雀[すずめ]っコの話
雀ッコの話だよ。
昔々あっとこに、爺さまと婆さまと居たけど。
爺さま山サ芝刈に行って、婆さま川サ洗濯しに行ったけど。
婆さまじゃぶじゃぶ、じゃぶじゃぶと洗ってらきゃ、
ずっと川上の方から、テクテク、テクテクと箱っこ、
いっぺ(沢山)流れて来たけど。
(方言の語り言葉には深い味わいがありますが、
次からは全国区の読者のために、会話だけを方言にします)
は~あ、それ見た婆さま、
♪か~ら(空)箱っこ、あっちゃ行け。
実~い、箱っこ、こっちゃ来い。
か~ら(空)箱っこ、あっちゃ行け。
実~い、箱っこ、こっちゃ来い。♪
と、呼びかけて歌いました。
テクテク、テクテクと婆さまの所に、箱っこが流れて来た。
婆さまは、その箱をちょっと拾い上げて、
「は~あ、何がはいっているのかな、家に帰って、
お爺さんと開けてみよう
(何入ってらべな、家サ行って、爺さまと開けてみろ)」
家に帰ってお爺さんが帰るのを待っていた。
お爺さんは、山から芝を刈って戻ってきた。
「これ、お爺さん、お爺さん。
川へ洗濯に行ったら、この箱が流れて来たよ。
何が入っているのかな?(これ、爺さま、爺さま。川サ洗濯しに行ったきゃ、
箱っこ流れてきたきゃ、何入ってらんべな)」
「そうだな、何が入っているのだろう?(そう、何、はいってらべな)」
二人は、箱を開けてみた。
中には小さな雀の子が、
チチチ、チチチ鳴いて入っていた。
「うわア、雀の子どもだ。可愛いなあ。
お爺さん、育てようよ
(あい~い、雀の子っこだけ、めんこいなあ。爺さま、この雀っこ、育てるべし)」
「そうだな、飯を練った糊を食わせよう
(んだな。マンマの糊っこ練って食せるか?)」
雀っこはだんだん、だんだん大きくなってきて、
次にはかごに入れておいた。
ある日のこと、
お爺さんは山へ芝刈に行かないで、家の周りに居た。
婆さまは、川に洗濯をしに行った。
お爺さんは、家の周りを片付けたり掃いたりした。
雀っこは、チチチチチ、チチチチチと、は~あ、
大きな声で鳴き続けた。
「クソうるさい雀だな(あ、うるさいじゃ、うるさいじゃ)」
お爺さんが叫んでも、
本当にうるさくチチチチチ、チチチチチと鳴いた。
お爺さんは、すりこぎ(マスギリ棒)で、かごの口をトンと開けて、
「う~ん、うるさいじゃ」
と言いながら、
雀っこの頭をこけっと叩いた。
その拍子に、雀っこは舌を噛んでしまって、
チューチュー鳴きながら山に逃げて行った。
婆さまが洗濯から戻ってきた。
「お爺さん、雀っコはどうした?
(爺さま、爺さま。雀っコは、どうしたらか?)」
「それがの、あんまりうるさく鳴くんで、
すりこぎで頭を叩いたんだ。
舌を噛んで、逃げて行ってしまったワイ
(うん、あんまりうるさいでシャ-、ます切りっこで頭サ、叩いたきゃ、
舌っこ噛んだて、逃げて行ってしまったじゃ)」
「お爺さん、なんでそんなことをする!
可哀相に、可哀相に。今から雀っコを探しに行って来らあ
(爺さま、何てほんだごどすってや!
可哀相だて、可哀相だて。おれ、今雀っコ探しに行って来る)」
お婆さんは、雀っコを尋ねて山に入っていった。
★雀っコな~あ、ちょんちょん、雀っコな~あ、ちょんちょん★
って声を張り上げながら、ずっと山に入って行った。
ず~っと、ず~っと山奥に入って行っても、
★雀っコな~あ、チョンチョン、雀っコな~あ、チョンチョン★
と呼びかけた。
お婆さんは、竹薮のところに来た。
出し抜けに、雀っコが声をかけた。
「婆さま、オラここに居た」
「おやまあ、おまえ、ここに居たのか?
