鬼に食われなかった娘
昔、昔あったけど。
娘3人持った爺さまと婆さまいたっけど。
この姉娘は、美人でそれこそ可愛い顔をした娘だったけれど、
何とも気の強い女だった。
自分の気に添わない時には、
爺さまの言うことも婆様の言うことも聞かない娘だった。
2番目の娘も姉を見ているので、
親の言うことを聞かない我がまま者だった。
自分の言い分は絶対に通す。
可愛い顔をしているが親は持て余していた。
3番目の娘は、
姉達に似ない器量の悪い娘で
“何だってこの子だけは、こんなに不細工なのか
(何だってこればり、こげめんぐせえもんだべ)”
と、親が心配する娘だった。
ところが、いくら姉達から軽んぜられいじめられても、
嫌な顔一つしない娘だった。
爺さまや、婆さまの言うことを、はいはい、と気持ちよく聞く、
心根の優しい娘だった。
あるとき、爺さまは考えた。
上の二人の娘は気が強くて、親の言うことなど耳をかさない困り者だ、
山にはた織り小屋を立てて一人ずつはた織りをさせよう。
一番上の娘に言った。
「姉、姉、はた織って来い」。
娘は腹を立てて言い返した。
「何で行かなくちゃいけないの!あんな小屋になんか、行かないよ」
「そういうことを言わないで、一人で一生懸命織って来い」
「そうしたら、家の衆達の有難味も分かるよ。
それに、はた織りも上手になってうんと織れるようになる。
まず行ってみたらどうだ」
「いやだ、いやだ。行きたくないよ」
とごねたとき、
横から母親が口を挟んだ。
「そんなら、一反織れたら帰ってもいいよ。
上手な人なら、日繊[ひばた]織るって、一日で一反織るそうだ。
まず、行ってみたらいいよ」
母親に諭されて、しぶしぶ行くことにした。
米や味噌をしょって、一人で山に向かった。
姉娘は、
“ああ、嫌だ、嫌だ。早く山を降りなきゃ”
と、文句ばかりウロモロ、ウロモロ言いながら、
はた織りに取り掛かった。
★キーコバッタリ、トイトイトイ、キーコバッタリ、トイトイトイ★
少し織っては休み、始めたかと思うと又休み・・・
一生懸命ではなかったのかな、
いやいや織っているから、はかばかしく進まない。
そうこうするうちに、
昼飯時になって、やがて晩方になってしまった。
はやばやとはたから降りて、今日はこれで“おしまい”にした。
まま食って、
のんびりと横になっていた。
・・・ずっと遠くから何やら人声のような、名乗るような音がした。
何の音だろう?
今ごろ不思議だなと思ったが、空耳かなあと思い直して、寝ていた。
横になって休んでいれば、いいんだワと思った。
それは誰かが節をつけて歌っている唄のようだった。
♪びんぐし、たてぐし、ごまかぐし、 美[うつくし]山の ご~んぞ♪
あらっ、誰か近づいて来る、
恐ろしいことだ。
外は暗くなってしまったので、外に逃げるのも恐ろしい。
嫌だ嫌だ、と呟くばかり。
唄がだんだん近づいてきた。
♪びんぐし、たてぐし、ごまかぐし、 美し山の ご~んぞ♪
あ、人の声だ、どうしよう。恐ろしい、恐ろしい。
“どこへ隠れたらいい、どこへ隠れたらいい?”
と、小屋の中をうろうろ探したが、
小さな小屋のことだから隠れる場所はどこにもない。ど~こにも。
そのうちにも、
♪びんぐし、たてぐし♪
の声は、小屋に近づいてくる。
隠れるところがないので、姉娘は、
わらわらと梁[はり]の上に昇って身を潜めた。
♪美し山の ご~んぞ♪
がらっと戸を開けた者がいた。
「誰か居ねが? 誰か居ねえのかっ」
と大音声で呼ばわって、上がりがまちにドサッと座った。
梁の上から娘がさ~っと見おろすと!
