●長野県、木島平[きじまだいら]村とは

長野県は、ヒグマが鼻ずらを新潟県に向け、横向きに立ち上がったような形をしているが、木島平村はその耳の辺り、新潟県に近い長野県の北端にある。
2m程度の積雪が普通というが、1974年(昭和49年)には、4mを越す大雪を記録した長野県屈指の豪雪地帯である。
雪は1cmしか降らない瀬戸内海で育ったスーには、想像を越えた難儀な代物とうつる。一方、各地を取材して回った印象では、民話が残っているのは、雪の降る地帯とほぼ一致すると考えている。
民話は雪のめぐみ、であろうか。

JR長野駅から、別天地のようにのんびりしたローカル線、飯山線に乗り継いで約50分。飯山駅を降りると、なだらかな田圃や畑のどこまでも続く、夢みるようにのどかな純農村風景が広がっている。ここは、木島平米を産する美味しい米どころ木島村なのだ。
駅から木島平村には、バス約20分。この日は村主催の「民話語りの会」が出迎えてくれた会場行きの専用バスに乗り込んだ。

木島平村は、人口5245人(2005年推計)。 ここもご多聞に洩れず、農業の担い手は高齢者である。しかも65歳以上の高齢者は、全国平均をしのぐ30.1%(2000年度)にも上り、全国平均に比べて、30年ほど高齢化が先行している。
高齢者は、4人に一人時代から、3人に一人へと静かに推移している。

9月初めの2日間、民話語りで著名な常田富士夫[ときた]さんを混えて、「民話語りの会」が開かれようとしていた。常田さんは、何とこの村の出身者なのだ。
また、ゲストとして、東北地方で活躍中の昔語りの3名人が語るという趣向もあった。

雌滝[めたき]の主

(長野県、木島平村)

さあて、昔話だ。

それは、夏の暑い晩の眠れねえ夜のことだった。

照明寺[しょうみょうじ]のおっしゃん(和尚)の夢枕に、
一匹の大蛇が現れた。

「わしは、飯山の柏尾[かしお]の宝全寺[ほうぜんじ]
という寺の池に棲む大蛇だ。
この池に棲みついて何百年も経った。
だんだん身体が大きくなって、今は池が小さくて棲みにくくなった。
どっかいいところはないだろうか?」

語る滝沢華子さん
語る滝沢華子さん

たまげたおっしゃんは、
寺の横を流れる大川を指さして、言った。

「この上に滝壺がある。
雄滝と雌滝というが、そこはどうじゃろうか?」

そう言ったところで、はっと目が覚めた。
不思議な夢だった。

朝早く起きて、寺男に夢の話をして、
すぐに寺男を柏尾の宝全寺に向かわせた。

一方、宝全寺のおっしゃんの夢枕に立った大蛇も、
こう言ったそうだ。

「この池は小さすぎて、わしの棲むところでねえ。
上木島[かみきじま]の照明寺のおっしゃんが話しているんだが、
雄滝と雌滝という滝があるそうだ。
そこに棲もうかと思う。
ついては、正装した八頭の馬と、礼として酒を八樽用意して、
[われ]を乗せて向かうべし」

おっしゃんはあわてて村人を集めて、
この不思議な話をしているところに、
照明寺の寺男がやってきた。

和尚さんの見た夢を話した。
宝全寺のおっしゃんは、

「ふ~ん、わしの話とぴったり合う。
こんな珍しい話はあったもんじゃねえ。
さっそく雌滝に行ってみるかい」

それっ急げってんで、
みんなは、大蛇が言ったように馬と酒樽を用意して、
雌滝に向かった。

宝全寺のおっしゃんは緋の衣に身を包み、
行列の先頭に立っていた。

(緋の衣というのは、僧侶がまとう最高の礼服です)

馬は、ことごとく吐く息荒く、汗びっしょり・・・
こんな異様な馬の姿を目にして村の衆は、身を震わせた。

しばらく行って雌滝のあたりに来たとき、馬どもは、
一声ヒヒーンと鳴いた。
それからはもう一歩も前に進まなくなった。

「そうか、このあたりだな」

と、村の衆は言いながら、
持ってきた酒樽を次々に滝壺に投げ込んだ。

その時、ご~っというものすごい音がして、
酒樽は渦の中に消え、水の底に引き込まれていった。

・・・大蛇は雌滝の主になったんだな。

幾日か経って、宝全寺の脇に流れる川の浅瀬に、
空の酒樽が一丁、流れついた。
それからは、この川は、樽滝、樽川と呼ばれるようになった。

5月の樽滝、雪解け水がしたたり落ちる。
5月の樽滝、雪解け水がしたたり落ちる。
写真提供:西沢和宏氏
(風景写真集「四季の彩り」より)

