●酒井先生のこと

酒井董美先生
酒井董美先生

島根県の民話採集に過去40年間尽力し、今なお島根県の民話、民謡やわらべ歌の生き字引として、第一人者として活躍しているのは、酒井董美氏(ただよし、1935年生まれ、前島根大学教授、現鳥取短期大学教授)である。著書は「山陰の口承文芸論」(三弥井書店刊)他多数。

写真 酒井先生にお話を聞くスー
酒井先生にお話を聞くスー

スーちゃんは、前回の出雲、江津と同様、今回の隠岐の島(島後)の取材でも一方ならぬご教示をうけた。ことに「蟹淵伝説」では、資料の他、参考として氏が昭和57年(1982)夏、故茶山義一氏(明治30年生まれ、当時元屋に居住、85歳)の語りを採録した貴重なテープ音源を惜しげもなく提供頂いた。

金木犀[キンモクセイ]の謎

(島根県江津市波積町)

朝8時前、島根県、江津市駅付近のコンビニは、
男子中学生達が朝食用のパンを求めて群がっていた。
今日の取材目的地の波積町[はずみ]は、
江津市の中心から石見交通のバスで 4, 50分。
バスに揺られてまもなく、江津市の民家がとぎれる頃、
終点付近の車窓からは、
山に縁取られた見渡す限りの田園風景が広がっていた。
バス停の終点では、語り部の道下さんが手を振って出迎えてくれた。
客はただ一人だから、すぐに挨拶を交わした。

波積町に森川[もりがわ]という地名があり、
そこに一周すれば6,700m位の小山があります。

森川には、平家の流れを汲む嘉戸家という旧家があります。

いつの頃か、年も押し詰まった大晦日に、
大旦那が下男を呼んで命じました。

「もしも、代を重ねて嘉戸家の子孫が金に困ることがあるといけん。
小判を埋めに行ってくれんか」

下男は7駄半(1駄は30貫目、225貫目、約844kg)という
大量の小判を馬に乗せて運び、
森川の小山に埋めました。

夕方、それもとっぷりと日が暮れるまでかかったといいます。

埋めて来ましたけん、と報告したところ、大旦那は、

「ご苦労。おまえはこの小判を守ってくれんか」

「承知しました」

「もしも嘉戸家に小判が入用になったら、その上に立って教えてくれ」

その日は12月31日、
年取り餅・・・このコブカ餅と呼ばれる餅は、アンコを外に付ける・・・
この地方では、
食べる習慣がありました。

「ちょうどコブカ餅を用意しているけん、食べんか」

と、その餅を馳走した後で、
下男を打ち首にして、
小判と同じところに亡骸を埋葬しました。

それ以後、嘉戸家では代々の言伝えで、
コブカ餅をつかず食べてはいけないといわれてきました。

誰言うともなく、

“小判のありかには、金木犀[キンモクセイ]が咲く”

という噂が広まりました。

・・・それから、ずいぶんの時が流れて、
第二次世界大戦も終った頃の話です。

道下さんは、こんなことを話し始めました。

「ワシは、その爺さんを知っとるがねえ」

その人は、嘉戸家とは無縁の人で隣村から婿養子に来て、
森川の近辺に住んでいました。

あるとき杖をついてたんぼを見回りに来たとき、
咲き誇るキンモクセイに出遭ったのです。

「うわっ、小、小判のキンモクセイが、咲いとる!」

爺さんはツルハシと山鍬[やまぐわ]を取りに、
無我夢中で家に戻り、引き帰しました。

しかし・・・。

もうどこにもキンモクセイはありませんでした。
消えてしまったのです。

「確かにアノ辺に、咲いとったがなあ」

と、爺さんの執念はものすごく、諦めきれずに、
至るところを掘り返したのですが、
探しても探しても小判は出てきませんでした。

10月になれば、キンモクセイはどこにでも咲いて、
ふくいくとした素晴らしい香りを放ちますね。
昔話のこのキンモクセイは、
人に小判の在処を教えるために、
四季を問わずに咲き、美しい姿を覗かせるというのです。
道下さんは

「見る人に徳がなけりゃ(花に)遭われんし、
小判も・・・(出てこない)

と言いました。

夢のようなかぐわしさと、
現実感がないまぜになった不思議な物語です。

道下春美氏
道下春美氏
キンモクセイの木
キンモクセイの木

スーちゃんのコメント



【語り手】 道下春美氏
(昭和4年<1929年>3月11日生まれ)
【取材日】 2003年5月28日
【場 所】 波積町の柳原ヒサコ氏宅、
同席:柳原ヒサコ氏
【取 材】 藤井和子

香木のキンモクセイが宝の隠し場所を暗示するというのは、
面白い発想である。
夕闇にどこからか漂よってくる香りだけが、
この木の位置を知らせてくれることは多い。

たとえ目が見えなくても香りを辿って花を探せるし、
鼻が利かなくても遠くからでも、
目立つ朱色の花を咲かせているのを見付けることが出来る。

スーちゃんは、今回は香りに注目したいと思う。

ある匂い、香りを嗅いだとき、
どんなに昔のことであっても、その当時の情景、
心のひだや人とのやりとりをまざまざと思い出すことがある。

例えば・・・

20年も前に、小豆島のラベンダー畑

(あそこは純粋のラベンダーが育つには暖か過ぎるらしく、
より香りの強い近縁のラバンジーがよく育つ。
スーは、ラベンダーの“イトコのラバンジー君”と呼んでいた)

に座り込んで、指先が染まるほど紫の濃いラバンジーを
摘んだ時のことである。
梅雨の晴れ間の空は高く澄み、
目の前はるかに一望出来る内海湾[うちのみ]は、
つるりと光る宝石の面のように、つやつやしてしずもっていた。

ラベンダー畑のまわりの、背の高いオリーブの木々が、
さやさやと葉ずれの音を立てていて。

ラベンダーの香りを嗅ぐとどんな時でも、この情景がよみがえり、
一瞬にして全てを想い出す。
疲れているとき、スランプになってつまらないな、
と思うとき、この香りを嗅ぐと、気分が、精神状態が、
プラス方向に急転回するわけ。ね。

簡単すぎるよ、と笑わないでね!

香りと記憶・・・ヒトの脳には、
何万という雑多な香りを記憶出来る引出しがあって、
時を経て同じ香りが鼻から入って来ると、
その香りにまつわる記憶全体が瞬時に
活性化するのではないかと・・・思う。

これは、体験的な素人の考えに過ぎないが、
脳内のどういうメカニズムでこういう
化学的・精神的な変化が起こるのか、
スーちゃんは「香りの神秘」に対して、
好奇心でいっぱいになる。