竹切り爺さん

(島根県隠岐郡隠岐の島町)

昔、昔あるところに
金持ちのとっつあんがいたそうです。
屋敷の後ろに大きな竹林があって、見事な竹が育っていた。

「とっつあん」とは、島後では、金持ちの旦那を指す)

ハチク(淡竹)の竹林 写真
ハチク(淡竹)の竹林
(写真提供:渡辺政俊)

藤野さんは言った。

「竹を闇夜に切るのはよくないそうです。
月夜に竹を切ると後で、
切口から虫が入らないとか、
切った竹が長持ちするとか言いますね。
竹には切るのによい時期があるのです」

さて、長者の竹林に、竹を切る時期になると、
黙ってはいる人がいた。

長者は、了解もなく竹を切る
スポン、スポンという音を聞くと、

「だい(誰れ)かいな。
又、竹切りが来ちょうわな(来ているな)

と、呟きました。
断わりもなく竹を切っておるが、
今日は懲らしめてやれと、思ったそうです。

竹林に行くと、奥に向かって大声で呼びかけました。

「だい(誰れ)だ! うちの竹切る奴は?」

「へい、へい。いつもいつもの、へふり爺いでござんす」

(興味深いことだが、藤野さんのコメントによると、
中村集落では、いつも行きつけている者が訪ねて行ったとき、
家の中から「だい(誰れ)だの?」と問われると、
「いつもいつもの、へふり爺だわな」という慣用的な言い方がある。
これは、“しょうもないヘボ用で、つまらない者がいつものように来た”
くらいのニュアンスである。年寄りは今もこの言い方をするという。
旧隣村の都万村では、この挨拶の言葉は聞いたことが無い、と門脇氏)

さて、長者は、おかしさをぐっとこらえながらも、
意地悪い気持ちになって言いました。

「そうか、へふり爺いか、そんならここへ来て、へふってみい」

出来るはずがないですよね、
と、藤野さん。

ところが爺さんは、やる気まんまん、
竹薮から降りてきたのです。

「そうか、出来っか? そんならやってみい」

爺さんは、やおら着物をたくしからげると、尻を叩きながら、

“錦さらさら五葉の杯[さかづき]”、

ここまで来ると一段と声を張り上げて、

“すっぺらぽんのポ~ン”

と、かけ声をかけました。
気合いで、おならがポンと音高く出た。

長者「これは驚いた。見事じゃ。おまえ、もう一つ、(へ)降ってみい」。

爺さんはちょっと考えましたが、
用意が出来たと見えて、前と同じように、

「すっぺらぽんのポ~ン」

とやると、おならが出て、
今度も大成功をおさめました。

「う~ん、おまえ、がいに上手にへ降るなあ」

長者は、手を叩いてはやしました。

(小豆島では、“がいに”をこの意味では使わないが、
香川県のさぬき市長尾では使っている。
叔母様が嫁いでいるため、子供の頃からよく遊びに行き、
このことばをたびたび耳にした。
島根県の隠岐の島と四国の香川県の間には
本州がでーんと横たわっているが、全く同じ意味で使っていて興味深い)

へ降り爺さんは、
褒美を背に戻りました。

これを聞いて、おさまらないのは隣の爺さんです。

「あいつア、うまいことしたなあ。
へ降る位ならオレにも出来っがなあ」

と言いながら、
そろそろ長者の竹薮に入りました。

竹を切る音を聞いて長者は、

“また、来ちょうがの、あの爺は!”

と、裏の竹薮に向かって大声で尋ねました。

「だい(誰れ)だあ、竹切る奴は?」

待ってました、
とばかりに隣の爺さんは、

「いつもいつもの、へ降り爺でござんす」

長者「そんなら、もういっぺん、ここへ来てへ降ってみい」

というやりとりがあって、
大竹をくぐりくぐり、隣の爺さんが出てきました。

尻からげすると、

“錦さらさら五葉の杯[さかづき]、すっぺらぽんのポ~ン”

と、尻を叩いたらおならがポンと出ました。

「おまえも、上手だな。そんならもういっぺん、やってみるか?」

隣の爺さんは、えっと思ったのですが、

“まだ、褒美も貰うておらん。褒美を頂かにゃならん”

頭の中は、慾心がぐるぐる。

おなかもゴロゴロ鳴りだして、腹が痛うなって来た。

“錦さらさら五葉の杯[さかづき]、すっぺら”

の所で、どうしても我慢できなくなりました。

“ポ~ン”

と叫ぶと同時に、
うわっ、実弾が出ちゃったのです。

「何だ、おまえ。汚いじゃないか。無礼者め!」

長者は、鼻をつまみながら、爺さんの尻を力任せに叩き、
そこに山俵[さんだわら]を当てて、
屋敷へすっ飛んで帰りました。

爺さんは、泣きながら家に帰ったということです。

とん
隠岐の島・浄土ヶ浦 写真
隠岐の島、浄土ヶ浦
(写真提供:隠岐島後観光協会)

スーちゃんのコメント



【語り手】 藤野ミヨコ氏
(昭和10年<1935年>5月10日生まれ)
【取材日】 2004年10月3日
【場 所】 隠岐郡、隠岐の島町教育委員会、
同席は小室賢治氏(教育委員会)
また、上記と全く同じ内容の語りは、門脇昭辰[てるのぶ]氏からも、都万村[つま]の名所、壇鏡の滝[だんぎょう]へ向かう車中でお聞きした。
【取材者】 藤井和子

藤野さんによると、類話のうち、
隣の爺さんは尻を切られたという結末もあるそうだ。

門脇さんいわく

「リズム感が好まれるのか、
幼稚園位の小さい子でもこの話はよく覚えてくれる」。

そんな小さな時から、
村に伝わる昔話を聞ける子らは幸せ。
子どもでも含蓄のある昔話の核となるメッセージを
しっかり受け取ることが出来るからだ。

さて、竹博士の渡辺政俊氏によれば、
竹や竹林は奈良・平安時代には珍しく、
竹林が本格的に造成されたのは、
室町時代だと言われている。
この頃は、マダケやハチクが竹林を形成し、
モウソウチクはまだ渡来していなかった。

昔話は、誰が作者でいつ頃に
出来たものか分からないのが常である。
この話は、竹林が舞台になっていることで、
歴史的なセッティングが判明していて、
昔話の成立時期を考える上で興味深い。
なんと「竹林」が、
重大なヒントになっている。

しかも長者だから竹林を所有できたというニュアンスは、
今は珍しくも何ともない竹林なのに、
奇異な感じを受けたが、
例えば室町時代の初めには
竹林が珍しかったのなら、
この話の成立時期は室町時代かと推測できよう。

成立時期に関心を持つのは、
出来ればそのころの日本語、
方言でゆっくりとしたテンポで昔話を聞きたい
と想うからである。
長者の屋敷のたたずまいや、じいさんの格好など、
タイムマシンがあればなあ、
と夢想したりする。

誰でも知っている「竹取物語」
竹の節に光輝いていた“かぐや姫”の話は、
平安時代900年に成立した(渡辺氏)とされている。
竹切りの話はだいぶ時代を経た
竹にまつわる話として興味深い。