雪鬼

(秋田県、鹿角市)

昔あった、酷くて尊い話だがよかったら聞いてください。

むかし、昔、あったけど。
ある町から少し離れた、山奥に一軒家があって、
そこに 父(おど)と母(おが)
仲良く暮らしてあった。

語る 阿部 益栄氏
語る 阿部 益栄氏

ある冬のこと、朝から雪がノンノンノンと
ものすごく降る日だった。

(次からは、読む場合の容易さを考慮して、
会話のみ方言注を入れます。)

(おど)は、

「母(おが)、今日は用があるから、町に出かけてくる
(今日、町サ、用っこあるたいに 出がげで行ってくる。)

と、話したら、おがが、

「何でこんなに雪の降る日に、行かねば、ならないのよ、
行かなくていいのに
(何して、こんたらに雪の降る日に 行がねばなねのよ。行がねだ。)

と、止めたのだそうだ。
それでも、おどは出かけて行ってしまった。

しばらくしておがは、ものすごく雪が降るので、
窓から外を見ていた。

雪の降る中をこっちにやって来る者がいた。

よく見ると、それはおどではなく、鬼だった。

さあ大変だ!

おがは、びっくりして、
いろりの上にある火棚の上にあがって、隠れていた。

しばらくして、鬼が戸口から入ってきて、
ドダバダと足の雪を払うと、

「おが、居るか?(おがあ、居だが?)

と言いながら、座敷に上がって来た。
おがの姿がないので、

「どこに隠れているんだ!(どごサ隠れでら。)

あっちこっち戸棚の戸を開けたり、板戸を開けたりして探したが、
なかなか見つからなかった。

しばらく探しているうちに、火棚の上から、
おがの黒い長い髪が、下がっているのを見つけた。
鬼は、その黒い長い髪を、ダックリ引っ張って、
おがを座敷に引きずり下ろすと、
むしゃむしゃと食ってしまった。

やがて、何にも知らないおどが、町から帰ってきた。

「おが、帰ってきたぞ(おが、今来た。)

そう言いながら、家に入った。
いつもなら、すぐ出てきて、

“さあ、何があったんだ、どんな事ががあったか?
(何かあったが、どんな事があったが?)

などと、いろいろ聞くのに、
今日はどうしたことか、おがは出て来ない。

「おや、おかしいな、何かあったのかな?
(おがしな。何があったべが?)

不審に思って、座敷に上がって見たときに、おどは、
ヤヤヤ・・・座敷が血だらけだ、
と気が付いた。

「さあ大変だ。鬼に食われてしまったんだ。
今朝行くときに、おがが止めたのに…
行かねばよかった!
なんというむごいことをしてしまったのか!
(鬼に食れでしまった。
おれ今朝、おが、行がねだて止めだ時、やめればえがったのに…。
なんてむじょい事してしまった。)

悔やんでも悔やんでも、どうしようもないことだった。

次の日の朝 起きると、
雪がやっぱり、ノンノンとたくさん降っていた。

「きっと今日も、鬼は、出てくるかもしれない(知れね。)

そう思って、いろりに隠れて、じいっと座って待っていた。
しばらくすると、やっぱり鬼が来た。

「おど、居るか?(居だが?)

そう言うと、戸口から入ってきて、座敷に上がってきた。

「なんだ、居るのか、居るんなら返事をしたら、いいだろう!
(なんだ居だなが、居たら返事したら、えがべ!)

それでもおどは、押し黙って下を向いていた。
すると鬼は、おどを食う気になって、
毛むくじゃらな大きな手で、おどの肩をむんずど掴んだ。

その時に、おどは振り向きざまに鉈[なた]で、
鬼のなづぎ(額)をワタッと叩いた。
鬼は、

「痛い!(痛でっ!)

一声あげて、外に飛び出した。

おども鬼の後を追って外に出てみたが、
そこにはもう鬼の姿はなかった。
よく見ると、真っ白い雪の上に、
鬼の額[ひたい]から流れた血が、ポタポタポタと、
こぼれた跡がついていた。

おどは、その血の跡を辿って行った。
山を二つも三つも越えて行くと、大きな木があった。
その木の所まで行くと、血の跡は消えていた。

おどが、おっかなびっくりその大木の後ろに回って見ると、
大木がうろ(うど、空洞)になっていて、
その中で鬼が丸くなって死んでいた。

おどは、うろに入る気になったが、

“待てよ、本当に死んでいるんだろうか?
(待でよ、ほんとに鬼、死んでらべが?)

