石童丸(キツネの化け母)
昔むかし、山奥のお城にな、殿様いたけど。
若けえいい男で、秋の木の葉ッコが、サラサラッと、落ちるあたり、
家来達に
「おい、今日は天気いいから、狩りに行こう。
兎でも捕って来るべ」
なんて、準備して、馬サまたがって、
ズ~ッと一里も二里も山の奥サ、入って行ったけど。
で、木の葉ッコが散って、向こうの薮ッコが
いいあんばいに見えるところに来た。
椿の薮ッコの中から、何だかサラサラッと、動いたんだけど。
(東成瀬村の方言は生き生きと響きますが、
全国区の読者の理解のために、会話のみ方言の注を入れます)
殿様は馬の上からバーンと矢を射たところ、
ころっと何かが倒れた。
家来がすぐに走って行って、その獲物を持ってきた。
若いキツネだった。
まだ、大人にならない若いキツネ。
左の腿[もも]に矢が当たって、歩けなくなって、
転んだところだった。
殿様は、
「あ、これは可相相なことをした。
ウサギだったら、鍋に出来るんだが、
キツネだから鍋にもならないな
(ウサギなばヒャー、鍋サへるども、キツネだば、鍋サもへヤらねし。)」
自分の撃った矢を抜いて、
家来から手拭を貰って傷の手当をしてやった。
「こんな時、人のいるところにでてくるものではないぞ。
隠れていろ
(こんただ時な、人のみるどこサ出はってくるもんでね。
ずっと隠れていろ。)」
そう言って、キツネを放してやった。
キツネは、思った。
・・・なんて優しい殿様なんだろう。
殺されても仕方がなかったのに。
・・・素敵な若者だこと!
キツネは、惚れぼれと殿様を振り返り、振り返りしながら
薮に消えた。
キツネは、知恵をしぼった。
・・・何とかして、殿様のおそばで暮らしたいものだ。
ひと月たちふた月たち、
やがて雪が、ちらちら降りはじめた。
ある日の晩げ方、
殿様の勝手口の裏木戸をそっと叩く者があった。
戸を開けてみると、そこに旅姿の娘が立っていた。
きれいな顔をした、17、8歳位の娘だった。
「何だ、何してる?」
「旅の者ですが、今夜泊まるところがありません。
今夜、一晩だけ泊めてくださいな
(おら、旅して来たんだども、
今夜泊まる宿、無えがら、
何とか今夜一晩、泊めてけろ。)」
「いいよ。一晩位なら泊めてあげよう
(いいよ、いいよ。一晩ぐれえなば、泊める。)」
女中頭がそう言って、中に入れた。
あたたかいご飯とお汁を出して、ともかくその晩は、泊めてやった。
次の朝になると、娘は早く起きて、
進んで庭や便所まで、一生懸命掃除した。
「一晩泊まるだけだから、そんなに仕事をしなくても、
ゆっくりしていればよかったのに
(一晩、泊まってあれば、そんなに仕事しなくても、
ゆっくりしてれば、よかったヒャー。)」
娘は、
「いえ、いえ、宿代がないから、それに当ててください。
私を使ってくださいな
(いやいや、おれ、夕べ旅篭賃もたねから、
旅篭賃あて、
おれこと、使ってけれ。)」
きれいな娘なんだが、
何だか左の腿[もも]のあたりををかばって、
びっこをひいているような姉っこだった。
性格も悪くなさそうなので、
旅篭賃出すことはないよ、と言いきかせた。
しばらくすると、
“行くところが決まっていないのだったら、働いてもらってもいい。”
ということになった。
一年経ち、二年経っても
その娘は、出て行くと言わなかった。
他の女達よりいい仕事をしたし、
みんなに可愛がられる人だった。
そうしている内に、どんどん上の方に出世(?)して、
殿様の側近くお仕えする身となった。
どこにも行かないで、
片時も離れずに殿様の側で一生懸命、仕えた。
殿様の髪を結ったり、洗濯をしたり・・・
そういう仕事をすることになった。
娘は、ああ、幸せと思った。
みんなが、
“いい娘だ。
