小豆島・石灯籠縁起

(香川県小豆島)

小豆島の東南に馬木という地区があります。
そこに小豆島88カ所に指定されている観音堂というお寺があります。
そのお堂を守っている長松志づさん(85歳)から伺ったお話です。

この観音堂はおばあさんのおばあさん、
そのまたおばあさんのズーッと昔から石垣に囲まれていました。
このお堂の守り神は巳(みいさん)です。
どういうわけか、お堂を囲んでいる石垣には、
何十匹という蛇が棲んでいました。

ある時の庵主さんは蛇が大嫌い、
石垣を見回っては棒で蛇をつついて追い出し
殺生をしていました。

「あーあー、蛇がいなくなるとせいせいするわい」

と、独り言をいうのがつねでした。
その日も、蛇を殺してふご(びくのような小ぶりの竹籠)に入れました。

一日の終わりを告げる陽は、輝きながら瀬戸内海の海に隠れ、
あたりに濃い闇の気配が訪ずれました。

「暗くなってはしょうがない。今日は一匹だけじゃ。
あした、海に捨てよう」

翌朝の起き抜けに、蛇を捨ててせいせいしようと、
ふごを覗いたとたん、
庵主さんはびっくり仰天。

「うわあ、蛇がうじゃうじゃおるわい」

たった一匹しか入れなかったのに、
たくさんの蛇が気味悪くのたくっています。
腰を抜かしかけた庵主さんが、やっとの思いでお堂に入り、
必死に拝んで観音さまにお伺いを立てました。

観音様は目をつり上げて、
ぷりぷりしておっしゃいました。

「観音の、み使いの蛇をいじめておるじゃろう。
殺したりしておる、許せぬ」

「お、お許しを!
観音様のために石灯籠を一対、お建て申します」

と、約束しました。

「そうか。許したくはないが、
お前がそれほど言うなら許してやろう。一度だけじゃ」

そういうと観音様は姿を消しました。

ところが、石灯籠を建てるのが惜しくなった庵主さんは、
こう思うようになりました。

「2つはもったいない。もう蛇を殺していないんだもん、
石灯籠は一つでえいじゃろう」

本当に一基しか寄進しませんでした。
これが現在、
お堂の入り口の石段の左方にある古い石灯籠です。

灯籠のできた晩に、庵主さんは不思議な夢を見ました。
髪の毛を逆立ててものすごい顔の
観音様が現れました。

「約束を違えたお前をもう許さぬ。家を絶やす」

そうして、庵主さんの家は
孫の代からぷっつりと子孫が途絶えてしまったのです。

スーちゃんのコメント

現在の長松さんは、
昭和16年(1941年)1月からこのお堂を守っていますが、
このお話の庵主さんとは関係ありません。

ここで生まれた一人息子は、
お遍路さんのよく泊まる旅館「三朝旅館」を営み、
一日に一度は会いに来てくれるそうです。

それからずいぶん時が過ぎました。
もう片方の石灯籠を寄進したのは、
この馬木に住んでいた百姓の塩田四良吉じいさんでした。
それは昭和14年(1939年)5月の晴れた日のことでした。

この馬木で生まれ育ったスーちゃんは、
何気なくこの観音堂に立ち寄り、
四良吉じいさんの建てた石灯籠をよく見たとき、
ぞくぞくするほど驚きました。

なぜって、スーちゃんの生まれたのは
「昭和14年5月」だからです。
しかもこの昭和14年は、
60年に一度来る「巳卯」という年回りで、
巳に関係する年でした。
深く感じて、この石灯籠縁起を書いて、観音様に供えました。