ゴト淵の河童

(島根県隠岐郡隠岐の島町)
門脇昭辰氏 写真
門脇昭辰氏

さて、門脇昭辰氏の話です。

都万川[つま]には、昔はあちこちに
河童の住んでいそうな深い淵がありました。
子どもの頃は、年寄りから

「あんまり遅くまで遊ぶなよ。
カワコに引っ張りこまれるからな」

と、言われたものだったという。

都万川にゴトという淵がありますが、
水面すれすれに洞穴があり、
河童が一匹棲んでいました。

これは昔は深い淵でしたが、
今は河川工事の影響で淵はほとんど埋まっています。

河童(境港市、水木ロ-ド)
河童(境港市、水木ロ-ド)

ゴトの近くに住む
山崎力之介[りきのすけ]は、
いつも馬を洗ったり
草をはませたりして、
淵の側で馬の世話をしていました。

その日も、土手で馬に草をはませていたのですが、
河童はかねてから

“いい馬だなあ”

と、目をつけていたので、
今日こそは川に引き込んでやろう、
とチャンスを窺っていました。

馬は何も知らずにのんびりと草をはみ、
次第に淵に近づきました。
河童は、それっとばかりに飛びだして、馬の手綱を手にすると、
自分の身体にグルリと巻き付けました。
水中では、河童の力は強いので、
自分でも大いに誇りに思っていました。

“ゴトの河童さまの力だわい、あんな馬くらいなんだ。ヘン”

いっぽう、力之介が自慢にしている名馬です。
河童にぐいっと引っ張られて、
一瞬驚きましたが、だっと走りだしました。
河童は淵から引きずり出され、

オレとしたことが、いったいどうなったのだ、

と、考える暇もありません。
馬は、やみくもに走り始めました。

ゴトの淵 写真
ゴトの淵。写真の右方。
目をこらしても河童の居そうな洞穴はなく、
淵の凄味はもはや無かった。
横枕橋 写真
横枕橋

この淵をすこし行ったとき、
河童は横にまくれ(転倒して)ました。
それを見ていた村人は、そこを横枕と名付けました。

馬は闇雲に走って、自分でもどこをどう走っているか
頭がぼーっとしてきました。
河童を振り払いたいのですが、
しっかり手綱に身体を縛っているので離れてくれません。

河童の腕がもげた所は、
今も腕[かいどり]という地名で呼ばれています。
河童の血が点々と落ちた所を、落血[おちじ]
河童はだんだん身体を擦られて骨と皮になりましたので、
そこをかわほね

馬は走りに走って、とうとう山の上まで来てしまい、
ここで哀れな河童は命を落としました。

馬は安心して一息つき、
安が尾根[やすがおぜ]と呼ばれています。

檀境(だんきょう)の滝 写真
都万の中心から車で20分の檀境[だんきょう]の滝
男滝と女滝があり、男滝の後ろはくぐれる。
(写真提供:隠岐島後観光協会)

スーちゃんのコメント



【語り手】 門脇昭辰氏
(昭和3年<1928年>2月16日生まれ)
【取材日】 2004年10月4日
【場 所】 隠岐郡、隠岐の島町都万
【取 材】 藤井和子

河童は、さまざまな呼び名で呼ばれている。
かわこ、河太郎、ぐわっぱ、がたろう、がめ、など。
地方によっていろいろである。
小豆島では、子どもの頃、
父がガタロさんが生き肝を抜くと言うのを聞いたことがある。

隠岐にも河童の話が多くある。
もともとは旧西郷町の河童が、
よりよい住処を求めて、
全島の川に散らばったとも聞く。
隠岐にやって来たのは、
有名な熊本の八代の河童一族なのか、
黄河から渡来したのか、
今もって素性は謎である。

人と相撲を取るのが好きで投げ飛ばすとか、
(子ども)や馬を川や池に引き込んで
肝を抜くなど芳しくない話が多い。
地方によって、呼び名がいろいろあるように
河童の為す業[わざ]もさまざまである。

遠野には村の人妻に子を生ませた河童さえいる
(「遠野物語」)
多和田葉子の「犬婿入り」は、
昔話に材を取った奇想天外な小説で、
芥川賞を受賞した(1993年)
遠野のこんな河童も斬新な視点で、
芥川賞をかっ飛ばせないものか。
昔話には、素朴な異類婚の話は多い。

本篇のように、河童側のかわいそうなまでの
完敗で終わる河童話、
しかも地名として残っている昔話は
珍しいのではないか。