深沢の化けギツネ
南雲キクノさんの語り口は、
いつのまにか、聞く者を昔話の世界に引き込む面白さに特色があります。
子どもの頃に昔話を聞いて育った人に特有の自然さは、
何回聞いても厭きの来ない語り口で、
巧まざるエンターテイナーといえましょう。
本編は、キクノさんの自然な語り口を活かして、文章にしてみようと思います。
昔のう、深沢の森てって(といって)、
とても険しい峠道があったと。 サスケ
今は舗装されて立派な道になってますがのう。 サスケ
その深沢の森に一匹の雌[め]ギツネが棲んでいたと。 サスケ
そのキツネはいつでも
背中にボーボをおっぶって(おんぶして)いたと。
ボーボというのはの、赤ん坊のこってすのォ。
雌ギツネは、二人以上で歩く人は、絶対、
化かさなんだというんですのォ。
一人で歩いている人を化かしては、
食い物[もん]や着るもんを剥ぎ取って
旅人を困らしてらんだ(困らしていたんだ)と。 サスケ
(快いリズムを持った方言に捨て難い味
...木綿の手触りとでもいうような妙味...を感じますが、
次からは、理解のために会話を中心に方言で記します)
深沢の森を通りすぎると、安養寺集落、
続いて姿という集落があって、
そこに屋号が「金兵衛どん」という家[うち]があったと。 サスケ
そこん衆[しょ]は、村でもごうぎな(たいへんな)
旦那様だったってんですの。 サスケ
婆さんと姐さとあんさの3人暮らしだっけど。
或る日、その婆さんが
はやり病[やまい]でころっと死んでしまったと。 サスケ
隣村の和尚さんに頼んで、
お経をあげてもらうことになりました。
和尚さんは、深沢の森に
一人でトコトコ歩[よ]んで行ったのですが...
急に目の前が真っ暗になってどうしたことか、
一寸先が見えなくなりました。 サスケ
“早く、金兵衛どんのところへ行かねば”
と気は焦るのですが、
歩いても歩いても隣村に着くことが出来ません。 サスケ
歩[よう]び疲れた和尚さんはどっかりとそこへ坐り込んで、
辺りをぐるっと見回したら、
向うの方にチャカーン、チャカーンと明かりが見えたのです。 サスケ
明かりを頼りに歩いて行くと、
ボロ家が一軒姿を現しました。
「おばんでーす」
と呼ばうと、出て来たのは、綺麗な(めめのええ)姐さでした。 サスケ
背中には、ボーボをおぶっておりました。 サスケ
そのボーボはめっごい姐さに似合わず、
おっかねえ面[つら]をしています。 サスケ
ボーボなのに銀色の髪の毛はふさふさと肩先まで垂れ、
目といえば眉毛まで釣り上がり、口は耳まで裂け赤い舌を出して、
なぜかコンコンとなくのです。 サスケ
和尚さんは
「あれまあ、赤っこ(赤ん坊)てんは、
おぎゃあ、おぎゃあと泣くがんに、おかしな声で泣かや!」
とへんに思いました。
(この赤ん坊は、キクノさんの口調にかかると、白髪で、にらむような目付きに、コンコンとなく異様な子で、スーちゃんは、“それっ、化け物だワ”と、
思わず膝を乗り出してしまいました。
語りは迫真的でした)
姐さに向かって、尋ねました。
「おら、金兵衛どんまで行こうと思うのだが、
道に迷ってしまった。
どうやって行ったらいいのだろうか?
(行こうと思わんだども、道にまぐれてしまったんだんが、
なじょして行ったら良いがんだべのし)」 サスケ
姐さは、鈴を転ばすような、うっとりした声で答えます。
「それは、このうちのことですよ。
お入りになってお経を上げてくださいな
(そら、おらどこだがの。入ってお経をあげてくんろ)」 サスケ
和尚さんは家の中にはいりました。
そこはすぐ炉端になっていて、
(鍋を吊す)かぎつけがぶら下がっており、
深鍋の中で何やらグツグツ煮えています。 サスケ
そばの座敷にはぼろ布団が一枚敷いてあって、
死んだ婆さんが寝かされています。 サスケ
婆さんの面[つら]には、白い布が掛けてあって、
枕元には枕ダンゴが3つおいてありました。
ダンゴの両脇には
線香とろうそくの火がゆらゆら瞬いています。 サスケ
和尚さんは
「あれまあ! 金兵衛どんといえば、旦那様の家なのに、
いつの間に貧乏になったんだろうか
(村でも旦那様だったがんに、
何時の間にか貧乏家[びっぽや]になったんだべな)」
と、いぶかしく思いました。 サスケ
すぐに姐さがお茶を運んで来たのですが、
そのお茶のマズイことといったら!
