吉四六話:透明人間の巻

(大分県、野津町)

吉四六さんは、大分県の大野郡の山奥に住んでいる天狗をだまして、
これを身にまとうと姿が消える隠れ蓑をまんまとせしめたのでした。

(透明人間のハシリでしょうか。)

深山に分け入って、
持っていったフルイの網の目を目の前でぐるぐるかざしながら、

「見ゆる見ゆる、京や浪速、花のお江戸の日本橋がなあ。
何という賑わいかのう」

と、野津の人間なら、誰もが一度は行ってみたい
大都会の有様を“実況中継”したのでした。

吉四六さんの大音声に、
都の魅力に打ち勝てずにフト岩穴から出てきた天狗は、
マンマとその術中にかかってしまいました。
命の次に大切に隠し持っていた「隠れ蓑」「羽団扇[はねうちわ]
吉四六さんに持ち去られたのでした。

(安藤紀一郎さんによると、これと類似の話は他国にもあるということですので、
詳細は割愛します。だまされた天狗がバカだったのですね。ハハハ)

さて、今日の本題。
天狗からダマシ取った隠れ蓑を着て、
吉四六さんはこわいものなし、悪いことのし放題になった。
他人からは、姿が見えないから、何をやってもバレるおそれがない。
隠れ蓑を着て団扇に乗り、
ふわりふわりと空中に漂ってどこへ行くのも自由自在。

「いいじゃろう、気に入った」

と、得意の絶頂になっていた。

吉四六家のモデルハウス(吉四六ランド)
吉四六家のモデルハウス(吉四六ランド)

酒が飲みたければ酒屋へ、
菓子が欲しければ菓子屋へ
思いのままに欲望を満たす。
吉四六さんは毎晩のように、
タダ飲みタダ喰いをして、
楽しくやっていた。
こうなると、もはや真面目に仕事をするのは馬鹿馬鹿しく、
だんだん怠け癖がついた。

嫁さんの賢いおヘマさんは、亭主の変化に気付いたが、
原因が分からない。
ある日、吉四六さんが薄汚い蓑と、
どう見ても上等とは言いかねる羽団扇を抱えて
忍ぶように家を出て行くのを目にした。
これから良いことをしに行く気がないのだから、
へっぴり腰であたりをキョロキョロと伺っている、
本当に情けない亭主の姿である。

家の内部(左手前:おへまさん人形)
家の内部(左手前:おへまさん人形)

おヘマさんにはピーンと来るモノがあった。

「アレじゃ、あの蓑とあの羽団扇じゃ」

このところ、ぐでんくでんに酔っぱらって夜更けに帰宅する亭主は、
アレにそそのかされているのに違いないと見当をつけた。

アタマにきた彼女は、亭主の居ない間に二つ重ねて、
風呂の焚き付けに燃やしてしまった。
ガスも電気もない江戸時代だから、
麦藁[むぎわら]のようなもので風呂の湯を沸かすのは当たり前だった。

(スーちゃんのふるさと(小豆島)でも、昭和20年代から30年代にかけて、風呂を沸かすのは子どもの仕事だった。麦藁(むんぎゃら、と言った)を一束ずつ、湯の沸くまで1時間位も燃やした。子どももよく家の手伝いをした時代だった)

さて、夜の日課になっている酒屋訪問が待ち遠しくて、
生つばをごくり、ごくりっとさせながらそわそわ帰宅した吉四六さん。
蓑と羽団扇を引っ掛けておいた土間の壁を見てびっくりぎょうてん。
ヤ、ヤ、ヤ、
大事なモノが、影も形も無くなっていた。

「み、みのと、う、うちわはどうしたんじゃ!」

おヘマさんは、シンとした顔であわてず騒がず言った。

「焚き付けが足らんかったんで、燃やしましたんじゃ、
そげえ大事なモノじゃったんかえ?」

吉四六さんはウーンとうなった。

地団駄を踏んで悔しがったが、後の祭り。
燃えてしまった物は、もうモトの形にはならないよ。
腕組みをして考えた所にひらめいた、
すばらしい考え...

吉四六さんは、
風呂の炊き口に残っていた灰をおヘマさんに持って来させた。
風呂場に入ると、体中にその灰をなすりつけた。
灰になってもまだ効き目が残っていたのか、
自分の姿がじわじわと消えて行く。

「うあ~、こりゃあ、いい具合じゃ」

と、一人で大喜び。

それから、いつもの酒屋に忍び込んだ。
大分の美味しいお酒が店の棚と言わず、
土間といわずぎっしり並んでいて、壮観な酒屋の店先。
吉四六さんは、タダ酒をしこたま飲んで、
昨日と同じようにぐでんぐでんに酔っぱらい、
まことにいい気分になった。

チューチューと酒をすする音がするので、
番頭が店に降りてきた。
・・・と、何やらタコの出来そこないのようなのが、
あっちをふわふわ、こっちをふわふわ酒樽の間を漂っている。

