三良[さんらー]と鬼婆
昔むかし、あるところに三良という...これ、男でね、
まだ妻もいない、一人暮しの男がいた。
ちょっと小さな店をだして暮しを立てていた。
ある夏の日、急に土砂降りの雨が降ってきた。
“この雨では、もう客はこないだろう”
と思って、店先で居眠りをしていた。
幾時間しただろうか、ふと目を覚ますと、
目の前にきれいな娘が立っていた。
...この人はいつ来たのだろう?
娘は、
「さっきから来ていましたが、よくお休みなので、
起こしたら失礼かと思って、待っていましたよ、立ったままで」
と言う。
「どうも、すいませんでしたなあ」
「いいえ。私は旅の者ですから、急いではいませんよ」
「旅の者って、どこから来ましたか?」
「遠いところからですよ」
こんなことをしばらく話していたら、日が暮れ始めた。
「もう日が暮れるから、急いで帰ったらどうですか?」
するとおかしなことに娘は、
目をきょろきょろさせて家の中をのぞき込みながら、
三良に聞いた。
「あなた、奥さんいます?」
「いや、ご覧の通りの独り者ですよ」
三良が答えると、
待ってましたとばかりに、言うんだな。
「では、私を奥さんにしてください」
彼はびっくりして言った。
「あなたはそう簡単に言うが、夫婦というものは、
親兄弟に相談して許可を得て、初めて夫婦になるんだよ」
娘は、自分は天涯孤独の身だから相談する人はいない、
助けると思って妻にしてくださいと、しきりに頼んだ。
「あなたがそれほど言うのなら、
やむを得ないから、夫婦になりましょう」
と、この日から二人は一緒に暮し始めた。
(ものすごいスピ-ド婚ですが、昔話のおもしろいところです。
きっと何かが起こるのです。)
あるとき三良は、店の品物を仕入れるために外出した。
そこへ友達が二人やってきて、
「近ごろ、三良はきれいな娘さんを貰ったそうだ。
どんな人かな、見てこよう」。
三良は、出かけたのか店を閉めていた。
家の裏に回ると、座敷から異様な音が...
あれれ、ブーフ、ブーフ、
大きな牛のような鼻息が聞こえるぞ。
不思議に思って、節穴から座敷を覗くと、
二人とも腰を抜かしそうになった。
...「あれは、ば、化け物だっ。に、人間じゃない!」
口が耳まで裂けて、牙を剥き出し、
髪がばさっと顔に垂れて角を生やした鬼婆が、
大の字になって寝ているさね。
まもなく三良が荷物を担いで帰ってきた。
友達は彼を物陰に呼んで口々に言った。
「あれは大変な女だ。
あんなのと一緒にいると、食われてしまうよ」
「あれは、鬼婆だツ」
思いもかけないことを友達が言うので、三良は腹を立てて言った。
「私の妻が鬼婆だと?
