一重二日の初夢

(秋田県、東成瀬村)

昔々、あるところにさ、爺さまと婆さまいだけど。
ほうして一人の息子いだけど。
その息子はナ、あんまりおが(余りにも)へやみ(怠け者)で、
酒飲んでゴロゴロ寝ている息子だけど。
爺さまと婆さまの田から何から皆飲んでしまって、人達ア、
バカ息子と呼ぶようになったけど。

語る藤原晴子さん
語る藤原晴子さん

(東成瀬村の方言は生き生きと響きますが、
全国区の読者の理解のために、会話のみ方言の注を入れます。)

ところが、どういう弾みなんだか、
隣村の長者殿から
きれいな嫁っこを貰うことになった。
タンス、長持ち持って(たぎゃて)、バカ息子のところに嫁入ってきた。

今度ア、おら家[え]の息子もその気になって、
働くようになるんだな、

と親たちは喜んで、嫁っこを迎えた。

息子はなかなか働く気を出さない。
毎日、酒を飲んでは、ゴロゴロ、ゴロゴロ寝ていた。

嫁っこは、この着物、あの着物と持ってきたものを酒と交換しては、
飲ましていた。
とうとう何にも無くなって貧乏した。

(気立てのいい人ですね)

爺さま、こりゃ大変だと思って、ある年の正月に、
干子の頭(ほしこのかしら、煮干しのアタマ)で、御神酒[おみき]あげて、

「今日は“一重二日の初夢”っていう日だ。
好い夢見れば、いいことあるし、良くねえこと見れば、良くねえことある。
あしたの朝ま、どんな良い夢を見たか、話して聞かせろ
(なんぼ好い夢見たか、話っこして聞かへるこだ)

そう言いながら寝た。

次の日の朝ま、婆さまに

「どんな夢を見た?(何たら夢見たきゃ)

と尋ねたところ、

「何ということもないよ、小便が出てちっとも寝られなかった
(何たこたねえ、おしっこ出て、まるふた(まるっきり)寝らねでしまった)

と、言った。
嫁さんに

「嫁っこ、嫁っこ、何か良い夢見たか?(何たんだ、良い夢みたきゃ?)

と聞いた。
嫁さんは、

「自分も何ということはないよ。
盗人が来て、着物をたくさん、盗まれた夢だったから、
大したことはなかった
(おらだって、何たことねがけ。
盗人出て、あぎゃきろの、ででっと盗まれた夢だけ、大したことねえ)

次にバカ息子に聞いてみた。

「おう! バカ息子よ、
おまえ、何か、良い夢見たか(何たんだ夢見だけ、ええ夢見だっけが?)

バカ息子は、えへへ、えへへ、なんて笑って、一人で喜んで、
さっぱり話をしなかった。

「何だって笑ってバリ居てよ。どんな夢をみたんだよ?
ホントにバカなのかなあ(何たんだ夢見たか? そんころばかだか?)

と、爺さま(じんじ)は怒った。

「あんまりいい夢みたから、ただでは聞かせられない」

なあんて、いうのだ、バカ息子は。

「なんで聞かせられないんだ!」

と聞くと、

「まずよ、酒一升、買って来い」

って言うのだ。
お金もないし、嫁さま困ったが、
タンスの隅っこから残っている着物を引っ張り出して、
酒を一升買ってきた。
嫁っこが注いだのか、自分で注いだのか、
その一升をぺろっと飲んだそうな。
それなのに何にも話さないよ!

爺さま「一升飲んだんだから、よ! どんな夢だったんだ?
(何だった? そりゃ、一升飲んだ? 何たんだ夢見だけ?)

息子「う~ん、まだ足りねえ、もう少し(も、びゃっこ)飲まねば、
聞かせられないね」

嫁さんは、帯に腰巻きまで、引っ張り出して、
酒をちょっと買ってきて飲ませた。
その内に、この男、
酔っぱらって寝てしまった。

夢の話を聞かないうちに息子が寝入ったので、
爺さまは怒ってしまって、

「まるっきり夢みないなどと、こんなバカ息子では、財産を無くすぞ
(まるふた夢みねえなんだ、こんたんだバカ息子、釜けゃしだ!)