仕事をよくやるし、きれいだし
(いい娘っこだ、仕事えぐやるし、きれいだし。)”
と、ほめそやすようになった。
噂が殿様の耳に入るようになり・・・
殿様もソノ気になったのか、
「ああ、いい娘っこだな」
などと、口にした。
びっこ引くのだって、何にも気にならなくなった。
殿様も木石ならぬ若い男。
その娘を見る殿様の目付きがだんだん変わってきて・・・
やがて、愛を交わしちゃったんですね。
娘のおなかが、大きくなってきた。
隠そうとしても隠せなくなった。
赤ん坊が生まれた。
男の子だったので、殿様は石童丸と名付けた。
娘は、若様の母となり、奥方さまと呼ばれる身になった。
前にも増して、一生懸命に、殿様の身の回りの世話をした。
不思議なことに、殿様の髪を結うときに、
絶対に鏡を使わなかった。
そうこうする内に、石童丸も4歳位になった。
ある日、殿様が出かけて、奥方は縫物をしていた。
つい安心して、こっくりこっくりと居眠りしたんですね。
晩げに、殿様が戻ったとき、
勇敢な殿様さえ腰を抜かしそうになった。
・・・ヒヤー、
あんどんの明りに映ったのは、
島田の髪の横から、
耳がジョコッと突き出た妖しい奥方の姿。
殿様の心に、脈絡もなく、突然閃いたものがあった。
・・・左の足を引きずって、
薮に逃げ込んだキツネの姿にだぶって、
左の足を引きずって歩く奥方のようす。
ははあ、あの時のキツネであったか?
そのとき、殿様は真実を悟った。
しかし、誰にも言わないで、
知らないフリをして暮らしていた。
正体を暴いたところで、子どもまでなした今、どうしようもない!
息子はだんだん大きくなって、可愛く育った。
5歳になり、6歳になった。
あるとき殿様は、髪を結って貰うとき、
それまで、一度として、奥方は鏡を使わなかったが、
髪を見るふりをして、鏡をそっと覗いて見た。
・・・ああ、やっぱり。
そこには、髪を結うキツネの面[つら]が映っていた。
・・・間違いなく、あのときのキツネだな。
殿様は悩んだ。
奥方はもっと深く悩んだ。
“おらは、キツネだ。
それを気付かれたからには、こうやってこの人の側には、
おられねえ。”
“いままで、優しい殿様と暮らして、幸せだった。”
・・・あ~ああ、どうしたらいいか(よかんべ)!
山には帰りたくないしなあ。
しかし、ここにも居られない。
可愛い石童丸をどうする、捨てて行けるか?
キツネは、何日もあれを思いこれを思って、悩み抜いた。
ついに心を決めた。
かぶりを振り雑念を払うと、きっぱりと立ち上がった。。
“石童丸は乳を飲ませなくていい。
一人で遊ぶ年頃になっている。”
人間のままでいるよりも、キツネに戻るほうを選んだ。
殿様がまだお帰りにならない内に、石童丸を寝かしつけた。
“いとしいわが子と別れ、
今なお恋する殿様とも別れて、ここを出て行く。
どうしようもないけれど、ここを去る。”
哀れにそう覚悟を決めると、キツネの姿に戻った。
殿様の硯[すずり]を持って来ると、障子に向かった。
さらさらとしたためたのは、
次の歌一首である。
恋しくば、尋ね来て見よ、和泉なる
信太[しのだ]の森の 恨み葛の葉
(この民話の山場であるこの場面で書いた歌は、
子別れ歌としてつとに有名となった。)
恋しくなれば、弓矢で撃たれたあの森に来てほしい、
と言っているのである。
殿様は、
・・・おれ、キツネに重ね重ね悪いことをした。
キツネのことを知らなかったとはいえ、
石童丸まで、なしてしまった。
愛しいわが子、石童丸・・・
その思いは消えることがなく、
後添いの奥方もめとらず石童丸を育てた。
石童丸は10歳になった。
あるとき、何気なく殿様に尋ねた。
「父上、人の家[え]には、母上という人がいるが、
ここにはどうしていないのですか?
