小川寺[こがわじ]縁起

(秋田県、東成瀬村)

昔々あるどころによ。
大っきな山あって、こっちがら行くにもあっちがら来るにも
一日ががりだったど。

語る福地タケ子さん
語る福地タケ子さん

この山の麓[ふもと]さ、一軒の茶屋があって、
大した繁盛してだけど。
ある旅人が、びやっこ(少し)遅ぐ
出はって(出てきて)しまってひゃ~、
峠の真ん中まで行ったば、
日暮れでしまったけど。

(東成瀬村の方言は生き生きと響きますが、
全国区の読者の理解のために、会話のみ後ろに方言を入れます)

何ともしようがなく木の根っこに宿を取って、
うつらうつらと寝ていた。
すると夜中の12時過ぎになったら、
すごい山鳴りがして雨風が吹いてきた。
そのうちに雨風がからっと止んだと思ったら、
鬼っこがいっぱい集まってきた。

(ホロスコープの映像を見ているような・・・そういう幻影をご想像あれ)

そこにどんどん(のんのん)と火を炊いたバ、
鬼の大将が大声で、

「小川[こがわ]、小川ア、小川ア~」

と三度言った。

すると、きれいなあねっこが来た。

鬼の大将「おまえの(おめだえの)茶店の親たちが、
動物を食ってはいけない人に、
四足二足(四つ足や、鳥など)を煮た出しで、
うどんだのおつゆだのを食わせた!」

旅人が見ていると、親の罰を娘がかぶって、
火あぶりにかけられるようだった。

一部始終を見た旅人は、そういうふうにされた娘をかわいそうに思って、
夜が明けると急いで峠を下って、茶店を訪ねた。
茶店で食うものを注文して、ご馳走になるときに旅人は、

「小川[こがわ]にご馳走致しましょう(小川にあげ申す)

と言ってから食べ始めた。
そうしたら、茶店のおやじが出てきて、

「お客さん、小川っていうのはウチの娘だ。
もう死んでしまった。
何で“あげ申す”なんて言うんだ(何でそう言って食べるなんだ)

と、ふしぎそうに聞いた。

・・・実は夕べ、遅くなって峠で泊まったとき、こうこうだった、

と一部始終を話した。

おやじ「そんならおれも、その現場見たいものだ
(そしたば、おれもその現場見てえ)

二人は、山のてっぺんに行って、
泊まることにした。

すると前の日のように、
夜中の12時過ぎになると雨風が吹き、
鬼っこがいっぱい集まってきて、火を炊いた。

鬼っこどもは

「小川ア[こがわ]、小川ア、小川ア~」

と、叫んだ。
すると、茶店の娘が現れた。
今日は団子などを両手に持っていた。
昨日、旅人が、「小川にあげ申す」と言ったので、
娘はそれを持ってきたのだった。
その食い物を鬼っこ達に配った。
そうしたら、娘は火あぶりにかけられなくてすんだ。

そのまま、娘はスーッと居なくなった。

驚いたおやじは、地獄に堕ちて苦しんでいる娘を目のあたりにして、
旅人に言った。

「これは、これは!
おれが悪いのに、親の罰を子がかぶるというのはこのことだ」

うちに戻ると、みんなに話して、
小川寺という寺を建てて祀る[まつる]ことにした。

・・・そういう話だっけ。

とっぴんぱらりのぷー
秋の不動の滝(仙人修行の滝、平成17年11月24日撮影)
秋の不動の滝
(仙人修行の滝、平成17年11月24日撮影)
初冬の不動の滝(11月30日、わずか一週間後で冬になった)
初冬の不動の滝
(11月30日、わずか一週間後で、冬になった)
(写真提供:東成瀬村役場)

スーちゃんのコメント



【語り部】 福地タケ子氏 (1928年1月23日生まれ)
【取材日】 2003年8月20日
【場 所】 東成瀬村公民館
コーディネーター 黒沢せいこ氏
【同 席】 東成瀬村“昔っこの会”の皆さん、
黒沢せいこ氏
【方言指導】 谷藤広子氏(東成瀬村役場)
谷藤さんからは、まるで外国人に一行ずつ日本語を教えるように、教えて頂いた。
感謝、感謝!
【取 材】 藤井和子

この話のテーマは、“タブーについて”である。
東成瀬村のタブーの一つは、

「動物を食べてはいけない家」

があることだ。
話の中の茶店では、
客に食べさせていてタブーを破っている。

土地っ子の谷藤広子さんに

「食べてはいけない家とは?」

と尋ねてみた。
例えば、馬頭観音をご神体とする
神社の別当(寺務を総括する僧官)だったり、
神社通りに面する家は、
動物を食べてはいけない家であった。
話者の福地さんの婚家はこのような家と思われる。
こんな家は、昔から四足二足(四つ足の動物、鳥類)
食ってはいけない、とされていた。
今は食っているが、今でも料理するときは、
屋内ではなく必ず外で煮炊きするし、
玉子も外で調理する。

また、東成瀬村の古い家系では、
屋敷の中に氏神をまつっている家がある。
氏神様の近く、氏神の居るところでは、
四足二足を煮ると死者が出ると昔から言われている。
実験は難しいが、これはきついタブーである。

記念写真
記念写真

福地家には、もう一つタブーがある。
先祖は、仙人様というご神体をまつっていた。
茨城から、ご神体を背に野越え山越え歩き通して、
東成瀬村にやってきたという。
何日も何日も徒歩の旅を続けたので、途中で荷縄が切れて、
アケビとブンド(山ぶどう)のつるで巻き直した。
そのため、今は食っているが、
昔はアケビ、ブンドは、口にしてはいけない、
という戒めがあった。

実のところ、タブーは、

“破ったけれど、大したことはなかった”

かもしれない。
タブーは、破ったら・・・という結果を暗示するが、
破れば必ず恐ろしいことが起こることを保証するものではない。
このへんが、タブーの弱いところであるが、
もともと遵守することに意義があり、
多くの場合、結果は実証されはしない。

本篇の茶店では、“動物を食ってはならない人々”に、
動物を煮て取った出しで料理して客に食わせている。
このタブーを破った罰として、
地獄に堕ちた娘が火あぶりの刑を受けてあがなっている
という話になっている。
昔話の形で、
タブー破りの罰を活写している点が興味深い。

タブーに対する畏敬の気持ちが薄れつつある現代において、
今後どうなって行くのだろうか、さらに薄れるのかと思う。
現代人は、何をもってタブーとし、
何に対して畏敬の念をもつのだろうか。

もはや集団としてのタブーなど無くなり、
個々レベルになるのだろうか。
そうするとさらに複雑な問題が生まれるはずだ。