がぶっと一口飲んでみたものの、まるで泥水のようです。
そのとき、和尚さんの目の前から、
姐さがスーッとかき消すように居なくなりました。
「あれま、ふしぎなことがあったもんだ」
和尚さんは、
もうお腹がぐうぐう鳴って我慢が出来ません。
さっきからグツグツ煮えている鍋を横目でちらちら見ては
「何のごっつお(ご馳走)が入っているべかなあ。
オレのお経が終われば、
食わしてくれるのに相違ないのだから(相違ねあんだすけ)」
あたりをきょろきょろ見回しながら、
鍋のふたをソーッと開けてみて、
ビックリ仰天。
石ころがぐつぐつ煮立っていたのです。 サスケ
「石っころなんて、オラ歯が悪くて食われやしねが」
それでも食ったふりをして、懐に入れました。
後で捨てようと思いながら。
「ばあさんや、お経をあげてやるからな(やろがんな)」
と独り言を言いながら、衣[ころも]に着替えて、枕元に坐ります。
“ばあさまが極楽に行きますように”
と、一心にお経を唱えました。 サスケ
そのとき、
うわっ!
死んだはずのばあさんが寝床の中でごそごそ動き、
痩せ細った手が寝床の中からニューッと出て来たのです。 サスケ
手は毛むくじゃら、爪は一寸(3センチ)も伸びてて、
その手が枕ダンゴをワジリッと一つつかんで、
スルリと懐に入れたのです。 サスケ
和尚さんはおっかなくて、どうしようもないのですが、
「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」
と唱えました。 サスケ
するとまた、恐ろしい手がにゅーッと出てきて
2つめのダンゴをワジリッと掴んで懐に入れたのです。 サスケ
気味が悪くて我慢の出来なくなった和尚さんは、
後じさりしながら片手で地炉の炉縁にしっかり掴まって、
「ナムアミッダブツ、ホーレンゲーキョ、
どうか助けてくんろ」
と、あらゆる神や仏の名前を呼んで、お経をあげました。 サスケ
玄関目がけて横っ飛び。
ばあさんが、寝床の中から四つんばいになって、
追いかけて来たぞ。
その面の恐ろしいことといったら...
銀色の髪の毛はふさふさと肩まで垂れ下がって、
目は眉毛まで釣り上がり、口といえば耳まで裂け、
赤い舌をペロペロだしてこう叫ぶのです。
「ボーン様ボン、どこまで行ってもボン」 サスケ
(どんな声音だったのでしょう?)
和尚さんは、玄関の戸を叩けど引っ張れど、
どうしたことかビクともしません。 サスケ
命あってのものダネとばかり、
かぎつけをよじ登って、
天井裏から外へ逃げ出しました。
するとその化けもんも、
かぎつけをよじ登って追いかけてきます。
「ボーン様ボン、どこまで行ってもボン」 サスケ
和尚さんは、
“あんな(あっけの)化けもんに、食われてたまるもんか”
ともう無我夢中。
息が上がって、もうこれまでかと観念したとき、 サスケ
天の佑けか、
でっかい(でっけ)洞穴が目に入りました。 サスケ
そこに身体ごとドーンと飛び込んだところ、
座布団が一枚落ちていました。 サスケ
それを頭から被って、ぶるぶる震えながら
あらゆる神様、ホトケ様の名前を唱えました。 サスケ
「おーい、みんな見てみろ。
和尚さんが、葉っぱをかぶってぶつぶつ言ってら。
キツネに化かされてら」
と、子どもたちの声です。
はっと我に返った和尚さんが辺りを見渡すと、
見覚えのある村の子ども達です。 サスケ
「あーれま、キツネに化かされたのかな、恐ろしかったな
(おら、キツネに化かされたんかいの。だどもな、お~っかねっけお)」
和尚さんの面[つら]は泥だらけ、口の中は砂だらけ。
さっき、お茶だと思って飲んだのは、
泥水だったのです。
子ども達と寺に帰ろうと立ち上がったのですが、
あれれ、腰が抜けて立つことが出来ません。 サスケ
和尚さんの手を引っ張るやら、腰を押すやら、
大騒ぎして皆で寺に着きました。
さすがにお寺に着いたとたん、
抜けた腰がしゃきっと治ったのです。 サスケ
・・・有り難や、有り難や。
「甘酒を沸かすから、飲んでってくれや
(甘酒を沸してくれるすけ、飲んでってくれやな)」
子ども達は大喜び。
「うあっ、甘酒だってよ、うれしいな(甘酒だっつお、うれしなあ)」
(キクノさんの説明です。
昔は甘酒なんてのは、滅多に口にすることが出来なかったんですよ。
あれは米で拵えたものなので、貧乏人[びっぷにん]の子どもには、
あんまり腹一杯飲んだことがなかったのです)
「うれしいな、うれしいな」
その中の一人の子が
「みんな、そんなことを(すっけなこと)言ったって、
甘酒なんて飲んで、道草食って学校へ行くと、
先生がはらを立てて(キモやいて)角出して
“そこん立って並んでろ、罰だぞ”って騒ぐぞ」
別の子が
「いいがな、一人で立たされれば辛いが、
大勢で立たされれば平気だ!
