海苔田坊[のりた]の呪い

(島根県、隠岐の島町)

隠岐の島の最北端に“海苔田の鼻”と呼ばれる所がある。
源平の合戦で敗れた平家の武将、海苔田という人が
憤死した場所とされている。
武士がどうやってここまで落ちて来たのかは分からないが、
馬に乗って落ちのびて来たといわれている。

展望台から見た島後の島々。琴島は左方に飛び出た離れ小島。

武士は、馬に乗ったまま離れ小島の琴島に駆け上がったという。
ここで落武者が琴を弾いたともいわれ、
なぜか、女がこの島に登ると
今でも大時化[しけ]になるなどと言われている。
この島は、畳120畳(60坪、198㎡)位の平坦な小島だ。

琴島で腹を切って自害をはかったが、
すぐそこに迫った追手に気づいて鎧兜を身に付けたまま、
海に飛び込み、海の底にじっと潜んでいた。
追手の源氏方の大将は大音声でこう呼ばわった。

「このままでは、おめおめ帰れぬ。
海苔田の首級[くび]を土産にせぬうちは帰らぬ。
者共、探せ。漁師どもも探せ。
見つけた者には、ほうびを取らせるぞ」

このときカナギ漁をしていた村の漁師達も探し始めた。
カナギ漁のために水中眼鏡で海底を覗いていた漁師は、
底に沈んでいる武将を見つけた。
鉄兜を帯びてじっと横たわっていた。

漁師は裸になって海に潜り、瀕死の武士を引っ張り上げて、
源氏の大将に差しだした。
大将はすぐに首を掻き切った。

(そのときに岩から海へと血が滴った跡には、今もひじきが採れるそうです。)

藤野さんはフト、思い出すような目の色をして言った。

(母方の)爺さんは、
“そこだけひじきが生えちょるぞ。
隠岐にはひじきが無いが、ひじきが生えちょるぞ。”

と言っておりましたね」。

海苔田は首をはねられる間際に、
かっと目を見開いて漁師をにらんで叫んだ。

「おまえは、代々目の悪い者を生む。愚か者めが!」

とん
玉若酢命神社、例大祭
(提供:隠岐島後観光協会)

スーちゃんのコメント



【語り部】 藤野ミヨコ氏
(昭和10年<1935年>5月10日生まれ)
【取材日】 2004年10月3日
【場 所】 隠岐郡、隠岐の島町教育委員会
【同 席】 小室賢治氏(教育委員会)
【取 材】 藤井和子

語る藤野ミヨコ氏
語る藤野ミヨコ氏

藤野さんによると、その漁師は田畑を褒美に貰い受けた。
また、実際に目の不自由な子孫が何人か生まれたという。
昔話には、耳で聞いてすぐ理解できるほど、
子どもでも因果関係がはっきり分かるストーリーが多い。
この話も漁師が、犠牲者を水中眼鏡で見つけたので、
目に崇り[たたり]があったという
因果関係になっている。 

今は観光名所の鎧岩、兜岩は、
武将の着ていた鎧と兜が大岩になったという話である。
またこの落ち武者を哀れんで塚を建て、
海苔田塚と呼んだ。
昔はほこらもあったが藤野さんが行くようになった時代には、
ほこらは無く、石を積んだ海苔田塚だけがあった。

村人は、実際に、目の見えない漁師の子孫を知っている。
ただし、この因果関係は
本当のところ分からないというのが、民話のミソ。
同じ家系で、何人か目の見えない人が生まれると、
昔のxxのたたりだ、と人の口の端にのぼりやすい。

“昔xxをしたから、こうなった”

と、昔話は言い伝えの形をしているが、
真実を伝えてはいないところに、
そのまま信じた場合の恐ろしさが生まれてくる。