(母上ってがいるけど、おら家には居ねが?)」
かねてから、殿様は、息子が10歳になって、
物事を聞き分けられるようになれば、
すっかり話そうと考えていた。
木の葉がパラパラと散る頃になって、
息子を連れて、キツネと出会った森にやってきた。
(藤原さん「おら家の近くに、狐平[キツネてい]という所あるんだが、
オレ、
その山をイメージして語っているんだが・・・」。
狐平を見たことがなくてもスーちゃんは藤原さんのイメージの世界に引き込まれて、深い思いでこの語りを聞いた。
語りを生で聞くときに感じる、イメージを伴う物語の世界だ。)
殿様「実はな、ここでキツネっこを撃ったことがあった。
(矢は)左の腿に当たったが、
そのキツネが、おまえの母上だったんだよ
(実はサ。ここでヒャー、キツネっこ、アレしてあったってな。
左の腿に当たってヒゃー、おめえの母さんであったってな。)」
石童丸は、父親に言われたように、椿の薮のところに行って、
“母上、母上っ!”
と、大声で呼びかけた。
薮の陰では、キツネがクルクルクルっと3回回ると、
昔のように母の姿に化けて出てきた。
母親「ああ、大きくなったこと!
母が居ない内に、立派な男の児になったこと!
(ああ、大きくなったな、オレ居ないうち立派な男の児になったな。)」
夢にも忘れることの出来ない息子を前にして、
目をしばたいた。
最後に、キツネの母親は、次のように諭した。
「石童丸よ、おまえは、母の畜生の血を引いているから、
ヘビやカエルを食べるなど、
殺生なことをやってはだめだぞ
(石童丸よ、わが畜生の血、継いでいるんだから、
ヘビ食べるとか、カエル食べるとか、そういう殺生なこと、
絶対やっては出来ねえぞ。)」
石童丸は、母がキツネだということを知り、
殿様と力を併せて、いい若者になったということだ。
“昔っこの会”会長
本編は、平安時代中期の伝説的な陰陽師[おんみょうじ]
安倍晴明(伝921年~1006年、85歳で没)
の出自に関わる民話である。
当時、陰陽師は、二つの機能をもっていた。
つまり、中国伝来の陰陽五行説[いんようごぎょうせつ]
に従って、天体を観測したり暦を作ることと、
呪術的な機能として、吉凶を占ったり、
式神(陰陽師のために働く鬼神)を操ることであった。
こうした能力の持ち主は、
神秘的な個性を持つ人材として、
朝廷で珍重されたようだ。
何しろ、方違えを実践し、呪い、
たたりが生活の中で息付いていた時代である。
現代では、毎日がこんなのに縛られるならば、
息苦しくて何も出来ない、と思うが、
陰陽師の腕で、呪いを解いてもらったら、
病気が治ったなどの体験があれば、信じたことだろう。
安倍晴明は、40歳頃、中年になって、
時の帝、村上天皇に
占いの才能を重用されるようになった。
のち59歳で、花山天皇の命令で那智山の天狗を封じて、
貴族社会に抜きんでる陰陽師となった。
陰陽道を司る名門・土御門家の始祖とされている。
これ以降の働きは、貴族達の残した記録、
例えば藤原道長の日記『御堂関白記』
に記されている。
彼は、式神(十二神将や、三十六禽)を
自由に操って家事をさせたり(ひどく実用的ですね!)、
怪異を起こしたり予言をなしたという。
その実例は記録に書き留められている。
なぜか、分からないが不思議な力を持つ人物で、
陰陽寮(平安朝の国家機関)の高位の陰陽師として
頭角をあらわした安倍晴明。
ただ、どうしても分からないのが、
子ども時代のことであった。
人間業とは思えない数々の事績を知る時、
当時の人々は、彼は「化生の生まれ」 と考えたようだ。
ここに登場するのが、キツネの母親である。
キツネと人間の間に子どもが生まれるか、
この異類婚の意味するものはいったい何なのかは、
本編で取り上げるべきテーマではないが、
●キツネは、遺伝子まで、人DNAに化けることができた。
●若殿様と、被差別部落の娘との
身分違いの悲恋物語だった。
など、いろんな方面から考える人がいるのですね。
昔話は、そもそもファンタジーの世界である。
異類婚の理論が成立するかどうかは、
考え始めると面白いが、結論は難しい。
スーちゃんにとっては、本当のところはネ、
深入りしたくないのである。