影の無い新妻(懺悔花)

(山形県新庄市)

昔、むかしあったけど(新庄の昔話の出だしの決まり文句です)

ある所に長者がいて、きれいな娘がおりました。
年頃になって縁談が来ても、

“行かね、やんだ(いやだ)

と首をふり、嫁に行くとは言わなかった。
見合いもずいぶんしたのですが、どうしても行くと言わない。
なんで嫁にゆかねえんだ、と人にも聞いて貰ったが、

“何にもねえんだ”

と言うばかり。

同じ年頃の娘達はみんな嫁に行って、ンボコ(赤ん坊)おぶって、
片肌脱いで乳を飲ませているのでした。

親たちも、とってもこれでは駄目だ、後がつかえて来てしようがない、
この娘は後回しにして、

“弟さ、先に嫁、貰わねばなるまいか(なんべえかな)

と、いう所まで来てしまったのです。

新庄市の雛祭り
新庄市の雛祭り(提供:新庄市)

その時、越中富山の薬売りが縁談を持ってやってきました。

「あの~、お宅の娘さんとこ、嫁貰いてえって人来たけど、
嫁に出さないか?(来らんねえべか?)

「駄目だよ。見合いしたって出て来ないし、
行かないって言うから駄目なんです
(駄目だじゅう、なんぼ見合いしたたって、出はらねえス、
行がねって言うサケ、駄目なのだ)

母親は、いつものように断わりました。

この薬売りは熱心です。

「でもよ、秋田の院内[いんない]の旦那衆の跡取りで、
とてもいい男だて、
お宅のお嬢さんと似合いの夫婦[めおと]なっぺや。
おれ、仲人をするから。
・・・連れてきてみるから、会わせて欲しい
(仲人するてなよ。連れてみっサゲて、会わへてけろな)

かかさんは、駄目だ、駄目だと断わったのですが、
この薬売りは行動的でした。

すぐに院内のその息子とやらを連れて来ました。

かかさんはその男を一目見てびっくり。
背はおっきくて男ぶりはいい、水も滴るいいおとこ(めごち男)とは、
こういう若者をいうのだろうか。
母親でさえ、微笑みながら若者に会釈をされると、
くらくらしました。

かかさんは薬売りに言いました。

「何ぼいい男でも、オレの娘、行くって言わねもの、
駄目だ、駄目だ。
悪いけど、このまま帰ってくださいワ」

その時、娘が横あいから出てきて、
そっと母親の袖を引っ張りました。

・・・あんまりいい男だもんで、嫁サ、行きたくなったんだと・・・
(と、しづえさん)

断わるな、の合図だと察した母親は
あわてて言いました。

「どうか上がってくださいな」。

こっちもいいおなごだけれど、あっちは大した男前なので、
話はあっという間に決ってしまいました。

長者なので、立派に結納も済ませて、
ムサカリ(結婚式)の日取りも決った。
どうしたことか、この娘、
次第に何か浮かない顔になってきました。

かか様が娘に

「何を心配している。
あんなに喜んで決めたのに浮かない顔をして。
何か心配ごとでもあるのか?
(何心配してんだか。喜んで嫁、決まったのに、何してうれた顔してる。
何か心配ごとあんだか?)

と聞いても、首を横にふるばかり。
ご飯が喉に通らなくなったのか、だんだん痩せてきました。

よくよく聞いてみると、
こんなことを言いました。

「本当は、嫁に行ってもいいのだけれど、
子どもを産むのがいやだ。
自分の器量が下がる」

「友達は、嫁に行って、
おなかが大きくなったと思ったら、赤ん坊を連れて来て、
おっぱいをぶらぶらさせて乳を飲ませたり、
赤ん坊が鼻をでろでろ垂らしているのをなめてやったりしている。
ああ、嫌だ、嫌だ
(ホントは、嫁、行ってもいいんだけんど、ンボコ成すのやんだ。
友達、嫁、行って腹大きくして、ンボコなすと、乳っこぶらぶらブラ下げて、
鼻でろでろ垂らしたンボコども、なめってけったりしてんな見て
・・・方言では映像のように情景が動きますね)