お、おそろしい面をした鬼だった。
頭の毛もじゃもじゃの、真っ赤な顔の鬼だった。
大きな櫛、こんな(と、豊子さんは両手で示して)櫛を取り出すと、
頭をかたぶけて髪の毛をとかした。
ハレ、ハレ、ハレと、音がした。
(後述するように、櫛の老舗、上野の“十三[じゅうさん]や”で取材した時にこのことも伺った。フケを落とすために目の粗い櫛があり、頭を傾けて、地肌のフケをシャッシャッと掻き落としてから洗髪をする“フケ落とし”という櫛がある。
そうするとハレ、ハレ、ハレは、フケが落ちる音なんですね)
鬼は、あたりをさっと見回すと、
梯子[はしご]をダッダッダッと昇った。
「ここ、居だか!」
と、割れ鐘のような声で言ったかと思うや、
娘をぐ~っと担いで降りてきた。
スタスタ、スタスタと山の方に走っていった。
家の方では、3日経っても4日経っても、
5日目になっても戻ってこないので、心配した。
“不思議なもんだ。3日もすれば、帰ってきてよさそうなもんだ”。
今度は二番目の娘を呼んで言った。
「姉さんが戻ってこないので、どうなっているか見に行ってくれないか?
はた織りしてこないか?」
この娘も気が強いので、
口を三尺もとがらして、すぐさま口答えした。
「嫌だそんなの。
姉さんが帰って来ないんだから、行かなくていいよ。
ほれ、このコ(三番目の娘)が行ったら?
(やんだな、そんなもの。姉もまだ帰って来ねのサ、行ぐのだってええべや。
オレ行がねで、ホレこれどこやれ)」
と、三番目の娘を指さした。
「そんなことを言わないで(ほいたこと言わねでな)」
と、どうやらこうやらなだめて、嫌がる娘を山に送った。
この娘も不満たらたら、
いつまでも“嫌だ、嫌だ”と文句を言った。
山の小屋には、姉娘は居なかった。
はたを見ると、織りかけた布があった。
“おかしいなあ?(何だっておかしもんだヤ)”
と思いながら、はたに乗って、姉の織り残した続きを織り始めた。
★キーコバッタリ、トイトイトイ、キーコバッタリ、トイトイトイ★
始めたものの、いやいややっているので、
はたの音は最初だけで、
一服だ、休みだ、
って、はたの仕事はとんとお留守になっていた。
やがて、晩方になると
“もう止めよう(オレ、止めるちゃわ)”
と、暗くて手元が見辛いから、と言い訳をして、
仕事をおいた。
晩の支度をして、まま食って、はやばやと休んでいた。
夜は物音一つしない、しずかな山の世界。
はるか向こうから、かすかに物音がするような気がした。
鳥が鳴くのか、木の葉っぱがこすれるのか、
何か音がする。
だんだん近づいてくる。
“何の音だろう?”
と、耳を傾けると、
このように聞こえてきた。
♪びんぐし、たてぐし、ごまかぐし、 美し山の ご~んぞ♪
あ~あ、人だよ、
何だか小屋の方に近づいて来るようだな。
“どこへ隠れよう、どこかないか?”