・・・柏尾の村は、昔から水が少なかった。
雨が降らないと、村の衆は本当に困ったものだった。

この時からは、ひでりで困ったら、
緋衣を着けた宝全寺のおっしゃんを先頭に、
村の衆は行列を作って雌滝におまいりするようになった。

笛や太鼓を鳴らしながら、雌滝に着くと、
酒樽を一つ落とす。

・・・すると、滝のような雨が降ってくるそうだ。

照明寺のおっしゃんは、今も8月には九頭龍神のお祭りをする。

(九頭龍神の御神体は、八岐の大蛇<やまたのおろち>ということです)

家に帰ると、ああら、不思議・・・
雨が降ってくるんだと。

そればっちり。

スーちゃんのコメント



【語り部】 滝沢華子さん(昭和13年6月4日生まれ)
【取材日】 2005年9月4日
【場 所】 木島平村、郷の家(ふるさと語り部交流会)
【取 材】 藤井和子

「民話語りの会」の会場は、
村民が手作りした「郷[さと]の家」である。

郷の家全景

木島平村に残る古民家の、
由緒ありげな柱や梁は昔の古い木材を
そのまま使ったという。
一歩屋内に入ると、
黒光りした床柱に高い天井が涼しい。
土間のかまどは、往時のままの農家の様式で、
今も薪で煮炊きをしていた。
座敷の一角には鈎付けの下がった囲炉裏が切られて、
湯がしゅんしゅんと音を立てていた。

「郷[さと]の家」は、
村民がさまざまに集う憩いの家として、
奥信濃の農村の生活様式を色濃くにじませた、
追憶の家でもある。

ゲストの語り部達を感激させた、昔のままの高膳で頂く朝食風景
(郷の家で)

9月の初め、東京はまだ真夏であるが、
豪雪地帯だけにすっと冷気も忍び寄る。
この家屋には、TVもBGMもない分、
屋外にすだく虫の音が聞こえて来たりする。
・・・そうか、民話は、こういうセッティングで、
昔から語られてきたのだな。

初日のハイライトは、
夕方から催された東北の語り部3人の
民話語りのショー。
新庄市渡部豊子氏、遠野市菊地栄子氏、
郡山市山田登志美氏。

(名人達の語った昔話は、
折をみてぼちぼち書くことにします)

夕方から襲ってきたにわか雨は、
屋外にしつらえた木組みの舞台に
容赦なく弾けて間断なく続く。
雨足が筋を引いて、目に見えるなんて、
想像できますか?

「せっかく村の人達が作った木組みの舞台だのに、
雨はやみそうもないですね」

と、言ったが、みんなは余裕の顔。

・・・ここの(山国の)にわか雨はこんなものですよ。

一時間も降りしきったが、
本当にぴたっとやんだ。

闇のかがり火だけが、ぱちぱち音をたてて燃える、
しいんとした暗黒の世界の中で、
名人たちは、手作りの木組みの舞台檀上に
次々に登って、座って語った。

かがり火の舞台で語る東北の名人
かがり火の舞台で語る東北の名人
写真提供:西沢和宏氏
(風景写真集「四季の彩り」より)

マイクがなくても通るよく響く声、
間合いの呼吸を心得た明瞭な話し方、
さすが手練れの語り部の話は耳に快い。
木島平村手作りの、
真似の出来ないセッティングだった。

2日めのハイライトは、
最後に語った常田富士男氏の「吉四六さん」
子どもの頃の笑い話。
ビロードのように柔らかいテノールが
じんわりと響く。
何という美しい声だろうか。
官能的な美しさは、
声に聞きほれて内容を覚えていないことがあるが、
それほどの美声だった。
みんなもスーちゃんも、
お耳がダンボでしたね。

「雌滝の主」は、2日めに語られた。
滝沢さんは、民話を掘り起こしている
村の文化活動に応じて、
採話し寺院に取材もして、
語りを練習した成果を披露してくれたものだ。