山の神

(山形県、新庄市)

昔々あったけど。
昔、萩野サ太郎作、次郎作っていう兄弟あったけど。
父親サ早く死なれて、
[ば]ばっちゃに育てられたけど。
二人は、ちゃっこい(小さな)うちから、

「おめ~等な、
大きくなってからだって、
サンペイマチで、山サ山仕事、行くなよ。
サンペイマチで山仕事スッと、
おとっちゃみてえに、死ぬさけナ。災難あるさけナ」

って、婆ばっちゃ、教えてなけど。

しづえさんの注:そのなあ、お産した日をアラッペって言うなだ。
それから3日間をサンペイマチって言うなだ。)

(全国の読者のために、次からは会話だけに方言の注を入れます。)

語る斉藤しづえさん
語る斉藤しづえさん

・・・サンペイマチの日に、山仕事に行くと、
山の神が怒って罰を当てる。
おまえ達のお父っちゃは、
“そんな馬鹿なことねえ。”って山に入り、
雪崩に巻かれて死んだのだ。
お前達も、そんな日サ絶対に山サ入ってはダメだぞ、

と教えられた。

二人は、“サンペイっておっかないもんだ。”
と思って、育ったわけだ。

二人の父親は、冬になると山に入って山小屋を建てて、
獣を獲る猟人、マタギをしていた。
春には里に降りてきて、
穫った獣を町へ売りに行って暮しを立てていた。

太郎作、次郎作ともにいっちょまえになったので、
夏はたんぼや畑仕事をした。
冬になると、兄は裏の山へ、弟は別の山に山小屋を建てて、
マタギをして暮らしていた。

それは、ある年の12月12日、
もう少しで年が暮れる日だった。

朝まから大吹雪で、二人とも、それぞれの山小屋で
囲炉裏に当たっていた。

晩がたには、少し小止みになってきたが、
まだふぶいていたため、獣いっぴき歩きはしなかった。

そんな晩方、太郎作の小屋の戸口で

「こんばんは、こんばんは」

と言う女[おなご]の声が聞こえた。
太郎作は、

「何だろう、今頃? 女の声がするが。
キツネやタヌキだってこういった吹雪の中を
女に化けて来るだろうか?
何者だろう?
(何だべな、今ごろ! おなごの声なんて。
キツネやタヌキだってこういった吹雪の中、おなごに化けて来る者、
あるもんでねえ。何だや?)

外に出てみると、
背の高い、腹の大きな女が一人で立っていた。
吹雪で雪まみれになって、頭から足まで真っ白だった。

「誰だ、おめえ?」

「自分はここに住んでいる者てす。
今、通りかかり、ここまで来ると、
赤ん坊が生まれそうで辛くなってきました。
小屋を貸して貰えないでしょうか?
(おれ、ここに住んでいる者だども、ここに通りかかったなだけど、
ここまで来たれば、ンボコ為すべく辛くなったハゲて、
小屋貸してキランネベカ?)

太郎作は、サンペイマチのことを思いだして、慌てて言った。

「ンボコ為すなんて、駄目だ駄目だ。」

追っ払われて、女は悲しそうな顔をして
吹雪の中へ消えて行った。

太郎作は、ぶつぶつ小言を言いながら囲炉裏に当たった。

「赤ん坊を産むので小屋を貸してくれ、
などという馬鹿な話はないもんだ。
よく来たもんだ
(ンボコ為すなんて、小屋貸してキラエ、
なんて馬鹿な話、あるもんでねえ。よく来たもんだ。)

ほどなく、別の山にいた
次郎作のマタギ小屋でも、女の声がした。

「こんばんは、こんばんは」

次郎作は、

“何だって、今ごろなあ。誰だべな?”

と出てみると、やっぱり背が高くて、
腹を大きくした女が立っていた。

「何ですか(何だや?)

と尋ねたが、女の様子を見て気の毒になった。

「自分はここに住んでいて、今、通りかかったのですが、
ここまで来ると、
赤ん坊が生まれそうで辛くなってきたのです。
小屋を貸して貰えないでしょうか?
(おれ、ここに住んでいる者だども、ここに通りかかったなだけど、
ここまで来たれば、ンボコ為すべく辛くなったハゲて、
どうか小屋、貸してキランネべか?)

