御山の権坊ギツネ
福島市の信夫山といって、
市の中央に高さ272mの御山(おやま、青葉山ともいう)がある。
昔から、この御山には、
キツネが住んでいると言われていた。
御山の南側の森は、一杯森といい長十郎キツネが、
北側の石ケ森には鴨左衛門ギツネが棲み、
信夫山には権坊[ごんぼう]ギツネが棲んでいて、
彼らは合わせて、「信夫山の三ギツネ」と、呼ばれた。
さて、清野さんの語りです。
・・・この三匹のキツネ、仲が良いようであり、悪いようであり、
互いに馬鹿にしたりされたり、
ある時にはかたき同士だったりした。
まあ、なんだかんだいっても、のんびりと楽しく暮らしていた。
今日は、そのうちの権坊ギツネのしっぽが、なぜ短くなったか、
自慢の見事なしっぽを無くしたのか、
これには二つの話がありますが、
これから、そのうちの一つを語ります。
あるとき・・・、
権坊ギツネは、一杯森の長十郎キツネとばったり行きあった。
この二匹、自分が一番と、日頃から自惚れているので、
お互いに馬鹿にしあっていた。
どっちが利巧で、どっちが馬鹿だというワケではないが、
次の話は、長十郎ギツネの方が、ちいっと利巧だったのかな、
という話です。
さて、本篇に入ります。
あるとき長十郎ギツネと権坊ギツネが行き遭ったぞ。
権坊ギツネは、言った。
「長十郎ギツネよ、おめえ、そのオ~、
何か宝物持っているか?」
長十郎ギツネ「いやいや、持っていねえ。おめえは?」
権坊ギツネ「おれも持っていねえ」
どっちも宝を持っていないなら、
どっちが早く宝をうんと集めることが出来るか、
お互いに競争してみよう、と話し合った。
ここ一週間のうちに、どっちが早く宝を持てるか、
と期限を切ってね。
権坊ギツネは、“よし、やっぺ!”と、勢いよく言ったものの、
心当りはなかった。
やみくもにあちこちうろついて探しても、宝は見つからない。
御山をぐるぐる、ぐるぐる回ったが、
宝は影も形もない。
ある日、長十郎ギツネのやつが、宝をいっぱい持ってやってきた。
う~ん、驚いたな。
長十郎ギツネは、自慢そうに言った。
「どうだ! 権坊ギツネよ。おれは、こんなに集めたぞ」
権坊ギツネ「な、なじょして、集めたんだ?」
長十郎ギツネ「ふふふ。おれ、昼寝していたんだ。
暑いもんだから、横になって、
しっぽをパタリパタリ、やっていたんだ。
おれのしっぽ、どの位長くなるかと思って
パタリパタリ、延ばしてやったのよ。
イヤイヤ延びて行った、延びて行った。
どこまで行ったと思う?
仙台のお城まで行ったのよオ!」(聴衆笑)
虫干しの季節だったので、
ちょうど仙台藩の殿様のお城では、
お妃様の衣装をみんなして、庭に広げていた。
干すのに、物干し竿[さお]が足りなくなった。
“困った、困った。さっぱり竿がねえなや。
何としたもんだや。”
と言っているちょうどそのとき、
天からスルスルと、長十郎ギツネのしっぽが降りてきた。
長十郎ギツネ「おれは、すかさずしっぽを引っ込めたからな、
これ、この通り宝がおれの所に、集まってきたのよ。えっへん」
権坊ギツネは長十郎ギツネに聞いた通り、
同じ事をやってみようと、すぐに思った。
次の日、権坊ギツネは、自分のしっぽを延ばし始めた。
“延びろ、延びろ、延びろ!”
しっぽはズンズン延びて、仙台藩のお城の上まで延びて行った。
そうしたらな。
昨日、お妃様の衣装が、
天から降りてきた妖しい竿に、すっかり取られてしまったから、
今日は一枚も無くなっている。
家来達は、今度アノ竿が降りてきたら、容赦しねえ、
と待ちかまえていた。
「上、見てみろ!