きれいなので、妬いてそんなことを言うのか」
友達が余りしつこく注意するので、
三良は抜き足差し足、節穴から中を覗いた。
...驚いたことに、
友達の言ったことは本当だった。
ひどい格好の鬼婆が寝ていた。
三良は、もう顔色が葉っぱのように青白くなって震えだした。
友達は、
“これはね、三良。身から出たサビだよ。
自分であの女を貰ったんだから、自分で後始末するんだな。
おれ達にはどうにも出来ないさ、気をつけてな”
と、言いながら帰ってしまった。
深呼吸をして気持ちを落ち着けて、彼は考えた。
“すぐに問いただしたりしたら、あれにかみ殺されるかもしれない。
どうしたら一番いいのかなあ”
名案が浮かばないまま、
結局、三良は何食わぬ顔をして戸を叩いた。
「いま帰ったよ」
「あっ、お帰りなさい」
と、いつもの出迎え。
そのときは、もうきれいな奥さんになっているんだな。
もとの人間の美人になっているさね。
...自然と同じように人間には曇りもあるし、嵐もある。
いつか夫婦喧嘩したとき、この女に食われてしまうだろう。
騒動が起こらない内に、この恐ろしい化け物から早く逃げなければ
...三良は必死で考えを巡らせた。
ある日、考えを妻に話した。
「こんな小さな町では、二人は食べて行くのがやっとだ。
ちょっと離れた所で大きな店を構えたいが、
あなた、留守番してくれないか?」
「うん、いいよお」
それで三良は家を出て、
店を探すふりをして楽しく町を歩いていた。
鬼婆から逃げていると気が楽になる。
もう帰らないつもりだから一週間が二週間になり、
やがて一か月になろうとしていた。
鬼婆は
「おかしいなあ、探さねば」
と、独り言を言いながら、空をヒューッと飛んで行った。
空を飛びながらあちこちを見回すと、
ヤヤヤ、あそこに三良が歩いて来る。
三良の側にヒューッと降りて来て言った。
「なぜね、一週間といって出て行ったのに、
もう一と月になるよお」
三良は
「適当な店が見つからなくてこんなになっている、
まだ探しているよ」
鬼婆は、
「もういいさ、何とか食って行けるんだから、うちに帰ろうよ。
さあ一緒に、三良」
と言う。
三良も嫌だ、と言えなくて二人で家に帰った。
三良は、逃げ出すことで頭がいっぱい。
朝から晩まで、
“どうやってこの女から逃げようか”
と考えていた。
ある日、妻に言った。
「こうやっていても仕方がないさね。
この前の町よりも、もうちょっと遠いところへ行って店を探したいさ。
1、2カ月かかるくらい、遠いところで探したいなあ」
「うん、そう思うなら、そうしたら」
と、妻は言った。
三良はもともと家に帰るつもりがないので、
はやくも半年も経っていた。
鬼婆は“これはおかしい”と思って、
三良を探してあちこちの町の上を飛び回った。
鬼婆だからその速いこと。
目もきょろきょろ動かしていただろうな。
とある街の向こうから、三良が歩いて来るわけさ。
...鬼婆は、三良の側にヒューッと舞い降りてきた。
「おい、おい三良。
1、2カ月で戻るといったのに、もう半年になるよ」
「あ、そうか。
でもね、立派な店を探して足が棒のようになるくらい、
日がな一日歩いているんだよ」
「店なんかもういいから、家に帰ろうっ」
三良は、恐くなって
しぶしぶ妻について家路に向かった。
彼は、用心のためにつねに短刀を隠し持っていた
...妻の正体は、恐ろしい姿をした鬼だから。
日が暮れかかったとき、二人は山道にさしかかった。
人里離れた山道で三良は、思った。
“今だ、今しかない”
短刀で妻を刺し殺した。
妻の身体は、みるみるうちに鬼婆の姿に変わった。
(洋画に出て来る化け物の特殊メークを想像してくださいな)
三良は、鬼婆が死んだと思ったが、
なんせ化け物だから、いつ息を吹き返して、
追いかけてくるかもしれない。
猛烈な勢いで走った、走った。
向こうに明りが見えたので、飛び込んだ所は、山寺だった。
「和尚さん、お願いです。私を助けてください」
と口早に訳を話した。
「鬼婆に取り付かれて、どうにもこうにも...」
和尚は言った。