「子どもを産むのが嫌だ、嫁に行きたくないよ
(おれ、ンボコなしたくねえ、嫁など行がね)

と、駄々っ子のように言うばかり。

式の日取りはずんずん近づいてきます。
この娘は動きが取れなくなってしまいました。

いい知恵も浮かばないまま、
困り果てて村のおなかま(拝み屋)の家に出かけて、
相談しようと思いました。
戸を叩くと、

「おなかまのかか様、赤ん坊を産むのが嫌で、
今まで嫁に行かなかったのです
(かかっ様、かかサ、おれよ。
ンボコ成すのやんだくて、今まで、嫁、行かなかったのよお)

「嫁に行っても、赤ん坊を産まないまじないは、ないものかなあ。
教えてくれないかな?
(なんじか、嫁、行ったって、ンボコ成さねえ、まじないでも、
ねえもんだべかや。教えてくんねえか?)

中から声が聞こえてきました。

「そんなことは出来ないぞ。
おなごに生まれたら、嫁に行って、
子どもを産むのが女の務めだ。
子どもを産みたくないなどと、罰当りなこと言うもんじゃない。
子どもを産まねばならないのだよ
(そったこと、出来るもんでねえ。
おなごと生まれて、嫁、行って、子ども成してこそ、おなごの務め果たすのだ。
ンボコ成したくねえ、だなんて、罰当りなこと言うもんでねえ。
必ず、ンボコ成さんなねのだ)
」。

娘は、一心に頼みました。

「どうしても、子を産むのが嫌だ。
助けてほしいんです
(何としたって、オレ、ンボコ成したくねえ。助けてけろ)

「子を産まないようにするのは、世の中でも一番の大罪なのだ。
また、大罪を助ける者も罰を受けるのだよ
(ンボコ成さなくすることは、それこそ世の中でも一番の大罪だなのだ。
大罪を助けると、オレも罰、受けねえねんけんども)
」。

娘はそれを聞いて泣きました。

・・・根負けした婆さんは最後に言いました。

「それほどまでに言うので可哀相だから、
まじないを掛けてやろう。
(おめえ、それほどまで言うなだもんだら、おめえこと、可哀相だハゲて、
んだら、まじない掛けてけっちゃや)

婆さんは娘を家に入れると、
ぜいちくを出して、八卦を立てました。

「おめえは、おなごンボコ一人、男ンボコ二人成す運命だ」

次に、この3人の子どもを、この世に送り込まないようにする、
まじないを教えました。

「おめえの家の床の間さ、碁盤あっぺ? 
今夜の内サ、白い碁石一つ、黒い碁石二つ、懐さへってて、
誰にも見つけらんねえように、鎮守サ行け」

娘は、その夜...

3個の碁石を懐に入れると、
家族が寝靜まるのをみすまして家を出ました。
真っ暗な夜道を鎮守の森へ急ぎました。

森は闇夜に黒々と横たわり、
神社の辺りはしんと鎮もっています。
婆さまに言われた通り、
裏手に回って古井戸を探しました。

子どもの頃に遊んだ所なので、
何とかなるだろうと見当をつけたのですが、
何しろ真っ暗な闇夜です。

手探り足探り、
やっと古井戸の口に触れました。

“あ、ここが井戸だな”

と、懐の碁石を取り出すと、
ジャパーンと投げ込みました。

そのとき、水音の後から、

おぎゃ~あ、おぎゃ~あ、

不思議な赤ん坊の泣声がしました。
おなごンボコ一人、男ンボコ二人、3つの泣声でした。

娘は、決して後ろを見るな、と、言われたことを守って、
両手で耳を蓋してわらわらと(急いで)
家に帰りました。

これで、まじない掛けてきたから、ンボコ成さね、安心だと、
気持ちが楽になりました。
ご飯も進むようになり、もとの美人に戻りました。

いよいよムカサリの日になりました。

まんず婿殿いい男で、嫁殿もいいおなごで、
まるで内裏雛[だいりびな]をみているようだな、と、
みんなは、たまげて二人を見ていた。

嫁殿の里は長者ですし、
婿殿は旦那衆の一族ですから、みんなは、

“やっぱり長者さまと旦那衆は違うもんだな、佳いこと、佳いこと!”

