あぐりこ伝説
昔々、杉宮村(すぎのみや、現在の羽後町杉宮)って村に、
“あぐりこ”っていう娘っこがひょこっと現れだんだけど。
大した容姿[みがけ]の良え娘っこでな、
みがけによらず働き者で、
みんなの家[え]回って、助けて歩っていたんだけど。
助けて貰った家では、大した喜ばれだってよ、
「あぐりこ、あぐりこ。
何かごっつお、さんねか。
おまえ何、一番好ぎだけな?」
「おらあ、油揚げ好ぎだ」
そんなわけで、みんなで油揚げ料理作って、
あぐりことこ、持って行ったんだけど。
(こんな調子で語りが始まったのですが、
以下では目で追うときの容易さを考えて、全国の読者のために、
会話のみ方言にした注を入れます。)
あぐりこは、
「あした、もう一日、手伝ってくれないか?
(手伝だってきねか?)」
と頼むと、次の日にはちゃんと現れた。
じゅんじゅんと回って歩くうち、皆も
“ああ、明日は、おらえ(我が家)の番だな。”と、
楽しみにして待つようになった。
けれどもあぐりこが、どこに生まれて、
どういうわけで杉宮の村に来たかを知る人は、誰もいなかった。
それを聞いて仕舞えば、それに触れて仕舞えば、
あぐりこはもう二度と現れなくなるのではないか、
そんな気がしたからだった。
そのことには誰も触れなかった。
あぐりこは、秋になれば、どこへ行くともなく居なくなって、
春になれば、またひょっこり現れた。
そうして5年目の春、
どうしたことかあぐりこは姿を見せなかった。
「あぐりこは、どうしたんだろう?(あぐりこ、何じょうしたべ?)」
皆はそんなこと言ったけれども、現れなかった。
それからまた半年ばかり経ったある晩に、
杉宮の肝煎(きもいり、名主・庄屋格の世話役)の夢枕に
あぐりこが現れて言った。
「だんなさん、だんなさん。
あぐりこですが、覚えていてくださいますか?
(おらあぐりこなんしぇ、覚えてなんしか?)」
「実は、このたびお上から官位を授かることになったのですが、
上納するお金が十両ほど足りないので、困っています。
どうかその金を、村の方々にお願いして、
お貸し頂けませんか?
(実はなあ、この度、お上から官位を授かることになってなあ、
上納する銭っこ十両足りねで、困っているとこなんし。
どうかその十両の銭っこ、村の人達、おらサ貸してきんねべか)」
と言うのだった。
不思議な夢をみたな、と思った。
その上、毎晩立て続けに同じ夢を見るので、
肝煎は村の人達を集めて、そのことを相談した。
そうしたところ、皆は、
「あぐりこの言うことなら、
どんなことだって聞いてやらねばな
(あぐりこのためにはよ、何だことだって、聞いでけねゃばでげねゃ。)」
と、言いながらたちまちのうちに十両、集まったのだった。
しばらくすると、またあぐりこが夢枕に立って、
「だんなさん、だんなさん。
その十両は杉宮大明神の社壇の上に、
上げておいてくださいな(上げておいてたんせ)」
肝煎は、神社の社壇の上に供えた。
しばらく経つと、あぐりこがまた夢枕に立った。
「だんなさん、だんなさん。
お陰で、めでたく官位を授けて頂きました。
ですが、住む家がなくては、バカにされるのです。
小さくても結構ですから、建てて貰えないでしょうか?
