粟福、米福物語

(新潟県、十日町 [旧中里村])

とんと昔あったと。 サース

(サースやサスケの発声は、隣に座っている人の発する合の手です。この声が入ると、語り手はだんだん盛り上がり調子がついてきます)

樋口倶吉氏(右)と南雲昭治氏
樋口倶吉氏(左)と南雲昭治氏

あるとこにトト(父親)とカッカ(母親)と粟福といたと。
粟福てガンは、今のカカの子で無え、
せんのカッカの子ォガンで、
ちんこい時は、今のカッカもめじょがって居たども、
新しく今のカッカに米福が出来てから
継子[ままこ]の粟福をいじめるようになったんだと。 サース

(粟福は今の母親の子どもではなかった。小さいときは継母もかわいがったが、実子の米福が生まれてからは、継子の粟福をいじめるようになりました)

(方言には、捨て難い雰囲気がありますが、全国区の読者の理解のために、
次からは会話のみ方言にします)

トトの居るときは、かわいがる(めじょがる)が、
居なくなるとすぐに粟福をいじめはじめたんだけど。 サスケ

その日は、米福にはナタをもたせて、
粟福にはシャッペ(しゃもじ)をもたせて、

「山へ行って、たき木(たきもん)を取って来い」

と、言いつけた。

米福は、なたで切るのでたちまち切れたが、
粟福はなかなか切れない。
妹は、姉に向かって、

「粟福、おら切ったぞ、先行くぞ」

と、さっさと帰ってしまった。
シャッペ(しゃもじ)なので、いくら叩いても木は切れない。
とうとうしゃがみ込んで泣いていた。

村の親切な若い者が通りかかった。

「何して泣いてらんだ。
そうか、シャッペ(しゃもじ)で、なかなか切れねえで居るんだ。
おれが切ってくれろ」

若者がなたで切ってくれたので、ようやく仕事が終った。

ずいぶん遅くなった。
背中にしょって家に戻るとカカは、

「おまえは、一つぽっちか、いつまでかかっているんだよ!
(んな、一つばっかか。いつまでかかっているガンに、
いつまでもいつまでもかかって、やっと一つぐれえか!)

と、ひどく怒った。 サース

トトは旅に出て反物を売って歩く商人[あきんど]だった。
出がけに、

「今、反物を売りに行くから、みんな仲良くしていろ
(今な、これを売らんがだスケ、みんな仲良くしてな)

と、言いおいて家を後にした。 サース

その後、すぐにカカは粟福をいじめ始めた。
米福には手桶をもたせ粟福にはザルをもたせて、

“水を汲んで来い”

と、言いつけた。
米福は手桶をザブンと汲み上げて、すぐに水を汲めたが、
粟福はザルなので、川の水は入るが引き上げると、
ザーッと洩れ出てしまう。

米福は、いっぺんで水を汲んで、

「うら、行くぞ」

と、声をかけて行ってしまった。

粟福はザルを川に突っ込んで、
もういっぺん、もういっぺんと汲み上げるが、
引き上げると水がザーッとこぼれる。
どうやっても汲むことが出来ない。

・・・あーあ、またカッカにいじめられる、切ねえこったな!

泣いていたところ、
そこへ紙商人がやってきた。

「何で泣いている?(なじょして泣く)

“ザルで水を汲んで来い”と、カカさんに言いつかっています。
このザルで水を汲み上げても、ザーッとこぼれてしまうんです。
汲んで行かねば、家には帰れないんです。
(おら、こいでもって水を汲んでこい、ってガンだども、
水を汲み上げらんだどもザーッと出て、水を汲むことが出来ねえ。
汲んで行がねと、家へ行がんねえんだ)

「そうか、そりゃかわいそうなことだ。
おれがやってやろう。
(そうか、そりゃ、みじょげなことだ。オレがよくしてくれら)

商人は、紙をザルの底に敷いて、水をこぼれないようにした。

「おら、汲んで来たぜ」

と、粟福は家に戻った。
又もや、オッカサンは叱りつけた。

「これっぽっちの水を汲むのにいつまでかかっている!
何をしても手間のかかる娘だな!
(こればっかの水を、いつまでかかってるガンだ!
何しても何しても手間かから!)

又、さんざん粟福をののしった。 サース

さて、カッカはどうかして、
粟福を追い出そう、追い出そうとしたが、
なかなか追い出すことが出来ない。
カッカは今度ばかりはやり損なわないようにしよう、
と頭をしぼった。

(この黒い憎しみ、
身をよじるような情念をもはや押さえることが出来なかったのです)

大釜に湯を沸かして、そこへ萩(の木)で蓋をした。
湯はクタンクタン、クタンクタンと煮立っている。
粟福を呼ぶと、
カッカは気味悪いほどやさしい声で言った。

(蓋の上を)向こうへ渡ってみなさい(渡ってみろ)

粟福「そんな所へは、とても行けない
(おら、そっけな所へとっても行けね)

カッカ「親の言うこと、聞かんねえか!」

粟福「おら、とっても嫌だ、嫌だ」

カッカ「オッカアの言うことを聞けないのか!
(人を馬鹿にして。おれの言うこと、絶対に聞かねえんか?)