と思った。
鬼の肩に手をかけてゆすって見たが、
動かなかった。

「はあ~、やっぱり死んでいるな。
これでやっと、おがの仇討ちができたな
(はー、やっぱり死んでら。これでやっとおがの敵討ちできだ。)

おどは、そう思うと、涙がすっとこぼれた。

おがの事など、いろいろと思い出しながら、家に帰って来た。
おがの居ない、我が家のさびしいこと、寒いこと。

そのうちにおどは、
風邪をひいて死んでしまった。

その事を近所の人達が聞いて、

「ああ、あの人達、仲が良かったから、
おがが、おどを迎えにきたんだ、
連れて行ったんだ!
(あー、あの夫婦、仲良かったがら、
おが迎えにきて、連れで行ったんだな。)

と、同情したそうだ。

阿部さんの締めくくり。

だからなみんな、よく聞けよ。
雪がたくさん降る時は、外に行くもんでないぞ。
鬼が出るからな。

どっとはれ
鹿角市の特別史跡、大湯環状列石
鹿角市の特別史跡、大湯環状列石
2つの環状列石を主体とする大規模な縄文時代後期(約4000年前)の遺跡。
写真提供:(社)十和田八幡平観光物産協会

スーちゃんのコメント



【語り部】 阿部 益栄さん(昭和4年6月生まれ)
【取材日】 2004年4月24日
【場 所】 鹿角市立花輪公民館
【同 席】 鹿角民話の会有志、伊藤清一氏(大曲市)
黒沢せいこ氏
新聞社取材 「秋田魁新報」(取材記事は、4/25/2004に掲載)
「米代新聞」他鹿角駐在の記者の皆さん。
【翻 字】 黒沢せいこ氏
【取 材】 藤井和子

雪がシンシンと降り積む、銀世界に囲まれた一軒家は、
こつぜんと現れるような山家[やまが]である。
これは、そんな荒涼とした雰囲気を漂わせている
“みちのくの冬”に起こった、
人を食う鬼の話である。

なぜ鬼は、人を食うのか。
人間を食うなどというのは、食欲を満たすためだろうか?

ここで、ハタとある体験を思い出した。

・・・かつて、グアテマラの熱帯雨林(古代マヤ文明のティカール遺跡)
アメリカ人旅行者に入れて貰って、
一人旅をしたことがあった。
1999年のことであった。

駐日グアテマラ大使館の後援で、スーが主宰している
「世界のお茶の会・・・グアテマラのコーヒーとお菓子を味わう」
を企画・開催するに当たって、
古代マヤがどうしても分からず、
じかにわが目で見ておきたいと思ったからだった。

思い立ったが吉日とばかりに、
切符を握りしめて、成田を飛び立った。

さて、背の高い熱帯樹林の中で見た、
生け贄[いけにえ]を横たえた 石の台座を見て、
説明を聞いたときには・・・
彼ら同様にスーも息を呑んだ。

なぜか?

仰向けに横たえられた生け贄は、
逃げないように手足を神官が捕まえ、
もう一人の神官が石斧で胸を裂いて、心臓をえぐり取る。
遺体は埋めるか食べたという。

現地のガイドは笑いながら、石の上に横たわってみせたが、
台座の石の上で紛れもなく人間の血が流されたのだ。

チチェン・イッツア(メキシコ)
古代マヤの人間供儀の儀式(ジャガーの神殿)

心臓は神(主に太陽神)の供物となり、
流れる血は神像の顔に塗ったらしい。
殺人を犯してまでも、心臓を神に捧げるとは、
そもそもどういう神か、と思った。

古代マヤ人の考えでは、
・・・神は自分を犠牲にして、太陽や月を創造したのだから、
人間も生け贄を捧げることによって創造神に血を捧げ、
活力を与えなければならない。
人間にとって一つしかない命、この大切な命を捧げて、
神に対する畏怖の気持ちを現わすとは、
恐ろしいことだ。

このような古代マヤ(グアテマラ、メキシコ、ホンジュラスなどの
中米一帯、紀元300~900年頃、最盛期だった)

やアステカ(メキシコ、14世紀)は、
宗教儀式の一環として、人間を供物とした。

もう一つ。
宗教的な意味を持たない世界史の中のカニバリズム
(人肉を食う風習)を考えても、
腹が減ったから人間を食す、のではなく、
人肉嗜食[ししょく]によって、
相手の持っているパワーを獲得出来ると信じた風習とされている。
(インディー・ジョーンズの映像の世界とダブリますか?)

人間が人間を殺すことは、きついタブーである。
食すことは、相手の全てをわが腹に収めることで、
相手を抹殺するより、さらに完ぺきに否定することである。
タブーを踏み越えてまで、秘儀を行うには、
厳密な宗教上の赦しがあるとか、
誰もが納得出来る合理的な意味付けがあったからだろう。

鬼の姿を見た者は、誰もいないのだから、観念の遊戯になるが、
古代日本において、人肉を食す宗教上の秘儀があったのか、
あるいはカニバリズム的な風習があったのではないか、と思う。
根っ子にそういう歴史があったが、
庶民の民話の中では、意義がすっ飛んでしまい、
単に“人を食う鬼”となったのではないか、
今はそう思っている。

鬼剣舞
鬼剣舞(おにけんばい、北上市の重要無形文化財)
これは悪いことをする「悪鬼」ではなく、仏の化身とされている。
いかめしい表情は、魔を払うためである。この鬼には角がない。
写真提供:岩手県北上市