鬼むかし(鬼の髪)

(山形県、新庄市)

昔々あったけど。
昔あっとこサ、一人の若衆[わかせ]居たっけど。
この若衆、山のもの、春には青物、秋になればキノコ採って、
暮し立ててンなだけど。
ちょうど、キノコの盛りの節[へづ]に、山サ、
天気好いもんだサケ、キノコ採りに行ったけど。
ほしたれば、サワモダツ、そこら中いっぱいあったけど。

語る渡部豊子氏
語る渡部豊子氏

けじょうな(だけど)、でもサワモダツなの採っただて、
大した銭にもなんねえだども、
又、別の方サ行って、何にも採んねえで、
空身(からみ、手ぶら)で来るようなことあれば、サワモダツだって、
採んねえよりはマシだなと思って一生懸命、採っていたと。

(次からは全国区の皆様の理解のために、
会話のみ方言の注を入れます。)

そうする内に、岩の間をくぐって歩いていると、
何か岩に引っかかっているのが見えた。

“蜘蛛[クモ]の巣かしら?(蜘蛛の巣でもあんべか?)

と、手に取ってみたが、絡んで手から取れなかった。
立ち上がってじいっと手を見たが、蜘蛛の巣ではない。

・・・ああ、何と美しい糸だろうか!

見たことの無い糸は、お天道さまにかざすと、
いろいろに光る不思議な糸だった。

“こんな糸、見たことがないな(こげだ糸、見たことねえな。)

と言うと、手にくるくる、くるくると巻いて家に持って帰った。

ある晩、雨のシトシト、シトシトと降る、
それこそ雪でも降りそうな晩だった。

「はいと、はいと(今晩は。)

と、女が訪ねて来た。
“誰だべ?”と、思って出てみると、
濡れた髪をだらんと垂らした若い娘が立っていた。

(民話の世界では、“夜、見知らぬ若い女、一人で訪ねて来る”は、
人間でないもの<化物>のキーワードです。
コレが、妖しいまでに美しい女だったら、皆さん、どうします?)

「道に迷ったようなので、一晩、泊めて下さいな
(道、迷ったみでで、一晩、泊めて下せえや。)

若衆[わかぜ]「こんな所でいいのなら、どうぞ
(こなだとこでいいもんだら、泊まらっせ。)

家の中へ入れると、囲炉裏[いろり]に火をどんどん焚いて、
濡れた着物を乾かした。
人を泊めるといっても、大した夜具はない。
囲炉裏に火を焚いて脇に寝かせ、客を泊める布団がないので、
綿入れのドテラに自分の布団を貸した。

“一晩って言っていたから、一晩で帰ってもらえるだろう
(一晩って言ったサゲて、一晩で帰ってもらうべちゃな)。”

翌朝になった。
何とシタバタ、シタバタ、シタバタ、シタバタと水仕事をして、
朝ご飯を作り家の中の掃除をしたりして、帰らない。

男は独り身のことだし、まあ重宝なんですね、
何も言わないでいた。
そうしている内に、二人は仲良くなって、
一緒になろう、という話になった。

暮らしている内に、次第に裕福になっていった。
その姉っこが、大した助言をするからであった。
春になれば、

「あそこに行けば、よいワラビがいっぱい出ます。
こっちにゆけば、ミズがでる。
あそこの沢からこっちへ登って行けば、
アイコがいっぱい出るから、採って来なさい。
(あすこサ行けば、良えジュンメでっつえって、こっち行けば、ミズ出るぞ。
今度またあすこの沢からこっちサ登って行けば、
アイコサいっぱい出っサゲて、採ってこい。)

姉っこの言うとおり、教えられた場所にはいっぱい山菜が出ていて、
担ぐくらい採れるのだった。

秋になれば、あそこに舞茸が出ているよ、
こっちにはブナカノガが出ているよ、
と教えた。山のことになると知らないことがないほど詳しい。
行って採って来れば、儲けになった(銭にもなるんだすな。)

もうアレがない、コレがないなどと言わなくてもいいような
良い暮し向きになった。

そうしている内に、赤ん坊(ンボコ)も2つ3つになった。
オヤジが山から戻ると、おかしなことを言う。

「かあちゃんが恐ろしい。とうちゃん
(カカとこ、おっかねえじゃトト。)

どうしてか、と聞いても、恐ろしい恐ろしいと繰り返すばかり。

「かあさんのこと、恐ろしくないよ
(ガガどこ、おっかねえじゃねえべな。)

おにの赤ちゃん(バリ島)
おにの赤ちゃん(バリ島)
子どもが病気や事故に遭わないように願って、道ばたに祀られている。
子どもらに危険が迫ると声を出して知らせてくれると信じられている。
写真提供:日本の鬼の交流博物館(福知山市大江町)

その内に、姉っこはだんだん元気が無くなってきた。
どこか具合いが悪いのか、と聞いても、どこも悪くない、と言う。

子どもはトト(父親)が山から帰ると、

「かあちゃん、恐ろしいよ(かかとこおっかねえ。)

と、抱きついて離れない。
姉っこは、日毎に痩せて行く。
塩をかけた青菜のように元気がない。

オヤジはたまらなくなって、姉っこに聞いた。

「カカ、カカ、どこか身体が良くないのか?
(カカ、カカ、どこかいくねばなんねべ?)
子どもはおれに抱きついて離れないし、いったいどうしたんだ?
(ンボコは、オレっちゃ抱きついて離れねえス、何なんだなや?)