納屋にしまっている酒樽を持ってきて、
寝ている息子を押し込んだ。

「こんなヤツは、島流しにしてやる!(こんたんだ者、島流しかける)

息子は、いい気持ちで寝入っていても、桶に鼻を付けて、
くんくん、くんくん酒の香りを嗅いでいた。

行き着いたところは、
鬼ヶ島だった。
何だかワアワア、ワアワアいう音がして、目を覚ましたバカ息子は、
樽の中から外を見ると、ぐるりに鬼っこ達がいて、
自分を覗いていた。

「おう死んでないぞ。目、覚ましたようだ」

がやがや言いながら、外に引っ張りだした。
樽から出ると、鬼の大将のところに連れて行かれた。

大将「おいコラ、おめえ、何でここへ島流しされた?
よっぽど悪いことしたな?」

バカ息子「何にも悪いことなんかしないよ。
一重二日の初夢が良い夢だったんで、
“酒っこ飲ませれば、言ってもいい”
って。
酒っこ飲んで酔っぱらってそのまま寝ている内に、島流しにされたんだ」

大将も、そのよい夢とやらを聞きたくなっちまった。

鬼の大将「んだ。そのやあ~、そんないい夢、おれに聞かせろ
(良い夢、おれに聞かへろ)

バカ息子「どうしたって、タダでは厭だ。何かくれ
(たんだで、聞かへらえね。ないがかいがねば)

なんて、バカ息子はいばるわけよ、今度ア。

すると鬼の大将は、家来に

「おら家[え]の宝物、持ってこい」

と言いつけた。
宝物が届くと、

「これはな、こうやって“舞い上がれ、舞い上がれ”って唱えれば、
ズ~ッと、上サ、登って行くし、
“舞い降りろ、舞い降りろ”って言えば、下サ降りてくる。
こういった宝物だ。 おまえの話っこ、聞かせろ」

バカ息子は、

「本当か? 上に行くか行かないか、やってみろ」

と言った。
大将が家来に命じると、家来は、

「舞い上がれ、舞い上がれ」

と言いながら、ズ~ッと上にあがって行った。
大将はあわてて

「お~い、遠くに行くな!」

家来が、

「舞い降りろ、舞い降りろ」

と唱えると、大将の側に、ぴたっと降りてきた。

バカ息子は、

「う~ん、これはいいな。だけどこれ位だと、聞かせられね~な」

大将は、ますます聞きたくなってしまった。
バカ息子は、もう一押しとばかりに

「んだら、宝がもう一つ、ほしいな」

なんてね。

大将「もう一つ? これより他の宝物だと?
そうだなア、アレ持って来い!」

家来が

「これ位の小さな箱だよ(こんころバリの箱っこ)

と言いながら、小さな箱を持ってきた。
バカ息子は、

“何だ、宝物だなんていうが、こんなつまらない物か(ほじげゃた物)

と、心の中でバカにした。
大将は、箱のふたを開けると、
小さな小さな(こんころばりの)針を取り出した。

「こっちの方でチクッと刺すと、生きてる人が死ぬの。
反対のこっちでやると、
死んだ人が生き返るのだ」

バカ息子「んだったってよ、本当にそう行くもんだか、行がねもんだか、
まずやってみればいいんだ」

と、疑わしそうに言った。

(バカ息子の交渉力は、とてもバカとは思えません。
鬼達は言いなりになっていますね)

佐々木正蔵氏
方言指導の佐々木正蔵氏

大将は、傍に控えていた家来に、
死ぬ方の針先で、
チクッと刺してみた。
すぐに家来は、ゴロンと死んでしまった。
いつまでも殺しておくわけに行かないので、
大将は反対の生きる方の針先を見せながら、

「ほら、こっちは生きる方だからな」

と言って、チクッと刺した。
家来は、すぐに目を覚ました。

バカ息子は、だんだん面白くなってきた。

バカ息子「どれどれ、ちょっとそれを見せてくれないか
(びゃっこ、ほれ、見へでみでけろ)