次郎作は、

“この吹雪の中で、ンボコ為す?
さあ入れ、早く入れ。”

と、優しく言った。

すぐに小屋に入れて、
囲炉裏の火をどんどん焚いて、女を当たらせた。

「ああ、助かったや。
お陰さまで、助かった」

と、女は何度も礼を言った。、

「自分が赤ん坊を産み終るまで側に居て貰いたいが、
あなたは小屋から外に出ていて貰えませんか?
(おれ、ンボコ為し終るまで、側サ居て貰いてえんだども、
おめえ、小屋から出はっていて、貰いてえのよ。)

と、頼んだ。

次郎作は、

「分かった、分かった。
薪をいっぱい置いておくから、火に当たっていなさい。
寒くないようにな
(木、いっぺ置いておくサケ、当たってろよ。寒くねくしろよ。)

そういって、自分は、マタギに出かけるような服装をして、
笠を被り、小屋の陰でしゃがんでいた。
吹雪は容赦なく、ぴゅうぴゅう吹きつけた。

自分のことよりも、無事に赤ん坊が産まれてくれればいいな、
こんなに寒くて死なないだろうか、と、
女と赤ん坊のことばかり心配していた。

“いいワ。”と言うまで入らないでほしい、
と言われていたので、
赤ん坊は、大丈夫かな、寒くないだろうか、
いつ産声がするのかと、心配して待っていた。

夜がしらじらと明けそめ、
吹雪もだいぶん小止みになってきた。

オギャ~、オギャ~

赤ん坊の産声が、小屋から響いた。

“あ、産まれた、よかったな(産った。よかった!)

次郎作は吾がことのように喜んで、
お婆っちゃからいつも注意されていた

<サンペイマチには、
山へ行くな(サンペイマチだら、山サ行くな。)

ということをすっかり忘れていた。

中に入ってもいい、という女の声がしたので、
ひょいと小屋の中に一歩、入って行った。

そしたればなあ!
囲炉裏に火を焚いて、
女は赤ん坊を抱いて温まっていたが、
何の、何の・・・
次郎作は、どてんしてひっくり返るところだった。

赤ん坊(ンボコ)為すも、為すも、為すも、為すも!!
12人も赤ん坊が産まれていた。
あんまりいっぱい産まれていて、足の踏み場もないほどだった。

女は、驚くべきことを言った。

「おれはよ、実は山の神だ。
この山サ住んでいる山の神なのだ」

続けて、

「1月から12月までの
守り神の子どもが居なくて、困っていたが、
お陰様で12人の子どもを産むことが出来て、よかった。
どうも有難う
(1月から12月までの守り神する子ども居ねくて
困っていただったけど、
お陰様で12人の子ども為すことできて、えかったヤ。
どうも有難さんナ。)

12人の赤ん坊を女は、
乳を飲ませたり、抱いたり、膝に上げたりしていた。
何ともはや、そこらじゅう赤ん坊だらけだった。

次郎作は、“山の神”だと聞いて、
ただただボオッと立っていた。

・・・たまげたもんだナヤ。
山の神さまだなんて。

珍しい山の神像(岩手県和賀郡西和賀町)
珍しい山の神像(岩手県和賀郡西和賀町)
赤ん坊を抱いていて、地元の女性は安産の守り神としている。
写真提供:岩手日報社「みちのくの山の神」
(高橋喜平著、1991年刊)より。

少し外が明るくなってきたときに、
女は言った。

「ここの山のものは、自分のものだから、
けだものや山菜、どんなに獲ってもいいが、
子どもを連れたのだけは獲るな。
獲らないで欲しい
(あのなあ、ここの山の物は、皆オレのものだハゲて、
けだものや山菜、なんぼ穫ってもいいども、
子ども連れたのだけは、絶対獲るなよ。獲らないでケロよなあ。)

そう言うと、女は赤ん坊達を抱いたり、おぶったり、
懐の中に入れたりして、雪の中に消えた。

次郎作は、急に兄のことを思いだした。

“あんつア、何したベ?”

