洗足山の鬼
鳥取県八頭[はず]郡用瀬[もちがせ]町に生まれ育った
小松善則氏(獣医、67歳)のお話です。
母上は7年前に93歳で亡くなったのですが、末っ子の小松さんは、
用瀬に伝わる昔からの怪談をたっぷり聞いたそうです。
用瀬には、洗足山(せんぞくやま、標高736.3m)という山があります。
一番鶏が暁を告げる前、
まだ日も射さないほどの朝まだき、
犬を散歩のお供にこの山を仰ぎ見ると、
霧がかかった三角に見え、やがて、
薄日とともに中国の墨絵に似た気高い山容を現わします。
今も頂上には20-30人は入れるほどの祠があります。
昔、ひき田の村に鳥越の長者がおりました。
長者夫婦には
美しい娘さまが居られました。
そのお嬢さんの部屋に毎晩のように、
若い男が遊びに来ました。
この娘さんを楽しませる面白い話をしては
明け方にどこかへ帰ってゆきます。
誰いうともなく、
長者の娘に若い男が通っている
と評判になりました。
「年頃の若いむすめのところに、男が来て逢引きをしているそうな。
男が誰か分かっとるんだろうか?」
これを人伝てに聞いた母親はびっくり仰天、
すぐに娘を呼んで言い含めました。
「これ、娘や。その男が来たら
着物の裾に麻糸を縫いつけるのですよ」
娘は母親の言いつけ通り、
男の裾に麻糸を縫いつけました。
翌日、母親が長く延びた麻糸を辿って山を登りました。
麻糸は、朝露を含んできらっきらっと光り、
どこまでも長く延びています。
ついに鬼の棲む岩屋に届きました。
「うわっ、洗足山の鬼が娘の相手だっ!」
と、長者の家は大騒ぎ、
えらいことになりました。
ここに、名乗りを上げたのが、
因幡の国司としてやってきた橘の行平様でした。
行平は、相手が鬼では簡単には退治出来ないと知って、
洗足山の下の葦男[あしお]さん
(国主命、別名葦原魂男神“あしはらしこうのかみ”)に祈願をしました。
ようやく鬼を退治して、
洗足山のてっぺんで鬼を焼きました。
これで、めでたしめでたし
といかないことが起こったのです。
鬼の「死の灰」が、
風のまにまに飛び散りました。
今もそうです、
ブヨという動物になって、人々を苦しめています。