粟福「勘弁してくんなかい。勘弁してくんなかい」

カカさんは、粟福がなかなか言うことを聞かないので、

「親の言うことは、絶対に聞かなければならないんだぞ」

と言って、粟福をいじめた。 サスケ

ついに、粟福は泣きながら、そこを渡った。
粟福は、釜の中に落ちた。

次の日、トトが戻って来ると、
屋根の上のトンビが鳴いていた。

♪なたで木は切れるが、シャッペ(しゃもじ)じゃ木は切られまい。
杉橋渡れども、萩橋ア渡れまい。
ヒーヨロ、ヒーヨロ♪

陰々とした切ない声で、トンビが歌っていた。 サース

トトは胸騒ぎがして、うちで何か起ったのかと、飛んで帰った。 サスケ

粟福が見あたらない。

「粟、粟福よ、どこに居る?」

カカが出てきて言った。

「お前さんを迎えに行ったんですよ。途中で会わなかったですか?
(おめえを迎えに行ったんだんが、途中で会わなかったか?)

「いや、居なかったぞ」

そのとき、釜の縁に粟福の着物がチョコンと見えた。
は~あ、と思って、蓋を取ってみたら、
粟福が水の中に沈んでいた。

トトは

「粟福よ、粟福よ。
おれが居ないばかりに、こんなことになっちまって。
本当に申し訳なかった。粟福よ~お
(粟福よ、粟福よ。おれが居ねえばっかりに、こっけなことになっちまって。
あに申し訳なかった。粟福よお)

トトは男泣きに哭[な]いた。

今度はカカに向かって

「何だ!カカ、こんなことをして(何だ! カカ、こっけなことして)

腹を立てた(肝を焼いた)トトは、
ナタを取って、カカをめがけて力一杯投げつけた。
カカは、キャアキャアと鳴くと、
あれれっ、イタチになったぞ。

炊事場のサマゴから外に飛んで出て行ったと。 サース

サマゴ・・・昔、茅葺きの屋根の下の炊事場は暗かったので、明かりを取るために炊事場に高さ1~1.5m位の、狭い格子窓を造っていた。それをいう)

いちげざっくり
サスケ(最後の合いの手)
名勝七ツ釜(旧中里村)
名勝 七ツ釜(旧中里村)
野草のことを教えてくれる樋口倶吉氏
野草のことを教えてくれる樋口倶吉氏

スーちゃんのコメント



【語り部】 樋口倶吉さん
(大正7年<1918>3月12日)
【取材日】 2005年9月4日
【場 所】 林家旅館(旧中里村)
コーディネーター 南雲昭治氏(前中里村公民館長)
【合の手】 南雲昭治氏
【取 材】 藤井和子

この話は、簡単に言うと“継子をいじめて、
しまいには殺してしまった継母の話”
である。
誰が聞いても、継子の粟福は気の毒な不幸な娘だし、
継母はいじめてもいじめても
継子が憎らしい異常な性格の女性である。

小学校で、樋口さんがこの話を語ろうとすると、

「その話はちょっとね」

と、先生からストップが掛かることがあるという。
確かにストレートに受け止めれば、
人倫にもとる継子殺しの話である。
しかし、話をする前に自己規制をしてストップをかけるのは
如何なものか、と思う。

この話の深い問いかけ・・・人間の心には
化物が棲んでいること、
を考える絶好のテーマだけに
機会損失ではないか。

樋口さん「この話を語るときは、
語り手は泣き声になるんだ(ならんだ)
という。

「特に、♪ 杉橋渡れども、萩橋ア渡れまい。
ヒーヨロ、ヒーヨロ♪ なんてところになると、
語り手は泣き声でもって語るんだ」

スー「子ども達はどうなるの?」

樋口「べっこどもは、くすんくすんと泣くが、
しまいまで聞いてら」

先生方が、継子殺しは残酷すぎるから
子どもに聞かせるのはよくない、と思っても、
実のところ、子ども達はかわいそうだから泣くのだろうか?
小さな頭で、一生懸命に考えて、
やっていいことと、いけないこと(いわばこの話の本質)
をしっかり把握して、泣き出すのではないか。
感動がなければ人は泣けるものではない。

この話は、「人間としての誇り」
描いているのではないかと思う。
人は人をなぜ殺したらいけないか、というテーゼである。

スー「カカは、イタチの化物が人間に化けていたの?」

樋口「そうじゃあねえ、(人間なんだが)心がイタチと同じ
ということを言っているんだ(いらんだ)

続いて樋口さんはこう説明した。

「カッカの心がイタチだから、
人間なら堂々と通る玄関を通れない。
サマゴからしか外に出て行けない。
人間だが、イタチの魂で出て行ったんだ」

「キツネは人を化かすが、
イタチは根性(こっちょ)が悪いからのう」

この話の語る深意を樋口さんは
あますところなく語ってくれている。