と、扇子をこっちにおいて、鬼の大将に近づいた。

(扇子を持っていたのは、当時の装束でしょうか?
それとも、正月の正装として、紋付きに羽織り袴を着て、
正月を祝っていたのでしょうか)

“生き針死に針”を、大将に貸して貰うときに、
死ぬ方の針先で大将の指をチカッと刺した。
大将がコロッと死んでしまったのを見て、家来達は、

「こりゃ、大変だ」

と、わんわん、わんわん騒いだ。

バカ息子は、それっとばかりに

「舞い上がれ、舞い上がれ」

の呪文を唱えて、空高くズ~ッと登って行った。
家来どもが

「宝物を二つとも取られてしまった!」

と、地団駄踏んで騒いだが後の祭りだ。

(初夢の話を聞かないうちに、宝物は取られ、大将も死んだのですから、
鬼達の方がずっとアホでしたね)

宝物を二つともせしめたバカ息子は、

“はあ、何ていい日だろう

と、ほくほくした。
だいぶ行くと、晩方になって、そろそろあたりが暗くなって来た。
もう家に帰ろうかな、なんて、

「舞い降りろ、舞い降りろ」

と、唱えた。

・・・どっちへ行ったらいいのだろうか、家はどっちだろうか?

と、きょろきょろ眺めているうちに、灯りが見えてきた。

ある村の上に来たときに、
灯りがついている家が目に付いた。
家のまわりを提灯が行ったり来たり、行き来している。

“これは、ただの家でないな。
振るまいとか葬式とか何かある。ちょっとこの家に、降りてみよう。
(あ、こりゃたんだの家でねな、こりゃ何かある。
ふるみゃとか葬式とか何かある。びゃっこここの家[え]サ、降りてみよう)

バカ息子は、

「舞い降りろ、舞い降りろ」

をかけて、家のそばの木の脇に隠れて見ていた。
通りがかりの人に

「ちょっと、ちょっと。ここの家、どうしたんだ」

と、聞いてみた。

「うん、ここの一人娘が、亡くなってよ。
なんぼ医者に頼んでもだめだったのだ。まず、葬式の準備だ」

「そうか、おれ、ちょっと(びゃっこ)その亡くなった人を見てみたいな」

「どうぞ」

と、言われて、門から中に入れてもらった。

娘の両親は、

“立派な医者に診て貰ったって、治らなかったんだから、
こんなみすぼらしい男が診たって、治るもんではなかろう”

と、軽~くみた。
それでも一人娘がかわいそうなので(痛ましだひゃー)

「まず、診てください」

と言って、座敷に案内した。
バカ息子は、娘の伏せっているところにうやうやしく近づいて、
面っこ(顔)覗いたり、足を触ったりして、
もったいぶって診るふりをした。
口の中でなにやら呪文を唱えながらね。
折りをみて、生き針の先でチクッと刺した。
かたずを飲んで、親達が見守っていると・・・

ああら、不思議、あら不思議!

娘は目を覚まして、何と

「あ~、あ~、気持ち良かったな、よく寝たな(えがったな、えぐ寝たな)

と、モノを言ったのだった。

今まで葬式をやる準備をしてワンワン、ワンワン騒いでいたのが、
娘が生き返ったので、みんなは大喜び。
葬式があっという間に、振るまいだ、振るまい酒だ、
と、大騒ぎになった。
振るまい酒を飲んだり、歌を歌ったり、
バカ息子もご馳走にあずかった。

3日、4日もご馳走になったとき、バカ息子は、

“こんなにして、いつまでもここにはいられねえな”

と、思い始めた。
ところが、娘の親たちは、

「おら家[え]の娘、一人娘だから、
何とか婿になってくれないか(けねが)?」

と、頼んできた。

バカ息子は、すぐに答えた。

「婿にはならん。嫁もいるし、爺さまも婆さまもいる。
とにかく婿にはなれない。
まず、うちに帰らないとね。
(婿にならんね。わえ(我が家)には、嫁もいるべし、爺さまも婆様も居る。
おれ、まずよ、婿になばならえね。まず、帰らねば、でげね)

