鳥精進、酒精進

(静岡県、河津町)

昔、むかし、河津をおさめていた杉桙別命[すぎほこわけのみこと]
という神様が天城山を見回わっていた。
この酒好きの神様は、ひょうたんに酒を満たし、
弁当を持って歩いていた。
天城の山々は、
小春日和の柔らかな日差しに包まれていた。

稲葉修三郎さん
稲葉修三郎さん

昼時、ひょうたんの酒をごくごく飲むと、弁当も忘れて、
枯草の上にごろりと横になった。
そのうち、ついうとうとと、眠りこんでしまった。

どれくらい経ったのか・・・

パチパチと枯草のはぜる音に目を覚ました。
煙がはい寄ってきて、息がつまる。
野火は、もう足元まで迫って来ていた。
剣を抜いて、枯草の中に道をつけようとするが、
あたりは火の海。
火に取り巻かれて、なす術がない。

“不覚だった。もうこれまでか!”

その時だった。
東の一角からあわただしい小鳥の羽ばたきが聞こえてきた。
それは、何千、何万という
黒雲のようにおびただしい小鳥の群れだった。
小鳥達の羽は、ぽってりと水を含んで濡れていた。
小さな身体からしずくを滴らせながら、
みことの周りを旋回した。

一群が去ると、次の群れがやってきた。
こうして、小鳥達は
一団、また一団と、入れ替わり立ち替わりやってきては、
まるで雨のように水を落とした。
さしもの野火もこの雨足で下火になり、
みことはようやく命拾いをした。

里に帰ったみことは、このことをみんなに話した。
里人達は、

“みことを助けてくれた、小鳥に感謝する日”

を作ろうということになった。
鳥を食べない、玉子を食べない、酒を飲まない、
そういう日である。

みことの遭難した12月17日から、
3日間にするか、7日間にするか、一ヶ月間にするか、
みんなはいろいろ意見を言い合った。

「一ヶ月もじゃ、暮れも正月も酒が飲めん」

結局、「7日にするべえじゃ」と決まったのである。
千数百年経った今でも、
この村ではこの戒律を守っている。

稲葉さんによると、お祖母さんが

“タンスの中にしまっていた礼服の紋だけが、
燃えていた人もいた。”

と語ったそうだ。

スーちゃんのコメント



【語り部】 稲葉修三郎さん(大正15年6月生まれ)
【取材日】 2004年12月29日
【場 所】 河津町営国民宿舎、かわづ
【取 材】 藤井和子

河津町にある来宮[きのみや]神社は、
杉桙別命[すぎほこわけのみこと]を祭神としている。
この神は、木の神、火の神で、
この氏子を中心に河津の町では、21世紀の今もなお、
12月17日~24日の一週間というもの、
一切、酒を飲まないし、鳥類や玉子を口にしない風習がある。
これを怠ると、火事になるという言い伝えがある。

来宮神社本堂
来宮神社本堂
写真提供:河津町観光協会

ここまでの話を稲葉翁に聞いて帰るために、
スーちゃんは、JR河津駅に急いだ。

途中の道で、
体格の立派な息子を連れた母親と知り合った。
今から「パガテル公園」に、バラの花を見に行くという。
スーは、仕事も済んだし、何となくバラを見たいと思った。
秋咲きのひそやかに美しいバラの花。
いいなあ、と思ったとき、母親が、

「仕事が終ったのなら、一緒に如何ですか?」

と、言った。
即断即決、フーテンの寅さんになりましたね。
足の向くまま、気の向くまま・・・

パガテルとは、小さくて愛らしいものというフランス語だそうな。
パリのパガテル公園の姉妹園、フランス式庭園である。
しばらくして、同じように体格の良い息子
ヒロ君を連れた母親が合流して、
5人は庭園に近いフランス式レストランの、
庭をのぞむ白いテーブルで食事をした。

息子達は、ソーセージやローストビーフの肉類が大好物、
あっという間に食べたソーセージの串が並び、
ポタージュをごくごく飲む。
といっても母さんたちが、スプーンで、
一口ずつ口まで運んで、飲ませるのですけどね。
3歳の子どものように、ナプキンを首に巻いてやり、
どろっとしたスープをスプーンで飲ませ、
洋服にこぼれた汁をさっと拭くお母さん達。

ビュッフエスタイルなので、取り皿に食べ物を取りに行くとき、
始めに出会ったノブちゃんの母親が、そっと言った。

「私が死んだら、息子がどうなるかと思うと・・・
あの子より先に、死ねないのよ」

「・・・」

どんな言葉も気休めになる。
スーは一言たりとも、口をきけなかった。

ノブちゃんもヒロ君も、食欲旺盛で、どんどん食べるから、
30歳というのにおなかが出始めている。
背も高く、ホントみごとな体格、偉丈夫になっちゃったのね。
まったく口を利かないが、スーをにらむわけでもない。
目の前のご馳走に気がそぞろで、一点集中、
人間には興味も関心もないのだ。

そうして、母親達が河津の「鳥精進、酒精進」
実際のところを話してくれた。
鶏肉、玉子、酒は、この期間では、スーパーの売上が落ちるし、
居酒屋では酒を出さないので、臨時に閉店するところもある。

スー「有る程度は、と思ったけれど、それほどなんですか?」

後から合流した母親「私はここの生まれではなく、
隣村の出身だから、河津の人よりか、緩いかもしれない。
形のある酒は飲まないが、隠し味として料理には入れる。
玉子も、とんかつのつなぎには使う」。

この母親は、紫煙をスパッ~と、吐きながら言った。
実に美味しそうにたばこを吸う。
母親達は、食べ物を息子の取り皿に一切れずつ取り分けてやり、
こぼすスープの口元を丁寧に拭いてやりながら、
絶え間なく目配りをする。
この母親にとって、たばこがひとときの憩い、息抜きなのである。

河津町出身のノブちゃんの母親は、

「この日に酒を飲んだ人は、怪我をしたり、
火事になって家が全焼したり、
川に落ちて亡くなった人もいるのよ」

と教えてくれた。

ここではタブーが今なお息づいている。
興味深いことに、タブーを破ったらどうなるか、
結果の見える話も用意されている。
普通、タブーは破られないからタブーなのであり、
破ればどういう罰や災難が降り掛かるかは、
明示されていないことが多い。

また、スーのような外からちょっと来た人間に、
酒を出すかどうか、
これは村の共同体内部だけの戒律なのか、
外部の人間も戒律の枠内に押し込めるほど規制が強いのか、
興味ある内と外をめぐるポイントである。
スーは、宿に泊った場合、
宿主は酒を飲ませないと思うな。

バラ園を一巡りして、別れ際、ノブちゃんとヒロ君は、
(同じくらいの偉丈夫だが)並んで立ち、
まじまじとスーを見つめた。
母親達とスーが、別れの挨拶を交わす間じゅう、
何も言わずに、ただ立っていた。
“あなた、だ~れ?”と言いたげな、
不思議そうな目の色だった。
無垢な二人、純度の高い人間だから、
無理な笑顔は、決して見せないのネ。

秋のバガテル公園
秋のバガテル公園