漠岩キツネ

(島根県江津市波積町)

その1

次の話は、父上が道下さんに話してくれた体験談2話です。
厳密には、昔話や伝説とは言えませんが、
その雰囲気を十分に伝えていて、昔話の始まり、出来かたを
予感させてくれる興味深いものです。
父上増一氏は88歳(1982年)で、亡くなり、
亀一さんもよく知っている人といいます。

その朝、父は、夜明け前に野良に出かけました。
旧盆の8月、四時頃のことでした。

すると・・・

棚田のたんぼのところに、
原亀一さん(生存していれば、130歳くらい)の姿が見えました。
田の畔[あぜ]に座って両手を付いて、
盛んにお辞儀をしてます。
なにやら口で呟きながら。

「有難うございました。ご馳走になりました」

と、一生懸命に礼を言っている。

お辞儀する道下氏
お辞儀する道下氏

「亀衆、か~め衆! 何を、有難うございました、と、
こんなところで手エついて言うとるんじゃ、
泥だらけになっとるが!」

「招ばれてな、ごっつおオ(ご馳走)になってな」

父は、亀さんの異様な姿にピンと来るものがありました。

「・・・おまえ、何言っておる。
とぼけるなよ、キツネに化かされとるんじゃ」

「いいや、ごっつおオ(ご馳走)、招ばれてからに(ご馳走になってね)!」

「何をごっつおオ(ご馳走)になった?」

「盆だんごをいっぱい招ばれたけん」

父上は

馬のくそだろう、

とおかしさをかみ殺して言いました。

亀さんは、なおもお辞儀をして礼を言いながら後ずさりしたので、
棚田からパタンと落ちました。

多分、座敷に上がっているつもりだったでしょう。

「おまえ、牛はどうした?」

と聞いたとき、
亀一さんは、近くの寺の松の木につないだ牛のことを思いだして、
ようやく本性に戻ったのでした。

その2

江戸のキツネ
江戸のキツネ

波積南にかかる初めの登り坂を
爆岩坂と言いますが、
そこはよくキツネが出るという噂がありました。

父はその日、馬の手綱を引いて、
暗くなった夜道を家に向かっていました。
あちらこちらの農家の灯も、
みんな寝てしまったのか、
ひっそりと暗くなっていました。

漠岩坂の登り坂にさしかかると、
山道のあたりは雑木が茂り、
ざわざわと風が音がするばかり。

昼でも薄暗い、早く通り過ぎてしまいたい所です。

坂のむこうから人が降りて来るのが判りました。

“こんなに夜遅く、どんな人だろうか?”

近づくと、
この辺ではみたこともない美しい女性でした。

“ふうん、女が夜道を歩くはずがない。
これは、化けキツネだな”

と、思いました。

こんなとき、気を落ちつけるためには、
小便をするに限ると思って、
馬の手綱をまたいで、勢いよく立ち小便をしました。

そのとたん、
今まで近くにいた女の姿がふっと消えてしまいました。

“おまえに、化かされてたまるか”

と思いながら、
馬を急がせて、何事もなく家路についたということです。

スーちゃんのコメント



【語り手】 道下春美氏
(昭和4年<1929年>3月11日生まれ)
【取材日】 2003年5月28日
【場 所】 波積町の柳原ヒサコ氏宅、
同席:柳原ヒサコ氏
【取 材】 藤井和子

キツネは、里山に住む野生の動物であるが、
その曲線的で優美な体型、
すばしこい動きに加えて神出鬼没のイメ-ジがあり、
いまなお、農村地帯では稲荷神としてまつられている。
キツネの融通無碍[むげ]のイメ-ジが、
商売繁盛を願う商売人の、魅力的な守り神として、
また神様の使い姫として
信仰の対象となったようだ。

稲荷神社の赤い鳥居をくぐると、よく目にするように、
拝殿にキツネの好物とされる
油揚げや稲荷寿司が供えられ、
そのわきには一合びんの酒が置かれている。

こういったマジメなキツネの他に、
人をだますキツネもいた。

キツネ界の“タテ社会”関係は、いまいち分からないが、
神様キツネから悪キツネまで、
尊敬されるキツネから軽く見られるヤツまで、
きれいな序列があるようだ。

スーちゃんには、悪賢いが間抜けなキツネが
何とも言えないほど面白い。

顔はうまく化けたつもりが
尻尾を出しているようなキツネである。
貰ったお金がアララ、木の葉になっちゃったとか、
夜遅く家路につく間に、
ご馳走の詰まった重箱を横取りされたとか、
うまく騙されて頭の毛を剃られたとか、
昔話には、思わずニヤッとするキツネがわんさといる。

罪のない騙され話は、村落共同体では、
隣近所の格好の噂話のネタであり、
キツネは多くのエピソードを提供する
面白いキャラクタ-だった。

話は飛ぶが、アフリカのマラウイという、
国土の80%をマラウイ湖が占める
東アフリカの内陸国がある。
ここの昔話では、ずるくてはしっこい役を担うのは、
キツネではなく、何と野ウサギだという。
例えば、とろい男を騙す「野兎ティレレと馬鹿男」など、
悪役は野ウサギが担っている。

(余談だが、この昔話を「第7回、世界のお茶の会
・・・マラウイの紅茶、チョンベティを飲みお菓子を食べる」

<2001年9月開催>において、出し物として、
腹話術師池田武志氏に演じて頂いたが、
大変ウケましたね)

前大使夫人、ミセス・マングラマによれば、

“マラウイでは、月夜に大木を囲み、
お年寄り(おじいさん)が子ども達に昔話を聞かせる。
大きな星がきらめき、それは、楽しいことですよ”

という話であった。