極楽寺坂の豆タヌキ
極楽寺は小豆島・内海町のほぼ中央にある片城[かたじょう]の古い寺で、昔は刑場だったという人もいます。
緑の小山を従え、正面には堂宇の濃い影を落とした2面の堀が夏の陽を浴びてたたずんでいました。
堀の左手から隣村へ延びた農道は、爪先上がりの坂道(極楽寺坂)ですが、隣村へ抜ける近道なので村人がよく利用するところです。
みんなは極楽寺坂と呼ばず、極楽寺だわというのが常でした。
スーちゃんは、高校生の頃、学校に遅刻しそうになった時には、ふうふう言いながらこの坂を越えて近道したものでした。
自転車を突き突き極楽寺脇を抜けて、坂を登りきって、眼下に広がった校舎を見て「間に合うかもしれない」と安堵したのは坂の頂上あたりでした。
極楽寺前の農家に嫁いで60年余の山本芳江さんをお訪ねして、豆タヌキの話を伺いました。昭和60年(1985年)に104歳で亡くなった姑しまさんから、たんぼ仕事の合間に畔道でひと休みした時に何度も聞いた話だそうです。
暑い時には、たんぼ仕事は汗が目に入って辛かったが2往復したら、畔でいっぷくするのが楽しみだった、といいます。
彼方に広がる隣村の小坪から戻って来る時に、
極楽寺だわを通り抜けるのですが、
雨のしょぼしょぼ降るような天気の悪い夜には、
豆だのタヌキが出たのです。
法事や婚礼の帰り道、
ご馳走を詰め込んだ折り詰めとか重箱を小脇に抱えた人が
夜更けに極楽寺だわに差し掛かると、
向こうからお寺の小坊主がちょこちょこ歩いて来ます。
「ほら、昔、寺で使い走りしておったこんまい(小さい)坊主ですワ。
おっさんに、
『相撲をとらんか(取ろうよ)』 『相撲をとらんか(取ろうよ)』
と、何回も言うんですワ。
こんなこんまい奴に負けるもんか、と、投げ飛ばしたら、
アンタ、ひどう怪我したそうじゃ。
負けてやったら、
あんまり怪我をしなかったというんですなあ」。
スーちゃんは、
断わった場合にはどうなるのですか、
と尋ねました。
「相撲せん(相撲をしない)、言うと大変じゃ。
そいつは飛び上がって、肩に取りつく」
小坊主は肩先からつっと手を伸ばして、
目の下を庇[ひさし]のように囲い、足元を見えないようにするのです。
「足元が見えんまま、ずんずん歩いて行きますとな、
ひどいことになるんですよ」
戦前はどこの畑にでもあったくそ壺...
畑の隅に下肥を貯める大きな壺を埋めこんだもの...に、
足からまっさかさまに落ちたというのです。
「うわっ、といっている間に、
小坊主がご馳走の包みをさろうて(さらって)逃げるんですワ」
近所にキヘドンという屋号をもつ家のおっさんが居たといいます。
「〈キヘドンの両杖〉というくらいじゃったから、
もうずいぶんのおトシやった」
この人は、隣り村の小坪で畑仕事をして、
暗い中を家路をさして帰る時に、
極楽寺だわに差し掛かりました。
ご馳走はもっていないのに
向こうからやってくる小坊主に出会いました。
小坊主の着物の白い所がはっきり見えたといいます。
ははア、豆だの化けもんだな、
と思うまもなく、
小坊主が相撲を取ろう、と誘いました。
「お前なんかと相撲をとらん、お前なんか相手にせん」
と、スタスタ逃げかかったら、
そいつはぱっと肩にかけ上がりました。
やられたあ、と思う間もなく、
田舎の香水を足からざんぶりと身に浴びていたという次第です。
山本さんは、この人からこんなことを耳にしたそうです。
「豆だにやられてなあ、くそ壺に入ったワイ。
そん時や、寄り付けんほど臭いド(側に近寄れない程、臭いよ)」
家にたどり着いたとき、余り臭うので、
軒先で着変えて家に入れて貰ったというのです。
スーちゃんのコメント
【話 者】 | 山本芳江さん(80歳) |
【取材日】 | 1996年8月3日 |
【場 所】 | 内海町片城 山本芳江さん宅 |