風集めの悪知恵
隠岐の島、隠岐の島町の西村という所に、
大きな屋敷を構えた庄屋さんがいました。
西村は海産物に恵まれた所で、松江からわざわざ役人が来て、
上納金として海産物を取り立てる習わしがありました。
役人はいつも夏にやってきたので、
接待のために涼しい風を送るのが常でした。
庄屋の考えで、毎年のように、
冬になると北風を下男に集めさせました。
白島(しらしま、島は、百あると思っていたが、
一島足りない99島だったことから、
この名がある)の突端、
“白島の鼻”という北風が
吹き付ける所にでかける
下男の辛さは一通りではありませんでした。
下男達は、大きな皮袋の口を海に向けて、
寒風を溜め込むのです。
皮袋はだんだんに膨れて行き、
ぱんぱんに膨れたときに口をぎゅーっと縛ります。
何袋も何袋も背負って屋敷に戻ります。
重くなくてもかさばるので、持ち歩くのは難儀です。
皮袋の風は、こうして屋敷の風蔵に納めておきます。
下男達は、“風汲み”が嫌なので、
いつもぶうぶう不平を言いました。
「役人が座敷にござっしゃっても、
ご馳走(ごっつお)は、あの衆[し]らだけが食べさっしゃる。
あの衆らだけのごっつおだけ。
わい等もちっと何ぞ、考えよう」
(不平たらたらの下男の言葉は耳で聞くと、方言ならでは、
真に迫った名調子です。職業的な俳優のように巧まず、
しぜんに口をついて出て来る話言葉です)
そうだ、良い考えがあると一人の下男が言いました。
それはね、次のことでした。
皮袋に尻を当てて、す~っとやりました。
プウプウ、プププ・・・
口をしっかり縛って、何食わぬ顔をして
風蔵にぽ~んと投げ込みました。
やがて、夏がきて
松江からはるばると役人達がやってきました。
威儀を正して座敷に通された時は、汗だくでした。
「下男よ、下男。早く蔵から袋をとってきて、
早速、涼しい風をお見舞い致せ」
と主人。
すぐに、次の間から涼しい風がすいすい入ってきました。
一つめの皮袋は、正常な冷たい風が入っていた、
ラッキーでしたね。
酒がたっぷり出て、高脚の朱塗りの膳にはご馳走が並びました。
役人達は、旨い酒をグビグビ飲んでは、
肴を口に運び、とてもいい気分でした。
(キツネが役人に化けてやって来る昔話もありますが、
隠岐バージョンの役人は酔っぱらっても、
尻尾を出したり鼻がつんと高くなったりはしません。
本物の人間ですから。
ただし、両方とも、酒と肴の供応が大好きな点は同じです)
宴もたけなわ、頃合いをみて主人は、
もう一つの袋から涼しい風を送ることにしました。
今度のは~、
ややや、変な風にばっちり当たってしまった。
「これは、何だ!」
上機嫌で酔いしれていた役人達は、
鼻先をうちわであおいで大騒ぎ。
庄屋は、赤くなったり青くなったり、
平伏して頭を下げたまま顔を上げることが出来ませんでした。
(昭和10年<1935年>5月10日生まれ)
同席は小室賢治氏(教育委員会)
藤野さんによれば、
島後の白島のあたりから採れる干しあわびが、
松江藩に届けられたことは記録にあるという。
接待に気を遣い、役人に涼しい風を供応する
意外性がウケたのだろうか。
スーちゃんは現代の風集めとは何か、を考えてみた。
そうだ、風力発電があるじゃないか、
ぽんと膝を叩くと、早速でかけましたね、
江東区若洲の風車を見に。
新木場駅(有楽町線)から、
「若洲キャンプ場前」行きのバスで10分、
徒歩8分で風車の真下に着く。
一基の風車が2004年4月1日から稼働している
(3月26日竣工)。
イメージの中の風車は、
ヨーロッパの4枚羽根でゆっくり回転する
牧歌的ムード溢れる風車だった。
目にしたのは巨大な飛行機のプロベラのような、
技術工学の粋を結集した三枚羽根の風車であった。
ふ~む、風車はここまで、来てるのね。
11月末、東京の晩秋の風は結構あり、
プロペラ達が金切り声ならぬ風切り音を立てて、
くるっくるっと休みなく回っていた。
一枚の羽根の長さは40m、鉄塔の高さは60m。
鉄塔の壁面には、手塚キャラクターの巨大な
「鉄腕アトム」や「りぼんの騎士」の絵が張り付いている。
あれっ、「鉄腕アトム」って、
原子力のシンボルじゃなかったっけ。
IHI(石川島播磨重工:坂本寿美雄電力部課長)
の話では、小枝が揺れる程度の、風速4m/sから
プロペラは回転しはじめ、
暴風雨程度の風速25m/sで停止する、
無人のコンピュータ制御である。
最大出力1,950kwは国内最大級。
江東区内約1,000世帯分の電力
(年間350万Kw)を供給し、
残りを東京電力に売電している。
区は、造成と建設費に5億2000万円をかけたが、
風車の耐用年数20年の内には償却出来る成算あり、
うんぬん。以下略。
・・・風力はいつも一定とは限らないでしょ、
安定供給出来るのかな、
ということがちらっと頭をかすめた。
それにしても大前提として、
“風力発電はいいな”と思うのは、
何といっても風力資源は枯渇することはなく、
地球温暖化を促進するCO2を中心としたガス
(フロンガス、メタンガス)を排出しない点である。
風車博士の牛山泉教授
(足利工業大学、大学院)によると、
化石燃料はもうすぐ枯渇するという。
埋蔵量を予測すると、あと石油41年、
天然ガス63年、石炭218年分しかない。
石油にいたっては、
「富士山を逆立ちさせて、
直径40kmのさかずきに見立てると、
狭い底の部分の1/8しか残っていない」。
化石燃料や、原子力エネルギーが排出する
ガスや処理物質は、環境での負の側面や、
膨大な処理コストでも重い課題となっていることは、
周知の事実である。
日本は自然災害の台風や落雷が多く、
これらのマイナス要因も不安材料であり、負荷になる。
つまりこうむる風車被害が多いことだ。
かつて宮古島の台風による風車被害では、
最大瞬間風速74.1m/sを記録した
(2003年9月11日、台風14号)。
この時、風車を支える鉄塔は
むざんにも白い腹を見せ横倒しになった。
いったい何億円が風と共に去ったのだろうか。
また、牛山博士によると、ヨーロッパのように
平らな地形に吹く素直な風ではない。
急峻な国土のため、
風の性質も乱れの多い悪風である。
いつか見たテレビの画面を思いだす。
日本の三大悪風で有名な、
例えば山形県立川町の悪風は
「清川だし」と名前まで付いている。
昔、立川町に嫁いだ若い嫁は、
姑よりもコイツに泣かされたらしい。
この立川町は、今や逆転の発想で
風力発電で一躍有名になった。
現在、大小11基が舞い、町の年間電力消費量の
57%をまかなっている。
このように、ヨーロッパやアメリカ大陸に比べて
風車設置条件は恵まれていないが、
クリーンなエネルギー資源なだけに、
水準の高い技術力が、
マイナス面をカバーしているのも事実である。
・・・やれば出来るんじゃない。
日本には、あの“プロジェクトX”の
ココロがあるのだから。
昔話の豊かなイメージ性が、
風力発電を思い起こさせてくれたので、
「風集め」の話がとんだところに波及した。
昔話の中の風の世界と、現代の風集め、
皆さんは何を考えますか?
「最も美しい」と得票した弧状のレイアウト。