姉っこは、もはや我慢出来なくなったのか、

「お話します(言いやすワ~。)

と、座りなおして、はなし始めた。

「実は自分は鬼です(実は、オレは鬼だなだ。)

と、一気に次のように語った。

・・・おやじが山に茸を採りに行って見つけた、美しい糸、
“アレはオレの髪”だ。
鬼の髪というものは、人間の目に触れさせてはならぬもので、
自分はそれを取り返しに来た。
ところが、トトが優しくて情[じょう]の深い人なので、
一日延ばしに居る内に、今日になってしまった。
子どもと三人、なに不自由無く暮らすことが出来て、
本当に幸せだった。

「だけど、もうだめです(ほんでもな、もうだめだわ。)

と言った。

「だめ、って何が?(だめだなて、何だめだどごや?)

「本性が出てきて、子どもを抱くと、食いたくて我慢できなくなる。
・・・我が子だぞ、って自分に言い聞かせているが、その辛いこと。
これもいつまで続くか分からない
(本性出てきて、んぼこドコ抱けば、食でくて食でくて、我慢さんね。
・・・わが子だぞ、って自分サ言い聞かせんなの辛いごど。
これもいつまで我慢出来っか分かんねえおや。)

おやじはその話を聞いて、腰を抜かすところだった。

「ああ、そうだったのか!(ああ、んだったのか!)

子どもが“カカどこおっかない。”と、
しがみついて来たわけが分かった。

おやじは、ようやく正気に戻ると、
取って置いた髪を手に巻いて、カカに渡した。
そうすると、

「自分はどこにいても、トトと子どもを守るからな
(オレアどこに居[え]だて、んぼこど、おめえどこは、守るサケな。)

「子どもをお願いします(んぼこ、頼みやすぜ。)

と言ったかと思うと、頭を二、三回振った。
恐ろしい鬼の姿になって、
パ~ッと東の方の山に向かって、飛んで行った。

月夜の晩になると、決って山から飛んで来て、
障子戸の縁にぴたっとくっついて、月明りで、
中にいるおやじと我が子とを見ていた。
だから、月夜の晩には鬼がどこで見ているか分からないし、
さらわれるとよくないから、
・・・赤ん坊を月の光に当ててはいけない
(んぼこバ、月の光サ当てるもんでねえ)
という。

どんべすかんこ、ねっけど。

スーちゃんのコメント



【語り部】 渡部豊子氏(1942年9月生まれ)
【取材日】 2004年4月25日
【場 所】 新庄市内(玄柳館)
【方言指導】 本沢邦宏氏(東京山形物産センター所長)
【取 材】 藤井和子

今回は、髪をテーマとして考えてみたいと思う。
人間の身体の中で、髪や爪は、
生きているあかしとして日々変化する。
とくに、髪は肉体は滅んでも、身体の一部として、
驚くほど長く保存に耐えることは、
よく知られている。

一度見てみたいと思っているのが、
源頼朝の妻、北条政子(1157-1225年)の黒髪である。
鎌倉のさる寺院に奉納されていると聞く。
本堂の一隅に、塊となって重なり合っている政子の黒髪は、
まぎれもなく彼女の肉体の一部であり、
800年の時を越えて生き続けている。
このように、毛髪は、歴史に残るほど長い保存に耐える。
髪が半永久的に保存できることは、
遺族の願いであるが、髪の持つ霊性によって、
子孫を守って欲しいという願いもあったはずだ。

古来から、髪の毛には霊力が備わっていると
考えられたフシがある。なぜか?
荒俣宏によれば、

「上にあるもの、すなわち太陽は、
地上に生命を育む大きな自然のエネルギー。
このエネルギーは、太陽から発する光の筋によって、
地上に送り届けられる。
古代人は、この光線を“太陽の髪の毛”と考えた」

「髪の文化史」潮出版、2000年刊)

人間の髪の毛は、神話の例にみるように、
太陽から来る聖なる力=霊性を宿している、というわけだ。

旧約聖書の「サムソンとデリラ」の話は有名である。
サムソンは人間とは思えぬ怪力の持ち主であるが、
怪力の源は、彼の髪の毛にあった。
敵側の送り込んだデリラという美女に籠絡[ろうらく]されて、
サムソンは、フト“自分の怪力は髪の毛があるからだ。”
ともらしてしまう。
寝ている間に、デリラに髪の毛を剃られたサムソンは力を失い、
敵に捕らえられて、辱めを受けた上に、目を抜かれる。
少し髪の生えかけた終末は、
劇的で感動的な場面になる。
サムソンは目が見えないものの、最後の力を振り絞り、
雄叫びをあげて敵の神殿を持ち上げ、3000人を殺す。

ここまで来ると正真正銘の「髪の毛」神話の世界である。
しかし、髪の毛に怪力が宿るというのが物語の前提で、
当時の人達は髪の霊力を信じたのであろう。

一方、日本の場合はどうなのか。
日本女性の黒髪は、
ハゲの恐怖におののく(?)年配男性と比べて
ハゲにはならず、かなりの年齢まで黒髪を保持できる。
さらさらと一本ずつ頬に降り掛かるロングの黒髪は、
女性同士でも「触っていい?」と、
お願いしたくなるほど、あえかに美しい。

緑なす黒髪を持つ乙女が、高位の王、
貴族に見初[そ]められて、都に登る民話は多い。
髪には霊魂が宿り、高位の者を招き寄せる
という書き方である。
髪には神が宿り、神の意志が働いて、
黒髪女の運命を導くという思いが、
これらの民話のベースになっている。
つまり、長くて美しい髪の毛が、霊性を発したり、
呼び込む起動装置になっているようなのである。

とんど焼き(新庄市)
とんど焼き(新庄市)