両親は、

「人を助けてくれたこういう人、婿に欲しかった」

と、何回も頼んだが、バカ息子は、
きっぱり断った。

バカ息子が帰るときには、荷車にいっぱい、米や酒、みそを持たせた。
銭もたくさん褒美に貰った。
そのてっぺんにバカ息子を乗せて、若い衆(わがじぇ)たちが、
わっしょい、わっしょいとかけ声を掛けながら、
引っ張って行った。

一方、爺さまと婆さまは、心配して毎日、
家の前(えのみゃ)に立って神様を拝んでいた。

・・・わえ(我が家)のバカ息子、島流しかけたのだが、
一体どこへ行ってしまったんだか?
生きているんだか、もう生きていないんだか?

そんなある日、二人は、遠くの方から、

“わっしょい、わっしょい”

とかけ声のする荷車を目にした。
な、な、何と・・・

「ありゃ、おら家のバカ息子でねえか!」

バカ息子は、荷車の上に乗って(じゃんがりと)
若い衆(わがじぇ)に引かせていた。
だんだん近づいて来ると、確かにバカ息子だ。
荷車の上に、宝物をもっこり積んで、
その上にバカ息子が乗っていた。

(まるで、宝舟に乗っているようですね)

「何だ、死んだかと思ったバ、まだ生きていたか!」

と、みんなは喜んで、バカ息子を迎えた。
爺さまと婆さまは、貧乏だから、
その宝物を下ろして、バカ息子に聞いた。

「何で、おまえは、こんなに(何じで、が、こやべえ)
宝をいっぱい、貰ってきたのだ」

バカ息子「良い夢見たときア、話を誰にも聞かせないで、
悪い夢を見たときには、すぐその場で聞かせれば、
良くないことは起こらない。
そのように、聞いていたからな」

バカの一つ覚えで、このバカ息子は、
どこまでもそれを守っていたようだ。あはは。

息子に、どんな夢を見たのか聞いたら、
初めて自分の夢を話した。

★水田[みずた]に舟浮かばせて、黄金の山に漕ぎ出でし★

田を全部売って飲んでしまい、水田など無かったのに、
その田に舟を浮かべて黄金の山に行く夢を見たのだった。
よい夢だったから、誰にも聞かせないでいたら、
宝物がバカ息子の手に入ったというわけだ。

原文「息子どサひゃ、何たんだ夢みだけ、今度ア わぁなの夢聞がへだけど」
何たんだ夢みたっけ、って言ったバ、

★水田[みずた]に舟浮かばせて、黄金の山に漕ぎ出でし★

「そういう田をみんな売ってまって、願ったべたって、息子の夢 ほやびゃった
田サ、舟浮かべて、黄金の山あるなサ、漕いで行ぐどご見だけど」
黄金の山サ、漕いで行くのは、これなば、すばらしい夢だどて、
誰っさぁも聞くがへねでえだば、
そういう宝物は、バカ息子にした(手に入れることが出来た)けど。)

宝物をたくさん貰ったので、爺さまと婆さまと嫁さんは、
幸せに暮らしたけど。

とっぴんぱらりのぷう

スーちゃんのコメント



【語り部】 藤原晴子氏(1937年2月26日生まれ)
“昔っこの会”会長
【取材日】 2003年8月20日
【場 所】 東成瀬村公民館
コーディネーター 黒沢せいこ氏、谷藤広子氏
【同 席】 東成瀬村“昔っこの会”の皆さん、
黒沢せいこ氏
【方言指導】 佐々木正蔵氏(首都圏なるせ会幹事長)
年末、多忙の中をテープを聴いて、ゲラを校正して頂いた。いつも「東成瀬村のことをよろしく」と、おっしゃいます。
【取 材】 藤井和子