と、小屋を見回したが、ホレ、隠れるとこなんてない。
はたの蔭に隠れて見たり、あっちこっち身を潜めようとしたが、
隠れるところはなかった。
♪びんぐし、たてぐし、ごまかぐし♪
今度ははっきり聞こえた。
やっぱり隠れる所は、梁の上しかない。
娘ははしごを駆け昇って、梁の隅にぴたっと身を寄せた。
そのとき、
♪美し山の ご~んぞ♪
と、唄う者が、がらっと戸を開けた。
「あねっこ、居だが?」
と、野太い声がした。
押し黙っていると、ソイツは、ドッチ、ドッチ、ドッチと
家の中まで入ってきた。
囲炉裏の端にどっかとあぐらをかくと、腰から櫛を取り出した。
こんな(と、豊子さんは両手で示して)大きな櫛を取り出すと、
頭をかたぶけて髪の毛をとかした。
ハレ、ハレ、ハレと、音がした。
髪をとかすと、ドシドシとはしごを登っていって、
「ここ、居だか!」
と、呼ばわった。
鬼は、娘を食いたくて食いたくて、
はあ、はあと臭い息を吹きかけてきた。
ようやくこらえて、娘をぎゅっと担ぐと山の方へ帰って行った。
タッタッタと。
家の者達は、二番目の娘も、
3日経っても4日経っても戻ってこないので気を揉み始めた。
今度は、3番目の娘を呼んで、
「姉さん達が、帰ってこないので、おまえ行ってくれないか
(姉達二人帰って来ねえもんだサゲて、にしゃ(お前)行ってけっか?)」
(新庄でも、目下の二人称として“にしゃ”を使うようです。
福島県でも聞きました)
娘はにこにこしながら答えた。
「行って来るよ、
爺ちゃんも婆ちゃんも心配しないでいいからね。
必ず一度戻って来るから」
と言うとすぐに出かけた。
小屋に着くと、姉達の姿が見えない。
「姉、姉、居ねが?」
と呼び掛けながら、小屋の周りをあっちこっち捜したが、
空しく山びこが答えるだけだった。
(原文口調:「あね、あね~、居ねが?」って言っただって、
こっちであねっていうと、山びこは、“あね~”って言うばんで、音ねえけっど)
どうもおかしい、少し待ってみようか。
一晩くらい?
そう言いながら、はた織りに取り掛かった。
★キーコバッタリ、トイトイトイ、キーコバッタリ、トイトイトイ★
一生懸命、飯食う時間も惜しんで、はたを動かした。
“アララ、もう晩方だワ、手元が見えなくなっているよ”
初めてあたりに夕闇が迫っていることに気が付いた。
“どれ、飯にするか”
そのとき、やっぱり遠くから唄が聞こえて来た。
♪びんぐし、たてぐし、ごまかぐし、 美し山の ご~んぞ♪
“あらっ、今ごろ人の声がするよ!”
誰か道に迷ったかもしれない、と思うと、
ふらふらと囲炉裏の側に来て、
湯鍋をかけて粉を出し、だんごをこしらえる用意をした。
♪びんぐし、たてぐし、ごまかぐし、 美し山の ご~んぞ♪
もう言葉がはっきり分かった。
“・・・やっぱり人が来ている、人なんだ”
こう思うと、だんごを一心にまるめた。
そうしていると、
♪びんぐし、たてぐし♪
唄は小屋のすぐそばから聞こえた。
♪美し山の ご~んぞ♪
と言うや、戸がガラッと開いた。
「あねっこ、居だか?」
「居た、居た。入らっせ。道に迷ったのですか?(道迷っただかは?)」
ものも言わないで、ドッツドッツと押し入って来たのは、
ウワッ、鬼だった!
そのまま囲炉裏の前にドツッと座った。
「今、だんご煮るところだ。腹、減っているんでないか?」
鬼は、
「オラ、鬼だぜ。恐ろしくないか?(おっかねくねえがヤ)」
「恐ろしくないよ、だんご煮ているから待ってろな」
と震えを隠しながら、娘は答えた。
娘は、一生懸命だんごを作って、自分は食わないで、鬼に
「たくさん食え、食え」
と、すすめた。
「にしゃ(お前)は、さて、善い奴だな」
と、鬼が言った。
「また、来ていいか?」
「いい、いい。私がいる時は、いつ来てもいいよ。
(オレ、来てっ時なんて、いつ来てったってよいサケ、いつでも来らっせ)」
鬼は「ほっか」というと、
腹いっぱいになったのか、
何にも言わないで小屋から出ていった。
娘は“はあ、恐ろしかった”と大息をついた。
もう鬼は来ないから、と、一晩、小屋に泊まって、
夜が開けるのを待ちかまえ、
家にドンドと帰った。
爺さと婆さまが飛び出てきた。
「ゆうべ、鬼が来た(ゆんべな、鬼来たっけ)」
と教えて、姉達は多分、さらわれて食われたようだ、と説明した。
いくら不器量な娘だって、
心がけのいい娘は助かったという話だ。
親の言うことは聞くもんだ、という昔話だな。
現在は14代目)
♪びんぐし、たてぐし、ごまかぐし、
美[うつく]し山の ご~んぞ♪
と、歌いながら食い物を探して山を降りて来る鬼とは
いったい何者か?