「あなたを助けるにはね、
殺した鬼婆をおんぶしてここまで連れて来ることだ」
...鬼婆は半分死んでいるが、実際はまだ生きている。
自分に考えがあるから、鬼婆をおんぶして持って来い、
と和尚は言った。
それが出来なければ、
三良を助けることは出来ないという。
(えらいことになったな)
三良は山道にとって返して鬼婆を背中にしょった。
三良は自分が死んでいるのか生きているのか分からないほど、
薄気味が悪く、もう無我夢中だった。
寺に着くと和尚さんは、
“なむあみだぶつ”
とか何とか言ってさ、
経を唱え、鬼婆の死骸を荒縄でばりばり縛った。
立派に縛って棺桶に移した。
「三良よ、今夜は一晩中、ろうそくを灯し、
お香も切らさないように」
と、注意を与えた。
また、こうも言った。
「一晩中、“なむあみだぶつ”を唱えなさい。
どんなことがあっても、頭を上げてはいけないよ」
三良はゆらゆら揺れる灯影のもとで
一心に経を唱えていた。
ちょうど丑満時に差し掛かったときであった。
突然、棺桶の中でばーん、ばーんとひどい音がした。
それでも顔を伏せたままで“なむあみだぶつ”を唱えて
少しも動かなかった。
棺桶がバリバリと壊れてしまったんだな。
中から鬼婆は
“三良、三良”
と呼びかけが、三良は一心に祈るだけ。
鬼婆は今にも飛びかかろうとするが、
縛られているからどうにもならない。
縄を切ろうと身もだえるが、
手伝って貰わねば、自分でほどくことが出来ない。
時折、涙声で
“さんら~あ、さんら~あ、さんら~よお”
と哀願して呼びかけるが、
三良は頭を振り上げたら大変なので、うつむいたままだった。
そうこうする内に一番どりが鳴いて、
夜がしらじらと明け始めた。
...夜が明けると、
鬼婆は大きな音を立ててドーンと倒れた。
このとき、鬼婆は本当に死んだのである。
やがて、和尚さんが入ってきた。
「三良よ、よくやったな。もう大丈夫だ」
二人は、この鬼婆が極楽に行けるように願いながら、
鬼婆を棺桶に入れ直した。
和尚さんは線香を立ててお経を上げ、手厚く葬ってやった。
和尚は言った。
「もうこれで鬼婆は出てこないさ。
安心してどこへでも行けるよ。これからどうするつもりか?」
三良は、
「あなたのお蔭で命が助かったのです。
弟子になりたいので、すみませんがお願い出来ませんか」
そういって彼は寺に住むことになり、
二人は幸福に暮らした、という話だな。
沖縄伝承文化センタースタッフ(新城氏)
5月後半の名護市は、すでにかなりな夏。
街の景色は真上から照りつける太陽で白っぽく乾いていて、
照り返しがまぶしい。
山本川恒さんの自宅は、
緑が一杯の花壇とよく手入れされた庭木の奥にあった。
川恒さんは、沖縄方言も共通語も両方語れる人であり、
聞き手が大和人(やまとんちゅー)なので、
今回は共通語でお話しくださった。
満93歳の語り部は、実に記憶のはっきりした人で、
「こうこういう類いの昔話をお願いします」というと
直ちに思い出して語ってくださる。
まるでコンピュータからファイルを抜き出すかのように、
すばやく正確な話の技を持つ。
語れる話は120話近くに及ぶと聞く。
一度として詰まったり淀んだりせず、
筋を混線したり忘れることもない。
話は横道に反れたり、説明過多に陥ることなく進む。
噂にたがわず素晴らしい語り手である。
昔話は主に母方の祖父から聞いたという。
近所にあった母の実家へ毎日のように遊びに行った。
祖父は名護の按司の御殿勤めを経験した役人で、
そのためか沖縄本島ばかりか、
宮古島や八重山の昔話を語れた。
川恒さんは、出入りの祖父の茶飲み友達からも
多くの昔話を聞いて育った。
彼らは、「こういう話を仕入れたぞ」と、
互いに新しい昔話を披露しあった。
熱が入ると、身振りを交えて誰も知らない話を
自慢しながら話に花をさかせた。
昔話に興じる様子は、さながら話競べの趣きだったという。
こうした川恒さんは、
●平成15年9月、「山本川恒の民話」は、
名護市無形文化財(口承文芸)指定
●平成15年11月、沖縄県文化功労賞を受賞した。