初夢とは、一体、いつ見る夢なのか。
よい初夢はどうやったらみられるのか?
よい夢でなくても、「一重二日の初夢」
くらいみっちり内容のある、
面白い筋立ての夢をみれば、満足出来るのだが。

スーちゃんは
正月1日の夜に見る夢が初夢だとばかり、ずっと思っていたが、
初夢時期説について、本篇を聞いてから、
2日かもしれないという疑念が湧いた。

いろいろ調べているうちに次のことが分かった。

長沢利明氏(民俗学者、法政大学講師)によると、

「元旦の夜であるとか、二日の夜だとか、
節分の夜であるとか、
諸説あってはっきりしないが、
中世から井原西鶴あたりまでは、節分の夜の夢を指し、
天明の頃(1781~89)以降、
正月二日の夜にみる夢を初夢としたらしい」
「東京の民間信仰」三弥井書店刊、1988年)

さて、初夢で縁起がいいのは、
1富士、2鷹[タカ]、3なすび。
これは、去年の「婿の初夢」(東成瀬村)
にも書いたので参照されたい。
次は、どうしたらよい初夢が実際に現れてくれるか、
ということだ。
このトシまで、この3つのどれかを初夢として
見たことがないのだから、
とっくに諦めた。
では、どんなのがいいの?
と、問われると、こんな夢がいいな、
といいますね。

例えば、
・・・ピアノを習ったこともないのに、
ショパンがどんどん弾けちゃうとか、
数学者で卓抜な文明批評家であった故岡潔氏
(1901~78、文化勲章受賞、奈良女子大名誉教授。
著書は講談社現代新書「風蘭」他)
とお話しているとか。
内容は日本の教育問題がいいかな。
40年前の氏の予言は恐ろしいまでに的中しているので、
“人間をどう育てるべきか”
対処策を含めた今後のことを。

さて、それでは
「よい初夢」をみるにはどうすればよいか?
知恵を絞ったんですね。

・・・ううっ、何もしないでいたら、
正月二日の夜はもうすぐ、
という年の瀬になってしまった。

“宝舟の絵を、枕の下に敷いて寝ると
よい初夢を見られるらしい”

というまたとない情報を得た。
七福神が帆掛け舟にのっているアレね。

東京では、明治末期まで、
ちまたのお宝売りが絵草紙屋から仕入れた
宝舟の刷り絵を売り歩いたらしい。
香り高い藍の印絆纏[しるしばんてん]をいなせに着て、
[さび]の利いた渋い声で

「お宝ア、お宝。宝舟~エ、宝舟」

と呼びかけた。
声に出してみると、
ホント、さお竹売りのノリですね。

関西に比べて、
正月に宝舟の刷り絵を売り出す神社が少ないのは、
このような宝舟売り屋がいたからだ
という説がある。
しかし今なお都内でも、
いくつかの神社は、宝舟の絵を縁起物として
売り出しているそうだ。
それらは、

・・・五条天神社(上野公園内)
妻恋神社(湯島)麻布十番稲荷神社

すべて都内なので、
3つ行っても3時間ちょっとのコースだ。
遊び仲間の修平くん(スタントマン)や、
智宏クン(スーパーの企画マン)を誘えば面白い。
・・・今日に今日では、二十歳そこそこの
遊びで忙しい彼らには無理なこと。
スーちゃんは、もう尻に火がついているんだ。

・・・一人で行くぜ。

まず、宝舟では、東京の草分け格の
五条天神社から。
ここは京都の五条天神社の分社格とでもいえる老舗だ。

五条天神社
五条天神社

元日の東京は曇天にもかかわらず、
上野公園は、初詣の晴れ着姿の人達が
3、3、5、5連れだって賑わっていた。
破魔矢を手にした若い娘さん達が楽しげに歩く、歩く。
境内の中央には、
注連縄[しめなわ]で囲った一角があり、
去年のお守り類のお焚き上げの煙がたなびいていた。
青い目の外国人が日本人妻にいろいろと
説明を求めているのが印象的だった。