甘酒飲もうよ(甘酒飲んでろって)」
「よおし、この和尚がな、怒られないマジナイをしてやるからな
(しゃべらんねまじないしてやるすけな)」
といって筆を取り、
何やらさらさら、手紙を一本、書きました。 サスケ
学校へ行くと先生が肝やいて、
「みんな、どこで道草食ってた、罰だ。廊下に立って並んでろ」 サスケ
すると、和尚さんから手紙をもらった子が前に出て
「先生、これ見てくれと」
手紙をヒョロリとみた先生は
「ふむ、ふむ。何? 何? そうであったか。
先生はわけも聞かねでしゃべったっけな。
皆、勘弁してくれな。お前達はいいことして人助けしたんだってな。
いいぞ、いいぞ(よした、よした)」
子ども達が帰って
一人になった先生は考えたってんですのォ。
“お寺の和尚さんが、キツネに化かされた
・・・何とかこのオレも化かされてみたいものだな”
と、とんでもないことを思い付きました。
化かされるとどんな気分になるのだろう?
と思うと、好奇心がむくむく沸いてきて、
だんだん化かされる方へ、化かされる方へと、傾きました。
遂に、和尚さんより
もっとしっかりと化かされてみたいと思いました。
“だけれど、お願いするのだから、手みやげを持って行かねば。
何がいいかなあ
(だどもな、お願いするからにゃ、
手土産持って行がねばなんねがな。何がいいべな)”
(この人は本当に律義な人ですね)
先生は、一人で深沢の森に出かけました。
キツネどんの大好きな油揚げを手みやげにしてね。
「おーい、キツネどん、
オラ学校の先生じゃがなあ。和尚さんよりきつくきつく化かしてくれや。
おめえの大好きな油揚げ持って来ただ」
ほーら、って薮の中へポーンと投げ込み、
化かしてくれるのを今か今かと待っていたのです。
いくら待ってもキツネは出てきません。
キツネどんは大好物の油揚げを見つけると、
口にくわえてタッタカ、タッタカ、
山の奥へ逃げてしまったのです。 サスケ
・・・ここを一人で通る時は、油揚げ持って、
薮の中へ投げ込めばばかされないのだ(化かされねえがんだな)。
そう、気がついたというのです。 サスケ
村に来て村ん衆[むらんし]にそう言ったのです。
それが金兵衛どんの姐さと兄さの耳にはいりました。 サスケ
二人は相談をして、
峠の入り口に茶屋を開きました。 サスケ
甘酒だの稲荷寿司だの油揚げなどを商いました。
それが安くて味が良かったので評判を取り、
千住やら、十日町の方から買いに来るわ、買いに来るわ、
押すな押すなの大繁盛。
たちまち大金持ちになったのです。 サスケ
しかし、二人は儲けたおかねは
一文も自分の懐に入れなかったというのですね。 サスケ
一文というのは、今のおかねの一円でしょうかね。
困っている人に分けてやったり、
病気で苦しんでいる人に薬を買って飲ましてやったり、
正月が来ても餅を買ってもらえない貧乏人の子に
餅を買って分けてやったのです。 サスケ
和尚さんが化かされたという洞穴には、
稲荷大明神といって小さなお堂を建てました。 サスケ
そこを通る人たちが、稲荷寿司や、油揚げをお供えして、
お参りをして通るようになったので、
キツネはキツネで、
誰一人として化かさないようになりました。 サスケ
「いいことすると、気持ちがいいもんだにゃ」
と、夫婦は喜びました。
こんなに幸せな二人にも、
たった一つ悩みがありました。 サスケ
さて、その悩みとは何でしょうかのオ?
それは...