と、心から祝福して、新婚生活を初めました。

ところが・・・

二人は仲良く暮らしているけれども、
2年経っても3年経っても、子どもが産まれません。

ある秋の月夜の晩に、亭主が誘いました。

「ちょっと、おれと散歩しねか?」。

その晩は月の光が澄み、蕎麦[そば]の花があたり一面、
こぼれるように白く咲いていました。

嫁っこも、行ってみっか、という返事で、
二人、手をつないで、野良へ散歩に出かけました。
蕎麦の花がどこまでも咲いて、
野良やしげみの陰からは
夜鷹だのふくろうがほうほうと鳴く声が聞こえ、
素晴らしい秋の月夜の晩です。

しみじみと幸せな散歩でした。

ずーっと回って、家に戻ったとき、
嫁っこは何気なく言いました。

「本当に、きれいな月夜だったこと!
(何だて、きれいだ月夜だったなや)

すると亭主は、思いもかけず、
きっとした面持ちになって言いました。

「ここさ、座れ」。

「何か、用あんのか?」

「ちょっと、ここさ、座れ」。

嫁っこが座ると、

「あのな、オレ今まで黙っていたども、
おめえ、嫁(に)来る前に、
何か悪いことして、罪犯して来てこねが?」

と、聞きました。
嫁っこが、何もしていない、というと、

「そんなことねえな、何かしてきた、大罪を犯してきたな」

なおも知らないと、シラを切ると、
こんなことを言いました。

「んでもな、今日の名月さま、昔から大罪を犯した人は、
(が)出ねえって言ったもんだ。
今日ずーっと回って見たれば、
おれの影帽子はあっても、おめえのは見えなかったな。
悪いことして来たべ」

と、問いつめました。

「何にもしねえ、何にもして来ねえ」

と、嘘こいた。

亭主は肩を両手で揺すぶって

「おめえの影法師はねかったべ、何かしてきたな」

と、言い続けた。

そこで、観念して言った。

「実はな、赤ん坊が嫌で、まじない掛けてきた
(ンボコ、なしたくねえもんで・・・)

「そうだろう、やっぱりそういう事があったのか。
嫁に来る前におまえはそういうことをしてしまったのか。
罪の半分はおれにもあるから、二人して償おう。
(だべな、やっぱりそういうことあったのか。
オレどさ、嫁来るために、おめえはそういうことしてしまったのだハゲて、
罪の半分はオレさにもあんのだ。二人して償うべ。)

二人は黙って座っていた。
・・・しばらくして、亭主がぽつりと言った。

「そうだ。罪滅ぼしのために、
これからすぐ修行の旅に出ろ(修行に出はれ)

言われるままに嫁っこは、
白無垢を着て、
菅笠にわらじという白装束のいでたちで旅支度をした。

戸口に立つと、亭主はいつまででも待っているから、
頑張って罪滅ぼしするように、
とやさしく言い聞かせた。
泣きながら、ようやくの思いで小さく

「はい、分かりました」

と、言って、
親たちが寝ている間に家を後にした。

月夜の美しい夜更けだった。

嫁っこは、何日も何日も旅を続けた。
ずうっと行った。
気が付くと、南部の恐山(おそれざん、むつ市)付近まで来ていた。
そばの茶店に立ち寄って、
婆さまと話をした。