この神社の宝舟は、ほうしゅう、と呼ぶ。
和紙に描かれている墨絵の宝舟は、
一筆書きのもの(霊山筆)と、
宝舟に宝物を満載した宝舟(香雪筆)の2種類がある。
一枚ずつが600円ナリ。

一筆書き(霊山筆)
霊山筆
宝舟(香雪筆)
香雪筆

次に妻恋神社(湯島)へ。
東京医科歯科大学の裏手、
神社近辺には、「妻恋神社」と大書したのぼりが
爪先上がりの道沿いに並び、
辿って行けば神社に案内してくれる。

妻恋神社
妻恋神社

ここは、江戸時代には、
王子にある王子稲荷とともに有名になり、
参詣人を集めた。
先の大戦で、神社はむろん
宮司も焼死した悲運の神社だった。
今では、「妻恋会」と書いた印絆天[はんてん]を着た、
町内会の年配のおやじさん連中が、
境内のテント張りの店で、
縁起物を売り御神酒(地酒の神田川)を振舞っていた。
向こう三軒両隣のおじさん達、
商店街の努力というべきか。

もともと縁起物の「夢枕」の版木は、
300年以上も前、
17世紀半ば(万治年間)に売り出された。
ところが、大切な版木は、
第二次世界大戦の戦禍に遭って、
神社と共に焼失したと思われていた。
いきさつは省くが、奇跡的に昭和52年12月、
摺師の家で発見されて、
幻とされていた「夢枕」の刷り絵は、
再び日の目を見ることになった。
福寿鶴亀一枚と七福神が乗り合っている
色刷りの宝舟である。
二枚一組で500円ナリ。

福寿鶴亀
福寿鶴亀
乗合宝ぶね
乗り合い宝舟

最後に麻布十番稲荷神社へ。
もう日は落ちていた。
地下鉄「麻布十番」駅の脇なので
アクセスは便利だが、
なにせ大都会のまん中である。
20段の急な石段を登るともう本殿になる。
前の二つの神社と違って、
ここは「麻布七福神めぐり」と関係が深い。
年配の男女が思い思いに来て、
コースのスタンプを巫女に押して貰っていた。

ここの宝舟は「紙絵馬」と呼ぶ。
大戦後、画家に依頼して描いた画稿をもとに
孔版印刷した色絵である。
木版画でないためか、なんと一枚100円ナリ。

麻布十番稲荷神社の宝舟
麻布十番稲荷神社の宝舟

絵の右上には、歌が一首書かれている。
この歌は、前から読んでも後ろから読んでも同じになる
回文[かいぶん]である。

・・・・ながき世の とをの眠りの みなめざめ
波のり舟の 音のよきかな

(長き世の 遠の眠りの 皆目醒め、
波乗り舟の 音の良きかな)

他の神社の場合、
宝舟の絵が書かれているだけなので、
この歌を絵の横に書き添えるとお守りになるという。
枕の下に敷いて寝たり、玄関に貼ったり、
唱えるだけでもよく、凶運を払い吉を迎えるというわけだ。

さて、実際に三組の宝舟の絵を我が手にしたスーちゃんは、
いよいよ待望の正月二日の夜を迎えた。
3つの神社のどの宝舟を枕の下に敷くか?
くだらないことと、笑いたもうな。
迷いだしたらきりがないのだ。

宝舟では歴史のある五条天神社にするか、
不死鳥のように蘇った妻恋神社のも効能ありげだし、
いえいえ麻布十番稲荷神社のだって、
コースに組み込まれていて普及しているようだしサ。

神様どうし喧嘩するはずもないし、
三枚だと、パワーも上がるだろう・・・

“そうだ、3枚一緒に敷いて寝ようっと!”

ところが・・・
頭を枕につけるやいなや、
あっという間に眠りの世界へ。
悔やんでも悔やみきれないことに、
朝まで熟睡した。

結果は無惨にも、
一かけらの夢も現れなかったのだった。

来年は、そうだ!
修平くんと智宏くんに一枚ずつ貸してやろ~っと。

「絶対、夢を見てねっ」

と、脅迫しようかな。