姐さは嫁に来て10年も経つのに、
ボーボが出来なかったのです。
それが、ふしぎなことに、ボーボが出来たのです。
それも、千両が出来た。
昔は、男の子(おつこっこ)が出来ると千両が出来たと言ったのです。
(女っ子が出来ると、五百両が出来たなんと言ったんですがの)
この息子を金太と名づけました。
(キクノさんは、節をつけて手拍子を取りながら、節回しよく唄います)
♪ 金兵衛どんの姐さに ボーボが出来た
金兵衛どんの姐さが 餅くれた
金兵衛どんの 甘酒は甘いぞ ♪
といって、この唄が流行り唄になったり、
子守唄になったりしたそうです。
(キクノさんの説明です。
これで「深沢の化け狐」の昔話は、いっちょうざっくりでした。
「いっちょうざっくり」というのは、この話は「一丁終り」ということですよ)
(昭和4年<1929年>11月25日生まれ)
(中里村は、平成17年<2005年>3月31日、
十日町市に編入した)
この旧中里村には天然温泉の出る村営
「ミオン中里」というモダンなホテルがある。
取材の後、う~んと手足をのばしながら
温泉に浸かるのは、
ゆったりとした贅沢な時間である。
取材者にとっては醍醐味の“時の流れ”である。
だだっ広い露天風呂の向こうに、
魚沼米の産地で、日本一の米どころにふさわしい
青々とした田んぼが広がっていて、
何とも心地がよい。
一面の湯煙が立ちこめる湯殿に浸かりながら、
聞いたばかりの「化けギツネ」の話を
心の中で繰り返し味わっていた。
・・・きれいな姐さに、化け物くさい風体の
おかしなボーボが負ぶさって出てきた。
次に、せんべい布団から手を出す化け物が、
ワジリと団子をつかんだりしてね。
・・・この意外性にはドラマがあり、とても面白いな。
ときどき笑いをかみ殺しながら思い出していた。
“化けギツネが出てきてくれないかなあ。
今でもいいんだけど”
と、ふと願った。
・・・と、そのとき。
湯煙の入り口から、若いお母さんが、
ボーボをしっかりと背負ってお風呂に入ってきた。
突然、霧のように立ちこめる湯煙の中から、
すうっと立ち現れたのだ。
「ふうん、この子くらいのが、
髪は銀色、口は耳まで裂けて、赤い舌をぺろぺろ...」
と、マジマジとその子を見ちゃったとおぼしめせ。
通り過ぎようとしたお母さんが、
いぶかしげにこちらを見て振り返り、
軽く会釈をしてくれた。
違うの、違うのよオ。
イメージの中の赤ん坊が、
ちょっとスーちゃんに、いたずらしたのね。
ごめんあそばせ。
民話とのこういう出会いもあったのですね。
後半は、和尚さんが、
・・・息が上がって、もうこれまでかと観念したとき、 サスケ
・・・天の佑けか、でっかい洞穴が目に入りました。 サスケ
・・・そこに身体ごとドーンと飛び込んだところ、・・・
ここからの話は、まるでタイムマシーンに乗って、
近代に着地したような印象である。
「化けギツネ」の出る時代を、
何となく江戸時代以前の、
電灯もない草葺きの家と思ってこの話を聞いていた。
ところが・・・
後半の話の舞台は、
どうやら学制下の小学校になっている。
・・・道草を食う小学生に甘酒をふるまう和尚さん、
説教をする先生。
舞台は寺子屋ではないので、
明治時代の学制施行(明治5年、1872年)以降であろうか。
「道草を食う学童に説教をする教師。
それをよく聞く子ども達」
のイメージから、これは教師が聖職者と位置づけられて、
学童は教師の説教をよく聞いた時代かと思われる。
いまでは、教師・学童・父兄三者のそれぞれの関係は、
この時代とは似ても似つかぬ間柄になっている。
同年齢の子どもを一堂に集めて、
教室の中で教科書を使用して教育するシステムの発見を
イノベーションだといった人がいるが、
この教育制度は
133年も同じことをやっている。
社会の価値観が変わり、
子どもも複雑な社会環境に置かれている現状なのに、
昔のままの教育制度で突っ走っては、
いずれ矛盾が吹き出す。
現代の日本の持つ解決できないままの深い悩み、
そのしわ寄せを教育が体現している、
といっても過言ではあるまい。
「化けギツネ」の話の後半から、
昔の小学生のありさまを垣間見ることが出来て、
小豆島が舞台となった
映画「二十四の瞳」の世界を懐かしみながら、
いろいろなことを考えてしまった。