・・・兄さんだって吹雪になったので、
村に帰らずに小屋にいたはずだ
(あんつアだって、吹雪なったもんだケ、帰らねえで小屋に居たベ。)

兄の小屋のある山まで歩いて行った。
小屋までたどり着いたが、
小屋から出たり入ったりした跡は何も無かった。

・・・きっと小屋の中だワ。

ガラッと戸をあけて、呼びかけたが、
中はしいんとしていた。
囲炉裏の火も消えたまま。
あれっ、囲炉裏の脇に
兄の着物が脱いだまま横たわっているが?

・・・着物をすっかり脱いで、
裸でそこらにいるわけもないしなあ。

・・・あんつア、この寒いのに着物を脱いだまま、
村に帰ったなんてこともないだろうしなあ。

“どうしたんだろう?(何したべ?)

そう思って、あたりをきょろきょろ見ていると、
あれっ、着物の下から小さな(ちゃっこい)ハツカネズミが
チョロチョロっと出てきて、次郎作の顔を見上げて、

“ちゅうちゅう、ちゅうちゅう”

と鳴いた。

“まさか、兄さんは、ネズミになったのではないわな
(あんつア、ネズミになってしまったなんめえべしなア?)

ネズミは、次郎作の顔を見上げて、
悲しそうな顔をして、
コソコソッと部屋の隅のワラの中に潜り込んだ。

次郎作は、

“まさか、兄さんがネズミになるわけはない。
村に戻って、婆ばっちゃに聞いてみよう
(あんつア、ネズミっこなるわけねえべす。
村サ戻って、カカっつア、聞いてみねえね。)

と考えて、家に戻った。

「カカサ、あんつア、来ねか?」

「来ねかったよ」

村の衆にも聞いて回った。

「兄さん、来なかったか? 会わなかったか?
(あんつアサ、来ねかったか? 会わなかったか?)

誰に聞いても、兄を見かけた人はいなかった。
次郎作は、兄の着物の中のネズミをそっと抱き上げた。
ネズミのことは、誰にも一言もしゃべらなかった。

探しても探しても兄の手がかりは無かった。
兄の居なくなった日を命日にして、ついに葬式を出した。

山の神が言ったように、次郎作は、
子どもを連れた獣は、どれも見逃してやり獲らなかった。

・・・それからというもの次郎作は、
マタギをしていても良いものがいっぱい獲れた。
山菜を採りに行っても、どっさり採れた。

次郎作の心から、

“兄さんは、ネズミになったんだろうか?
(あんつア、ネズミっこになったべか。)

という思いは頭を離れなかった。
人には何も話さずに、死ぬまで胸の奥にしまっておいた。

次郎作は村の衆と話しあって、
萩野では日を決めて、山の神を祀るようになった。

どんべすかんこねっけど。

スーちゃんのコメント



【語り部】 斉藤しづえさん(大正10年3月生まれ)
【取材日】 2002年5月5日
【場 所】 山形県新庄市、ふるさと歴史センター
【取 材】 藤井和子

しづえさんは、60年前(萩野に嫁入りした頃)には、
それは盛大な行事だったという、
萩野の「山の神」祭りの様子を聞かせてくれた。

「その日は、12月12日と決まっていたの。
15歳の男の児が1番大将として先頭に立って歩き、
次に14歳の子が2番大将で続き、13歳が3番大将なんだ。
その後から、7つから上、12歳までの子が、
ぞろぞろ、ぞろぞろと村中を歩き回った。
口々に、山の神の歌を歌ったのよな。

♪山の神のおいで。
銭たら42文、餅たら12。
祝って給[たも]れや、亭主殿、銭蔵・金蔵、建つように。
この家の身上[しんしょう]昇るように♪

この歌を歌いながら村中を一軒、一軒回わり歩いたものだ。
子ども達は、山の神の神像(模型)を捧げ持って歩き、
玄関に着くと、ごろごろっと玄関先から転がして、叫ぶ。

・・・山の神、来た!