何とか家に戻っておくれ
(あいん、おめえ、ここに居たっけが! 何とか家にあでけれじゃ)」
「家には戻らないよ。戻ったら、叩かれるんだもの
(うん、オラ、家サ行かね。行けば叩かれるもの)」
「何もしないから、今度は叩かないから戻っておくれ
(何もシャー、今度ア、叩かねってあんでけれ!)」
何ぼ頼んでも、
雀っコは、家には行かないと言った。
「そうか、じゃ、おまえはここにいて、頑張っておくれ
(したば、おめサ、ここにいて頑張ってれじゃー)」
すると雀っコは、お婆さんを誘って言った。
「婆さま、婆さまオラの家サ、上がってたもれ」
それから、お婆さんを竹薮の一軒家に連れて行った。
雀っコは、お婆さんを座敷にあげて、ご馳走を持ってきた。
お膳には、黄金[きん]の箸を付けて、
黄金[きん]の茶碗には
白飯(白エまんま)だの魚だのいっぱい盛っていた。
「婆さま、これ食ってたもれ」
と言ってご馳走をよこした。
それを頂いて、よ~く雀っコの家をみると、
雀っコは、そこではたを織っていた。
(幻想的で美しいシーンです)
「あいや、おめ~、ここではた織りしてるんだ」
「そう。ここではたを織っているんです
(んだ。オラ、ここではた織ってら~)」
お婆あさんが、ごっつおさん、
と礼を言って出て行こうとした時に、
雀っコは、引き留めて、お土産の小さな箱を手渡した。
お婆さんは、何が入っているのかな、と、思いながら、
家路についた。
お爺さんと二人で、
“何、入ってらべな”
と言いながら、開けてみた。
中からは金、銀の宝物がいっぱい(じっぱり)入っていた。
それをみたお爺さんは、言った。
「ほほう、良いことだな、わしも貰って来ようか
(ほっ、良[(え)]こったな、わも貰ってくっぺや)」
お爺さんは、土産貰いたさに出かけて、
竹薮はどこかときょろきょろ探し、向こうの竹薮めがけて一直線。
(小坂さんの口調は、アップテンポになります)
★雀っコな~チョンチョン、雀っコな、
チョンチョン、雀っコな、チョンチョン★
どんどん山に入ると、
あっ、竹薮があったぞ。
お爺さんは、
一段と声を張り上げて呼びかけた。
「雀っコな~、チョンチョン」
「爺さま、爺さま。オラ、ここに居た!」
とびっくりしたような雀っコの声がした。
「雀っコ、わしにご馳走してくれよ(雀っコ、わサ、ご馳走してけれじゃ)」
ズバズバと雀っコの家に上がって、
座敷にど~んと座って待っていた。
(この爺さまのしぐさが、活写されていますね)
雀っコは、仕方なくご馳走を出した。
ネコの箸みたいな汚い箸をつけて、
欠けた茶碗に粟飯[あわめし]をちょびっといれて、
ごっつおも、はア、
ガッコ(漬物)一切れで、はア、
「爺さま、これ食ってたもれ」
と、持ってきたぞ。
お爺さんは、そんなご馳走でも気にしないで、
ガツガツと食ってしまった。はア。
(早口になった間投詞のはア、が聞く耳に鮮やかでした)
次にお爺さんは、臆面もなく土産を催促しました。
「雀っコ、おらに土産をくれよ、ほら土産だよ
(オラサ、ホラ、土産っこけれだ、土産っこ!)」
「お爺さん、
そうしたら、大きい箱がよろしいか、小さな箱がよろしいか?
(爺さま、せば大きい箱いいすか、ちっちゃ箱いいすか?)」
「わしア、男だから、大きい箱が欲しいよ
(わしア、男だって、大っきい箱けれだ)」
それで、雀っコは、大きい方の箱をズルズルと引っ張ってきた。
お爺さんは、縄で縛ると背中にしょって
「ご馳走さん、貰ってくよ(は、ごっつおさん、貰ってくど)」
と、言いながら退出した。
何が入っているのかな、
と、大きい箱を眺めたりさすったりして、ほくほくしながら歩いていた。
ところが・・・
途中の山の中で、カラスが頭の上でしゃべり始めた。
★じっちゃ、けっちサ、
長々[ながなが]下がった ガオッタ、ガオッタ★
お爺さんの頭の上を
グルグル、グルグル回って鳴いていた。
“何だって? じっちゃ、けっちサ、長々[ながなが]のことだ?”