(お陰様で、めでたく官位、授げて貰ったんし。
ンだのも住む家ねゃどて、卑[や]しめられるおで、
どうか小[ちゃ]こくてもええがら、建でて貰われねゃんしべが。)」
「明日の朝までに、
杉宮の村外れに杉林を作っておきますから、
どうかその杉で、お堂を一つ作ってください
(明日の朝[あさま]まで、杉宮の村外れサ、杉林作っておぐがら、
どうかその杉で、お堂っこ一つ作ってたんせ)」
と、三指をついて頼むのであった。
肝煎が次の日、村外れに行ってみると、
何と昨日まで田圃だったところに、
何百年も経ったような杉林が青々と茂っていた。
肝煎は村に戻って、お堂のことを相談した。
誰一人反対する者はなく、皆で力を合わせて、
たちまちの内に立派なお堂を建てた。
それが「正一位元稲田[げんどうだ]稲荷神社」、
“あぐりこ様”のことだ。
あぐりこ神社の正式名は、元稲田神社[げんどうだ]といい、
正一位稲荷大明神である。
本篇のキツネのあぐりこは、ここの祭神ではない。
この辺について、神主の三輪宣比呂氏(70)の話や、資料によれば、
「お祀りしている神様は、豊受大神[とようけのおおかみ]という
女神であり、いざなぎの尊の孫。
和久産巣日神[わくむすびのかみ]の子で、
キツネのあぐりこは、豊受大神に仕える神使いである」
という。祭神の豊受大神は、食物を司る神様とされている。
では、稲荷神とはいったい何か。
イナリは、稲生りのなまった言葉で、五穀豊穣、保食神とされている。
もともと稲荷神社は、山城の国の秦氏が、
農業・養蚕の神として祀っていたものであった。
次第に農業神、商業神として、
土地神や屋敷神としても全国に広まって行った。
あぐりこが正一位に昇るのに、十両足りない、というのは、
民話の持つ独特の肌触りを感じるが、
そもそも位階は律令制のもとで、朝廷から臣下に賜ったものであった。
奈良時代も中期になると、これが人ばかりではなく、
神にもその実力に応じて下されるようになった。
例えば、天変地異や疫病を鎮めたり、
霊験あらたかさを認められた神々に対して、である。
神様も、うかうかしてはいられない時代であった。
稲荷神には、何回か位階が授けられ昇進(?)を重ねたが、
ついに942年(天慶5年)には、朱雀天皇から
最高位の正一位が授けられた。
地方の稲荷神社も「正一位稲荷大明神」を名乗ることが一般化した。
神社でよく目にする「正一位稲荷大明神」の幟旗も、
こういった歴史的な背景があったわけだ。
稲荷には、このように民衆の信仰対象として、
奈良時代からの長い伝統があった。
一方、平安時代の空海の出現によって、
真言密教では、稲荷神はダキニ天と同一視された。
(注: ダキニ天とは、人の心臓や肝臓を食する夜叉で、
6ヶ月前に人の死を予言出来る力を持っていた。
仏の力により善化した。)
真言密教と結びついて、稲荷神社では密教の行が行われる一方、
民衆は稲荷に詣でて、従来のように現世の福徳・利益を願った。
平安後期には、ダキニ天は霊狐とみなされるようになり、
姿を見せない霊狐は、女性に乗り移って、
神の言葉を伝えると信じられた。
こんな折りに興味深い読者のお便りがあった。
「中学校のとき、“こっくりさん”をやったことがあって
怖い目に遭ったことがあります。
それ以来、稲荷神社は今でも鬼門です。
近づくと寒気がします。
実家の稲荷は大丈夫ですけれど」
稲荷神とこっくりさんには、関係があるのだろうか。
こっくりさんのことは、ご存知でしょう?
「こっくりさん、こっくりさん。
おいでになったら、十円玉を動かして、“はい”にお進み下さい」
で始まる占い遊びである。
過去のことを良く当てるが、未来は(?)と言う人もいるが、
不気味なことも言う。
「この中で一番早く死ぬのは誰ですか?」と聞くと、
「お、ま、え」などと文字版の上を指して、
放心状態になった小学生もいたらしい。
お便りの読者のいう恐い目に遭った詳細は分からないが、
子どもの心にとっては、危険な遊びになる。
それにしても、稲荷神とこっくりさん、妙な取り合わせである。
“こっくりさん”は、現代版の霊狐、
つまり神様のお告げを伝えるツールではないか、と思った。
この読者の場合、“稲荷神社に近づくと寒気がする”というが、
こっくりさんのトラウマが、(霊狐の宿るとされる)稲荷神社と
心の中で重なりあって、今も尾を引いているのだろうか。
興味深いお便りであった。多謝。