ヤヤヤ、昨日のが降りてきたぞ。
ホーレホレホレ、下がってきた」
ほうしてな。
「皆して、かかれっ!」
と、かけ声もろとも槍やなぎなたを手に、
権坊ギツネのしっぽをばっさり切っちまった。
「痛てて!」
権坊ギツネは、慌ててしっぽを縮めてみたら、
“あわわわ、おれのしっぽがこんなになっちゃったよオ。
自慢のしっぽが、
み短けえしっぽに、なっちゃったよオ。”
それからみんなは、短い権坊ギツネというようになった。
キツネはフサフサとした見事なしっぽを持っている。
長者の娘の鼻が延びて困った話もきいたことがあった。
しっぽと鼻は、自由自在に延び縮みするらしい。
一体全体、人間の身体のパーツで、
延び縮みするのは、どういう箇所なのか。
手長足長(福島県)や、ろくろ首(秋田県)は、
これは人間のなしうる技ではなく、立派な妖怪である。
では、爪や髪の毛、舌に耳なのか?
耳はせいぜい「ダンボの耳」位しか延びないし、
爪や髪の毛、舌は、延び縮みしそうだが、
・・・ファンタジーの世界でさえ無理なのか、
ほら話の中でさえ、本篇ほどには延びない。
イメージとしては、グロテスクになる。
ある日、スーちゃんは、本篇と全くおなじ筋の話
・・・北海道のアイヌの民話・・・に出会った。
荒筋は次のようであるが、
本当にそっくりさんなのである。
●ある男が鼻をさすりながら
「鼻よ、延びろ、延びろ」と言うと、どんどん延びた。
●はるかな町まで延びていった。
その時、女達は洗濯物を干していたので、
ちょうどよい物干し竿が来た、とばかりに、
すっかりその物干しに干した。
●男が鼻に向かって「鼻よ、縮めよ、縮め」と言うと、
鼻が縮みはじめて、竿に引っかかっていた着物類は
手元に来て、三つの倉を満たした。
●隣家の男がこの話を聞いて、真似をした。
●昨日、着物を盗まれた女達は、
またやってきた竿を叩いたり、切りつけたりした。
鼻は、ぺちゃんこに切り落とされて、
この男の顔は鼻の無いのっぺら棒、醜い顔になった。
人間の鼻と、キツネのしっぽが入れ替わっているが、
まったく同じ話である。
福島県と北海道、遠く離れているのに
不思議といえば不思議な事実である。
民話は人の口から出る話であるから、
人が運んだにちがいないが、
いったい誰が、何のために?
昔の人々は、安全を保証できなかった
交通不便な時代にも、旅をした。
また、旅人以外にも、
薬売りや行商人、旅芸人、 遊行僧、六部等は、
用向きに従って諸国を巡り歩いた。
古代や中世の“庶民の旅の歴史”は、
そのまま当時の庶民のありさまを活写していて、
興味をそそられる。
中世ヨーロッパ人の旅を描いた阿部勤也氏の本は、
中世史を庶民側から光を当てた力作として、
かつて目を開かれた思いがした。
宿泊施設の整っていない時代に、旅行者は、
村の余裕のある家に、宿賃はただ同然で泊まっていた、
という話を昔話の取材時に、しばしば耳にした。
宿代の代わりに、旅の途上で聞いた諸国の昔話を、
家内中みんなに聞かせて、一晩を楽しんだ。
昔話は、対面で語るので、
聞き手の反応をじかに見て、聞き手が喜ぶ所は
話手も力を込める。
聞き手が合いの手を入れて、盛り上がれば、
筋が意外な展開を生んだかもしれない。
総体的には筋は変わらず、
筋は正確に伝わっているのではないか。
本篇は、滑稽な誇張譚である。
しっぽや鼻が延びるなんて、という「うそっぱち」の大枠の中に、
着物を盗まれた女達の激怒や仕返し、
人真似をして失敗した男の悲哀など、
人間のこころの動きがリアルに盛り込まれている。
聞き手は、話の内容は途方もないほら話であると知りながら、
話の筋の意外性を喜び、
こういったほら話を面白がったのであった。