座頭[ボサマ]の木
( 座頭[ざとう]とは、東北地方では座頭っことか、ボサマと呼ばれた。
彼らは目が不自由で、諸国を巡りながら芸をしたり、
『平家物語』『義経記』や、昔話を語って生計を立てていた)
昔あったゾン。
ある所に大っき川あって、渡し守の家あったと。
その年なば(は)、雨バリ(ばかり)降って、
大水出はって大変だった。
渡し守ア
「仕方ねえがら、川流れの木っこでも拾うべ」
て舟出したば、
川上の方から黒いもの流れてきたけど。
(秋田弁は聞くには味のある言葉ですが、
理解のために、次からは会話だけを方言にします)
「これあ、良い木だなや」
と言いながら、岸にあげてみたら、
木ではなくて死んだボサマ(座頭)であった。
「かわいそうだな(うどつらしなや)」
と思って、自分の畑に埋めてやった。
3~4日すると、そこから芽(もえっこ)が出てきて、
だんだん大きくなった。
「これア、何ていう木だべや」
と、近所の人達に聞いたけれど、誰にも分からない。
この木は、ずんずん、ずんずん大きくなって、大木になった。
ワラシ達は、
座頭を埋めたら木になった、こりゃ
“座頭の木だべや、座頭の木だべや”
と、ふれ歩くものだから、
評判になって見に来る人達でいっぱいになった。
そのうち座頭の木につぼみ(つぼこ)が付いて、
2尺も3尺もある大きな花が咲いた。
赤、黄、白、青、紫・・・
いろんな花が咲いたので、評判になって、
夜も昼も遠くからでも見に来る人がいた。
渡し守は、う~んと金儲けした。
座頭の花をよく見たら、
花のまん中に、座頭が一人ずつ入っていた。
三味線弾く手付きをしていたり、太鼓叩く格好していたり、
口開いて歌っこ歌っていたり、
鐘鳴らす格好していたり、笛を口に当てていたり、
いろんな格好をした座頭がいるものだから、
珍しくて珍しくて、
十里も二十里も向こうから見物人がやってきた。
そのうち風ア、ご~っと吹いて、
座頭の花は、川に落ちて行った。
流されながら座頭達は、
三味線を弾く、太鼓を叩く、歌を歌う、鐘を鳴らす、
笛を吹くなどする。
なんという賑やかさ。
・・・でんでん、でんでん。てんてんてけてけ。ぴーしゃら、ぴーしゃら。
中には芸のない座頭も居て、
その花っこは、川にドボンと落ちて、
ズブスブ、ズブスブと沈んでしまった。
花が落ちてしまったら、
座頭の木にはワラシ達の欲しいものが
いっぱいブラ下がっていた。
赤い着物、赤い帯、赤い前垂れ、下駄っこからおもちゃっこまで、
いっぱい下がっているわけだな。
座頭の木の側に行って、
「おらア、あの赤い前垂れっこ、ほしいなや」
と願えば、
風ア、ゴーンと吹いてきて、
ヒラヒラ、ヒラヒラ落ちてきた。
「おら、あのおもちゃっこ欲しいなや」、
風ア、吹いてきてゴトンと落ちてきた。
・・・さあ、坊、おめえなば、何エ欲しい? お嬢っこなば、何エ欲し?
・・・欲しいものあったば、座頭の木の下サ行って願って、みるんだな。
(昭和7年<1932>生まれ)
この「座頭の木」の醸す音曲と色彩の華やかさは
昔話の中でも秀逸ではないか、と思う。
例えば、銀河の流れに立つ銀色の波頭とか、
息を呑む流れ星の美しさに
本篇の映像美を重ねてしまう。
すばらしい幻想美の世界。
この豊かな音と色調美は
アニメの世界でどう表現できるか、と思う。
例えば宮崎駿監督はどういうコンセプトで
提供してくれるだろうか。
いえいえディズニーのアメリカ的な
クリアーカットの「ボサマの木」でもいいのです。
さて、高橋肇氏の紹介・・
秋田県山内村で生まれ、昭和10年代の後半に
分教場で小学校時代をすごした。
春の訪れの遅い、雪深い盆地で
昔話(むがしこ)を聞くのが唯一の楽しみ
という環境で育った。
昭和30年代、
教員となって小学校に勤務していた頃、
童話や昔話を毎日のように、
テレビのない時代の児童生徒に語りつづけた。
後に教職にあっても、機会を捉えては昔話の採話と、
自ら語ることで語りの場を実践した。
「座頭の木」は、堀井徳五郎翁の昔話によったものであり、
高橋氏自ら「語り爺」をもって任じている
手練[てだれ]の風格と、独自の方法
・・・つまり「むがしこトーク・漫談」や腹話術まで取り入れて、
昔話の面白さを広めようとしている・・・
が伺える語りであった。
昭和59年度の「NHK東北ふるさと賞」を、
遠野の伝説的な語り部、
故 鈴木サツさんとともに受賞した。
NHKテレビ、JA秋田広報誌などに出演、執筆多数。
現在も後進の指導育成や福祉施設での
語り部活動に余念が無い。