大きな箱をドンと、下ろして、
蓋を開けて見ると、・・・!!!???
何と、その長々はヘビで、
その中には、ギョロ(カエル)だの泥だのいっぱい入って、
そのにおいの臭いこと!
お爺さんは、
“ひやっ、こんなのは嫌だ!(ひやあ、こいなば、やすかねじゃ)”
と、一散に逃げだしたそうだ。
♪婆々なば、金の箸で金のごぎ(お碗)で、白えまんま、三杯。
じっちゃなば、猫の箸で猫のごぎで、アワ飯、チョンチョン♪
(昭和19年<1944年>2月18日生まれ)
小坂さんのお祖母さんが、
昭和53年(1978年)82歳で亡くなる直前、
テ-プに吹き込んで貰ったのがこの昔話だったという。
2005年の今年なら、109歳のお年。
一貫して秋田弁で語られたこの昔話を
小坂さんは何回も何回も聞いて、
耳に美しく響く間合いの取れた、“昔っこ”に
仕上げたのである。
さて、この「舌切り雀」の昔話は、
日本人なら知らない御仁はいないほど有名な、
超ロングライフな話である。
前に、アメリカ育ち、アメリカ在住の日本人(男子高校生)
に聞いてみたことがあるが、
“聞いたことがない”という返事だった。
そればかりか全く興味を示さなかった。
地方によっては、
牛洗いや馬洗い、菜洗いが途中の山路で出て来るなど、
付け加わった箇所もあるが大筋は同じ。
糊を食べてしまう等のように雀が悪いことをして、
舌を切られること(本篇では事故でかみ切ってしまうが)、
慾深のお爺さん(地方によっては、お婆さん)の貰ってきた、
お土産のつづらからヘビなど
気持ちの悪い生き物が出て来て懲らしめるなど。
この話は、5大昔噺の一角をなす。
それらは「桃太郎、花咲か爺、かちかち山、
猿蟹合戦、舌切り雀」をいう。
考えてみれば、
いつから始まったのかイマイチはっきりしない
これらの昔話が、
いまなお残っていることや、
何百、いやひょっとして5桁以上もある昔話の中で、
5大昔話と言われて人口に膾炙しているのは
不思議といえば不思議である。
これらに共通しているのは、
舌切り雀のお婆さんは、
絵に書いたような善行の人である。
親切、生き物に対する愛情深さ、優しさに満ちた
柔和な気配りといった、
修身の本には欠くべからざる、第一級のキャラクタ-である。
それに比べて、お爺さんは、悲しくなるほど現実的である。
我慾の塊、自己中心、拝金・物質主義者。
ほとんど良いところはない。
いや、出かけて行く行動力はあるか。
宝の入ったつづら(土産)欲しさに、
可愛くもない雀っこを尋ねて行ったこと。
“上がってください”とも言われないのに、
座敷に踏み込んで行き、ご馳走をねだる。
土産を督促し、出されたつづらのうち、
目的は大きなつづらだから、躊躇なく大きい方を選ぶ。
(大きい方と小さい方を出されたら、
“先に取る人は、小さい方を取るのですよ”は、
スーちゃんの母親が幼稚園の時に、
厳しく教えたことでした)
お爺さんは、
日本人の行動規範(バリュー・システム)の中で、
やってはいけないことだよ、
と教えられていることを次々に実行する。
痛快なほどにね。
しかし・・・ どこか手近かにいそうな
生き生きした人物なのである。
困ったサンであるが、現実に居そうなのである。
振り払っても、振り払っても、
こういう心が湧いて来るのが人間の常。
心の奥でちらっと考える
ドス黒い一瞬をお爺さんの存在が鋭く、
巧みに突いていないか。
何百年経っても人の心は大して変わらないもんだ、
と、この話は語りかけてくれる。
話はきわめて単純である。
筋が単純だから、
欲張り爺さんの言動の面白さが目立ってしまう。
何回聞いても、また聞きたくなる昔話の
王道を行く魅力があり、
お爺さんは、何百年を経ているのに新鮮である。
決して良いとは言っておりませぬよ。
そんなこんなで、スーちゃんは、
心の本棚にこの話を忍ばせたいのである。