「修行をさせてくれるお寺、ねえべか?」

「おめえも、何かして罪滅ぼしに来たのか? 
そうだな、この上の前のお寺さ、すごく徳の高いお上人様がいる」

「罪滅ぼしに来る人が、
居いでけ(住まわせて修行させること)って、
ほしてちゃんと修行させて返す。
そこで頼んでみるといいよ(おめえもここサ、頼まっせ)

恐山菩提寺
恐山菩提寺

嫁っこは、すぐに寺を見つけて、
お上人様にお願いした。

「おめえも、そういうことして来たのだな。
哀れなものだ。
オレとこで修行しろ」

初めの三年間は外の仕事。
雨降っても雪降っても、大風が吹いても、
掃除から焚き物割りをした。

次の三年間は寺の内掃除。
炊事から掃除万端、全て務めなくてはならなかった。

後の三年間は、お上人様の身の回りの世話、
それから修行の時間

・・・こういったカリキュラムだったのですね。

恐山水子供養納札所
水子供養納札所、親がたむけたのか、風ぐるまが休みなくカタカタと回っていた。

やがて、明日は満願の日となる日を迎えた。

院内の婿殿は、風の便りで嫁っこが
恐山の麓[ふもと]にある、懺悔寺にいるらしいことを
聞いていたので、思いました。

“明日、罪滅ぼしも終る日だワな。
迎えに行ってみっか”

婿殿は、いつか嫁っこの立ち寄った茶店に寄って、
お茶をご馳走になりました。

「ここのお寺、何ていうお寺ですや?」

婆さま「懺悔寺といって、
罪滅ぼしに来る人、ここで修行しているのです」

「なるほどね。ここに、居たのかな(居だのんねべかな)

そんな話をしていると、寺の山門近くで人が騒いでいるのが聞こえた。
婆さまが言った。

「あらら、何だってこりゃ。
女の修行者が命を落とした!
(おなご人、命、落としたちゃわ)

赤い薔薇、白い薔薇
赤い薔薇、白い薔薇 (提供:杉田智子氏)

婿殿「なしてや? なしてや、婆っつあま」

「あのな。男人が命、落とすズと、
懺悔寺の石垣、白い薔薇[ばら]の花が、
ぱ~っと咲くのだ。
ホラ、見ろ。
今、赤い薔薇の花が咲いたべ」

(薔薇が咲くのは5月で、
話の筋をたどればここは秋のはずですが、
花のイメージを自由に想起してくださいな)

婿殿はあっと叫んで、
急いで(わらわらと)山門へと駆けだした。

ああっ、嫁っこだ!
白装束に身を包んだいとしい嫁っこ!

山門から出かかって、
ばたりと倒れたところだった。

婿は確かに見た・・・

その周りを、黒い衣を着た子どもが二人、
白い衣を着た子が一人、

「おかあさん、おかあさん」

と泣きながら、
ぐるぐる、ぐるぐる回わっているのを。

恐山極楽の浜の地蔵
恐山、極楽の浜の地蔵

婿殿は、嫁っこを抱き起こして叫んだ。

「ここまで来て、何(で)命、落としたのだ!」

寺に入って、お上人さまにわけを話して
懇ろに亡骸[なきがら]を弔っていただいた。
院内で、立派な葬式をすませると、
この寺に戻った。

“これも運命だべ”

と、修行をしながら、
嫁っこの墓守りをして暮らしたという。

その寺は、懺悔寺という名がいつまでも残ったのでした。

どんべすかんこねっけど。

スーちゃんのコメント



【語り手】 斉藤しづえ氏
(大正12年<1923年>3月23日生まれ)
【取材日】 2003年4月30日
【場 所】 新庄ふるさと館
同席、大場せん氏(故人)
【取 材】 藤井和子

先に田沢湖の民話
「じじ石、ばば石」でお話したように、
田沢湖の辰子は、
年を取ると容貌が衰えることを懸念して、
自ら願って永遠の若さを得たものの、
もはや人間ではなくなり竜神となった。
この昔話の娘も、容貌が衰えるので、子を産むのが嫌だ、
と言って降るほどの縁談を断わり続けた。
現実には、産まれた子を殺してはいない。
産まれる前の子どもを手にかけた
ことになっている。

