまえ、何という名前だ?」

と、男。

「田の久だ」

男は、独り言のようにぼそりと言いました。

「え? たのきゅう? たのきゅう~な」

「たのきゅう~な、ふ~ん」

なぜか感心したようす。

「たのきゅう。たのき・・・ う~ん、うまく化けたもんだな」

って言うけどな。

田の久が、わけが分からずポカンとしていると、

「おまえ、たのきから・・・な! 実はな、おれはウワバミだ」

男はとんでもないことを言い始めました。

「だども、誰どサにも言うなよ」

何度も念を押していたけどよ。
田の久は震えをこらえ顔を見ないようにしても、
答えるのに精いっぱい。

田の久の心の内を読めないで男は、またとんでもない質問をしたけど。

「たのきよ、オメーは、世の中で、
何、一番おっかないもんだ?」

「そうだなあ、やっぱり銭っこ、一番おっかね~な」

(なかなか頭の回転の速い人ですね)

「そうか、銭っこな。オレよオ」

そう言って、田の久の顔をじろっと見て言ったけど、な。

「たばこのヤニ、一番おっかねえ」

田の久は、心の中でよく覚えておこうと思いました。

ようやく夜明けになったので、後ろも見ずに山の向こうへ走りました。
用をすませて、また山のふもとの村に戻って来ると、
心配した村の人々が田の久を取り囲みました。

「よく戻ってきたな。化け物に食われねして!」

田の久は、恐ろしかったウワバミの話をして、

「山のアレは、たばこのヤニ、一番、嫌だから」

と教えました。

みんなで村中のキセルのヤニをかき集めて、
山に登り、そこら中に塗りたくって降りてきたけど。
そうやってたば、化け物は居なくなったんだな。

村人は安心して暮らしたと。

・・・何年も経って、田の久がまた、村にやってきました。
宿サ、泊まっていたば、夜中に呼ぶ声がした。

いずくらの秋写真
東成瀬村風景、いずくらの秋
(提供:東成瀬村)

「たのきゅう、たのきゅう」

“おや、誰かな? オレどこ、呼んでらな”

と、不審に思って戸をがらっと、開けると、

「ホレッ」

という掛声がして、
何かがどさっと土間に投げ込まれました。

中身は、な、な、なんと、
田の久のおっかない銭っこだったけど。
それでまず、終わりです。

とっぴんぱらりのぴー

スーちゃんのコメント



【語り部】 佐藤洋子氏
(1938年1月26日生まれ)
【取材日】 2003年8月20日
【場 所】 東成瀬村公民館
コーディネーター 黒沢せいこ氏
【同 席】 東成瀬村“昔っこの会”の皆さん、
黒沢せいこ氏
【方言指導】 佐々木一生氏(秋田県東京事務所)
【取 材】 藤井和子

佐藤さんは、この昔話を実兄から聞いたという。

落語に「田の久」、もしくは「田能久」という
出し物があるのを知って、
昔話とどう違うのかという興味から、
スーちゃんは、
圓生(六代目三遊亭圓生、1900.9.3生~79.9.3没)の落語
「田能久」を聞きましたね。
語りの世界を考える上でも実に面白い。

昭和の名人と呼ばれた圓生の日本語は、
さすがに歯切れがよく、めりはりが利き、
ぼ~っとするほど爽やかで、耳に美しい。

この落語、大筋は昔話と同じであるが、
プロらしく細部は微に入り細に渡り
緻密に構成されていて、圓生が話し込んでいる。

昔話と違うところは、ほぼ以下のようであった。

  • 田の久は、旅芝居の役者で、母親が急病になって一刻を争うため、急いで山越えをしなければならない。
  • 山小屋で年取った白髪の爺さんに逢う。はじめ爺さんは、田の久を人間だと思い、“久しぶりに御馳走にありつける”と内心ほくほくする。
    このおやじ、人間しか喰わないんだ、と
    プライドもすこぶる高い。
  • 田の久が人間に化けた‘たぬき’だと聞き違える。なかなか用心深いところもあって、テストをする。ははは。
  • 旅役者の田の久は、所持しているかつらを被って、若者や娘に次々化けて、テストをこなす。
    爺さんは、「おまえは、すごい化けっぷりだ。オレは人間の爺[じじい]にしか化けられねえ、一芸だけだ」と、えらく感心する。
  • 爺さんから、秘密を聞いた田の久は、
    母親の病気も大したことがなく、
    安心していつか来た村にもどる。
  • 村人は、山の化け物がウワバミだと聞いて、村じゅうのありとあらゆるキセルからヤニや柿渋をかき集めて、山の棲家に押しかける。
    棲家ばかりか、そこら中の木々に塗りたくった。
  • ヤニ、柿渋に当たって半死半生になったウワバミは、“たのきゅう”を呪い、「ただではおかぬ」と誓う。
  • ウワバミは、宿に泊まっている田の久を嗅ぎ付けて、夜更けに尋ねた。
    「おまえの一番おっかね~ものだっ」と言いながら、ずしりとした一万両入りの千両箱を投げ込んで、姿をくらました。

というものだった。

他にも、落語と昔話、なぜか同じような話もある。
双方とも語りの世界の大物であるが、
どちらが本家なのか、分家なのか。