・・・はあ、山の神様、よくござりやんした。ござりやんした、
と家長の挨拶。

山の神は、御神酒と餅、お賽銭の供えられた床の間に据えられて、
家長と杯のやりとりをしたの。
150軒もあったので、こうやって一軒ずつ回ると
夜明けまでかかんのよなあ。

今では、子ども達の勉強にさわるので、
12月12日に近い土曜日、それも昼間にやっているの。

昔は、歌声がどこからか聞こえ出すと、

“どこから、来るかしら(どこから来っぺな?)寺の方からかな?
と歩き出すと、居ねくなんのよ。”

また、とんでもない所から聞こえ出すのよなあ。
青年団の若者がいたずらして、ご神体を取って逃げたりするわけだ。
子ども達は、やぶの雪の中を捜しまわって、
やっと見つけては、抱き上げて家々を回るの。
(雪明りの夜空を、山の神が飛び回っているような、
雪国ならではの幻想的で楽しいセレモニーだったことでしょう。)

今は、本当に簡単になってよ。

・・・第一、山の神は昼間にやって来るの。
玄関先にお灯明つけ、賽銭と餅を置いて、
そこの家の人達、留守だもんな。

(新庄の近隣の)仁田山や黒沢、吉沢にも山の神祭はあるけれど、
萩野の歌は祝詞みてえで、独得な節[ふし]だもんな、
残して置きたいと思うのよ。

(この歌は、♪お月様、いくつ? 13、ななアつ♪
スーが子どもの頃覚えたメロディーに、どういうわけかよく似ていた。)

さて、 このような山の神は、山を統括する神様で、
女性とされている。
本篇でも

「自分は山の神だ。
ここの山のものは自分のものだから、けだものや山菜、
どんなに獲ってもいいが、子どもを連れたのだけは獲るな」

と、身分を明かした上、山を統べていることを匂わせている。
12人もの子どもを出産しているのは、
多産、豊穣神であることをシンボライズしているのか。
山の神とは、もともと、
春から秋は里に降りてきて、田の神として収穫を守り、
取り入れの終る秋には、
山に戻るそんな神様と考えられた。

この他、山の神は、山仕事をする男達を
山の事故や災難から守る神であった。
山仕事を一生のなりわいとして、数年前に退役した
熊本のお爺さんから伺った不思議な山の話を
いつか書きたいと思う。
また、東北のマタギと山の神の民話も、
おなじみ津軽の成田キヌヨさんに聞かせて頂いている。

掲載した山の神の写真は美人だが、
一般に山の神は醜女という。
(実物を見た人はいないようだが。)

800もあるという男の神様から言い寄られることがなく、
モテない不遇をかこっているので、
山に入って仕事をする人間の男に懸想をするという。
従って、山仕事をする男の女房に嫉妬して、亭主は災難を蒙るから、
山に女っ気を持ち込むのはタブーである。
山の神の不興を買って、マタギであれば、
獣を穫れないのはむろん、不慮の事故に遭ったりする。

また、山の神は、自分が不美人なので、
オコゼを持参すると喜ぶ。
オコゼ(注:オニオコゼ科の魚)は、背びれに刺があり
見栄えのする海魚ではない。むしろグロテスクである。
(しかし、白味噌仕立てのオコゼのみそ汁は、絶品です。
メバルのみそ汁より美味しいんだ、コレが。)

山の神は、自分より醜いものがいることを喜ぶので、
山に入る時に、マタギのチーフは、
干物にしたオコゼを大切に持参するという。
山の神は、豊猟を授けたり、山で物を無くした時に、
有り場所を教えてくれる。

オコゼ(秋田県阿仁、マタギ博物館)
オコゼ(秋田県阿仁、マタギ博物館)

スーは、山に棲んで、活き活きと悪いことを重ねる山んば
・・・「三枚のお札」のような・・・に不思議な魅力を感じていたが、
山の神もどうしてどうして、人間臭くて面白い存在だ。
女性なら山の神が、醜女でそれ故に男好き、
という人間らしい弱みを持つあたりに、同情を禁じ得ないだろう。

何はともあれ、「山の神祭り」は、
民話の盛んな新庄市でさえ、 今や風前の灯火。
男達の(女達ではなく)アイデア次第では、
立派な「村起し」として生き返るはずだ。
何しろ相手は、男の願いを聞いてくれる山の神でありますぞ。