いわば、あの世とこの世がないまぜになったような、
幻想に満ちた世界の出来事である。

それにしても
娘が婚約してからの気重さ(マリッジ・ブルー)は、
大層なものだった。

一般的にいっても、婚約して日取りも決まったら、
女性は大なり小なりブルーな気持ちになるらしい。
その気重さには、程度の差こそあれ、
「相手に対する不安」からと、
「自分に気がかりなことがあって」
等々に大別できよう。

ブルーな気持ちの原因が、相手にある場合は、
比較的に解決は容易だ。

「一生暮らして行く相手として選んだが、
本当にこの人でよかったのだろうか」

「もっと待てば、もっとふさわしい相手が
出て来るような気がする。
親が強く薦めるので決めたが、
あのとき、ノーと言ってもよかった」。

母親は困惑した顔でこんなことを言う。

「うちの娘は、見合いなんかしないと言う。
50になっても60になっても、
納得できるほど好きな人と結婚すると言っているんですよ」

と、50歳にもなっていない母親は、
どうしてよいか分からないと嘆く。
今は成田出発時離婚というのもあるそうだから、
こんなにコシの座ったお嬢さんは、
珍しいかも知れない。

いわゆる結婚条件が、申し分なければないで、

「3高の男だが、何かよくない性格を持っているのではないか。
そんな位なら、ハゲ・デブ・チビでもよかった」

「優しそうだが、ひと皮剥けば冷淡なところがある。
年を取るとアラが出そうだ」

結局は自分が選んだ男だから、
見事に合理化できてしまうのだけれども。
すぐに立ち直って、次にはこんなことを言う。

“人には冷淡でも、
自分には優しくしてくれているから、
善い人なんだ”。

ははは、ほんとにご馳走さま。
金メッキでも一生剥げなければ、
ちょっと見は、金と同じことですよ。
相手の方、剥げないように頑張ってください。

マリッジ・ブルーは、どうどう巡りしてキリがなく、
まるで1÷3=0.333...の世界に入って行ったような、
果てのない思惑に捕らわれている状態だ。
理想像と相手との比較とか、
先行きの懸念などは
そもそも始めから解は導けないことがらである。
きれいに算出しようとしても無理なことだ。

本篇の娘のように自分自身に問題を抱えている場合は、
むしろ深刻である。
よく聞く例として、

「自分はひどいコンプレックスを持っているから、
いつか嫌われるに違いない」

「もう少しで玉の輿。
会社での不倫がバレたら、どうしよう」

等々。

彼女らは結婚願望があって、婚約までしているのだから、
自分で解決の出口を見附けなくてはならない。
受け取る品物(=結婚)に代金を払わないで、
走り抜けることは出来ない。

一方、スーちゃんの男友だちは、
いみじくも言ったことがある。

「この女の寝顔をこれから50年も見るかと思うと、
惚れた相手でも、ふっと現実に帰るよ」

デートしている最中に、
美しい彼女の横顔を見ながら思ったという。
また、ずっと先輩は言った。

「恋焦がれた女とようやく結婚できたが、1年経つと、
<この女、死んでくれないかなあ>と思った」

お互いに、心の奥でこんなことを思っているのである。

たとえマリッジ・ブルーに陥っていたとしても、
他人がアタックしてきた場合、
当の二人が共同してブルーを撃退出来たりする。

例えば、有名人が「婚約前の女性問題を
あしざまに週刊誌に書かれた」
など。
二人で協力して対処しているうちに、
かえって絆が強まって、
マリッジ・ブルーを乗り越えた例もある。

本篇は、子どもにも分かる
昔話に仕立てているが、
裏の意味は、マリッジ・ブルーと子殺しについて、
示唆に富むしんとするような話、
と受け取っている。