「ふうん、おかしなモンがおるわい」

と、ぴしゃりとそのタコの出来損ないをなぐりつけたからたまらない。

タコは、上の方で素っ頓狂な声でしゃべった。

「うわあ、いててて。アソコだけ、塗り忘れちょったわい!」

と同時に、怪物は店先から表の通りを目指して
すうっと逃げて行った。

それから長いこと、
吉四六さんは前をかばいながら腰をすくめて道を歩いていた。

(参考資料:宮本 清著「吉四六ばなし」大分合同新聞社刊)
吉四六さん(広田吉右衛門家)の墓
吉四六さん(広田吉右衛門家)の墓
町おこしの吉四六人形
町おこしの吉四六人形、
野津町のあちこちに建っている。

スーちゃんのコメント



【取材日】 1998年5月2日
【場 所】 野津町の吉四六さん関係の各所
【方言指導
及び案内】
安藤紀一郎氏
【取 材】 藤井和子

今の日本、現代社会で、
透明人間とはいったい何をいうのかを考えていると、
とある現実に遭遇する機会があった。
世の中の向かう方向がデジタル化しているので、
データという言葉を用いれば、

「自分のデータは何一つ出さず、
相手のことは、覗きみることの出来る社会」

とでも定義できるかしら。

最近、個人情報とは何かを生かじりしているとしか思えない例、
それも苦々しい体験をいくつか体験している。
個人情報保護法の解釈は、
観念的・抽象論としては、新聞・雑誌で
しばしば取り上げられているので、ここでは屋上屋を重ねない。
実際に身近にあった、
行き過ぎたケースのいくつかの中から典型的な例を記したい。

取材関連で小泉八雲の縁続きの人に、
手紙を出すために、その人の知人に連絡したと思し召せ。
彼は、八雲関連の書物(自家本)を刊行した。
彼氏とこちらの双方を知っている人の紹介で、
スーはその本を寄贈されたので、礼状をだした間柄である。
先日電話をした。
電話の際は、もう一度礼を述べて、

スー「御著にある八雲の縁続きのXXさんに
連絡を取りたいのですが、
ご住所を教えて頂けませんか?」

相手「XXさんを知っていますか?」

スー「いいえ」

相手は、「それでは、教えない」

スー「では、松江にお住みになっているのでしょうか?
そのことだけでも」

相手「個人情報というものがあるから、言えない。
そちらで調べたらいいでしょう?」

と、驚くべき対応であった。

これには、ショックをうけた。
相手に迷惑がかからないように、
目的をはっきり述べて、住所を聞いた。
なぜ個人情報を振りかざすのか?
この人物は個人情報自体を
どのように理解しているのだろうか?
個人情報の漏洩にはあたるとでも勘違いしているのだろうか。

個人情報とは、確かにある個人の名前、住所、性別、
生年月日、住民票コードなどから成るものであるが、
どういう場合に秘匿するべきか、
今は過度に秘匿している風潮がある。
あるいはオープンにするべきかどうか判断するのが
面倒臭い(もしくは判断出来ない)から、
秘匿してしまえという方に流れていないか。

個人情報を秘匿しなくてはいけないのは、
特定の個人のプライバシーに関わる部分である。
青柳武彦氏(国際大学グローコム教授)は、

「プライバシーとは、個人の病歴、預金額、負債額、
犯罪歴、遺伝情報に関わる個人情報である」

(2005/9/19 日経新聞)

と明快に述べているが、同感である。

目的がダイレクト・メール発送のために
大量の住所、氏名、年齢、性別を
知りたいのなら、話は別である。
ソフトバンクやいくつかのカード会社の把握している個人情報が、
漏洩したり流出したりしたのは、
自己の営利のために、あるいは情報を盗んで売却しよう
とする者の犯罪行為であった。

JR福知山線の大事故では、
負傷者の安否を家族が尋ねたところ病院は、
個人情報保護を理由に氏名を開示しなかったそうである。
どこかおかしい。
目的が明確で、教えるべき時に氏名を秘匿するような
「個人情報保護法」とはいったいなにであるのか。
秘匿アレルギーではないか。
何でも「個人情報」を振りかざせばよい、
と思っている人が近ごろ増えていると思う。

商品の勧誘電話や、望まないDMが届くのは
誰でも愉快なことではない。
自分の個人情報(住所、氏名、年齢)
どこから入手しているのか、
不気味になることも、実は多い。

しかし、自分の個人情報はいっさい出したくない、
と願えば、他人もそう思うのである。
日本中のみんなが思えば、いったいどうなるだろうか。
国中が透明人間になる。
つまり、実体はあるのに、姿の見えない
「顔のない匿名社会」に傾斜するということだ。

ジョージ・オーウェルの近未来小説
「1984年」に描かれた独裁者は、
情報をすべて自分の管理下に置きたいと願う。
自分だけが一手に情報を一人占めする社会である。
換言すれば、他の誰もは、
「何も聞けない、見えない、知らない」社会である。

日本は営々と努力を重ねて、
情報公開の国民的コンセンサスと社会的な仕組みを得てきた。
行き過ぎたケースもあることは、
残念ながら認めざるを得ない。
だからと言って、個人情報保護の
美名のもとに情報が出ないために、
「何も聞けない、見えない、知らない」社会になってしまうのでは、
元も子も無くなってしまうではないか。