腹をすかせた鬼が櫛を持っていること、
歌の中に3本もの櫛が入っている。
寡聞にして、櫛を持ってやってくる鬼の話を
聞いたことがない。
櫛が表現するシンボルは何かまで
掘り込んでゆく余裕が無いが、
歌の櫛がどういうものか、調べてみた。
櫛のことを取材できるところ、
それは日本指折りの手作り櫛の老舗である。
さすが東京は、江戸ですね。
あっという間に3軒の老舗と連絡がついて、
その内の一軒の「十三や」に伺うことになった。
上野公園池の蓮の若葉が、
池の縁[ふち]からこぼれるように茂り、
ピンクの蓮がところどころに花を咲かせていた。
道を隔てて、「十三や」つげ櫛店はあった。
しもたや風の、質実な江戸の雰囲気を醸す
手作り店である。
店のガラスケースには、
つげの櫛が上下檀にずらりと並んでいる。
スーちゃん「この話のなかに、鬼がもじゃもじゃの
髪をとく櫛があります。
ハレ、ハレ、ハレと音がするんですね、
フケの落ちる音でしょうか?
そんな櫛とはどんな櫛でしょうか?」
十三や 「目の粗い櫛でフケを落とす”フケ落し”
という櫛があります。
シャッシャッシャッと地肌を掻いて、
フケを取ってから、洗髪するのですよ」
スーちゃんは鬼しか持っていない派手な櫛とか、
魔法の櫛を内心では期待していたが、
現実的な話に向かった。
歌の櫛について聞いてみた。
「びん櫛」とは何か、は、3軒の老舗
(十三やの他にご教示頂いた浅草の“よのや”と
櫛の骨董店“胡蝶屋”のことです)
の意見が分かれた。
共通点は、「びん掻き櫛」のことではないか、
ということだった。
これは、髪をすいた後で、
びんや耳の左右を撫でつけたり、掻きつけたりする櫛。
裕福な家では嫁入り道具として、
特に持たせたという(十三や)
“「びん掻き櫛」は、髪を解くばかりでなく、
飾り用の挿し櫛として流行した。
特に明治時代には、
象牙や鼈甲[べっこう]の挿し櫛が作られた”
という(胡蝶屋)。
「立て櫛」については、三軒とも一致した見解だった。
筋を立てる櫛で、
日本髪の結髪時には不可欠の櫛、
櫛の業界では「ぬき歯」と呼ぶ。
「ごまか櫛」は、推量の域を出ないが、
「髪の汚れ、垢、フケ、シラミの卵をすき取る、
櫛の歯が細くひかれた細かい歯の
櫛のことではないか」(胡蝶屋)。
“こまかぐし”が濁音化して、
“ごまかぐし”となったのかもしれないが、
確証はない。
外にでると、上野の往来は行き交う車の波で込み合い、
梅雨晴れの陽光がきつく蓮の葉に跳ね返っていた。
日本的リリシズムの世界は脳裏から消え、
江戸時代から異次元の現代に戻った。
さて、鬼の話・・・
櫛には、髪飾りとして挿す美しい櫛があるが
・・・七五三に女の子が髪に挿すような・・・
鬼の櫛は、全て、髪をすいたり解かしたりする
実用一点張りの櫛なのである。
また、後半の歌の文句である、
♪美し山の ご~んぞ♪
については、大友儀助氏(新庄市在住、民話研究者)
のコメントを頂戴した。
それによると、美しい山(という山の名)に住んでいる、
山男の名前、もしくは“ごんぞ”という
仇名を持つ者ではないか、
という見解を頂いた。
歌の文句から推し量ると、
この人物像は、次のようになる。
・・・いっぴき狼の若い男、鬼(とされている)屈強な男。
彼は、山に常住し、
ハラを満たすことが第一の貧しい暮し
・・・といったら、気の毒だろうか。
日本人が“なりたくないもの”として、
想像上に生み出してきたアウトローかもしれない。