●遠藤庄治先生のこと
沖縄の民話について、遠藤庄冶氏(専門分野は口承文芸学、沖縄国際大学名誉教授、1934年生まれ、福島県出身)抜きには語れない。学生と共に、沖縄の島しょ部をくまなく回り、その数7万話(聴取1万3千人)を越える実績を得て、今なお精力的に収集を続ける。沖縄民話のまさに生き字引。現在、スタッフ3人を擁する沖縄伝承話資料センターを運営。
これまでに取材した民話を整理し、みんなの共有財産とするためにデータベース化に着手、進行中。「沖縄の民話(北部地区その1)」他をCD化。沖縄民話関係の著書・論文多数。
2003年の与那国島の取材では、お誘いを受けて同行した。島の案内人を含めた誰よりも真っ先かけて、現場に踏み込む。そのため崖の所で滑って、ズボンを鈎裂きにし、押え押え歩いておられた。後ろのスーちゃんは横目で見てしまったぞ!
“民話収集は足で書くこと”を目の当たりにしたし、取材の進め方、手法など多くのことをご教示頂いた。
●与那国島のこと
この島は、沖縄本島から南西に500キロ(新幹線なら東京~新花巻駅、東京~京都駅直前の距離)にある絶海の孤島である。日本領土の最も西に位置して、「日本国内で最後の夕日を見られる」の碑まで立っている。
(提供:与那国町観光課)
石垣島から飛行機でなら30分だが、ものは試し、行きは6時間30分かけて、フェリーに乗った。どこを見ても海、海、海。5月の海は穏やかで生暖かく、眠気を誘われる。成行きのままに昼寝を決め込むことにした。ぐっすり寝て、飛び起きると島影は目の前だった。
島の人達は「へ~え、船で来たの」と腰が引けたように言ったが、荒天の海でなら船酔い地獄になったはず。彼らはそれを知っているわけ。
島の西端にある西崎[いりざき]展望台に登ると、眼下の岸辺に荒々しく打ち付ける波が。この海の下はカジキがウヨウヨ遊泳する東シナ海だ。はるか彼方にうっすらと台湾の島影が現れた。台湾の方が石垣島よりわずか6キロだが近い。111キロ(新幹線では東京~熱海104.6km、東京~宇都宮109.6km)離れた台湾とは“遠い親類より、近い他人”的な関わりがあったようだ。
特産品はね、実に個性的。例えば、旅館入り福の亭主が中心になって保存育成に力を入れている“与那国馬”、アルコ-ル度60度という日本一強い花酒(「どなん」「よなぐに」)、その強さには実際、ぶったまげた。毎朝早朝から、久部良港[くぶら]で水揚げされる巨大なカジキは、荒海に育つヤツらしく、屈強な漁師が持ち上げられないほどビッグだった。
南の島でのらくらする予定が、遠藤組に入ったため、幸か不幸か、ホント一生懸命に仕事をしてしまったスーちゃんだった。
もの言う牛
6月の暑い日でした。6月の与那国の日盛りは、
日差しが容赦なく降り注ぎます。
ある男があちこち回って、牛をつないでいる牧場にやって来ました。
驚いたことに牛が、男に声を掛けました。
「もしもし、喉が乾いて仕方がありません。
すみませんが、水を飲ませてくださいな。
主人は水を飲ましてくれず、ほったらかしにされています」
と、訴えました。
男は、“牛がモノを言うなんて、今はじめてのことだ”
といぶかりながら、
牛に尋ねました。
「あんたの飼い主は、どこの誰ですか?」
それは、誰でも知っている大金持ちでした。
沢山の牛を使うだけ使って、世話をしないどころか、
水も飲まさず野良に放っているような評判の人でした。
牛は言葉を継いで言いました。
「もし、水を飲ませてくれたら、言うことを何でも聞きましょう」
男は、この暑さでさぞや喉が乾いて辛いだろうと、
かわいそうになって、
沼まで引っ張って行って、
思う存分、水を飲ませてやりました。
さっそく男は飼い主の所に行くと言いました。
「お宅の牛は、モノを言う牛ですよ」
飼い主は即座に打ち消しました。
「馬鹿、馬鹿しい。いくらなんでも、牛がしゃべるもんか」
二人は、うそだ、本当だ、
と長いこと言い争いました。
男はやっきになって言いました。
「じゃあ、本当に牛がモノを言ったらどうします?」
「へん、その時は、わしの財産を全部、差しだしましょう。
その代わり、しゃべらなかったら、
アンタの財産をそっくり頂戴しますぜ」
売り言葉に買い言葉、
二人は興奮のあまり、どちらかが全財産を擦ってしまうところまで、
話が進んでしまいました。
さて、牛のところに行って、実地検分することにしました。
牧場までくると、飼い主は牛に言いました。
「これ、おまえはこの男に、声を掛けたそうだが、本当か?」
牛は黙ったまま、もぐもぐ口を動かすだけ。
ちらちら男を見るのですが、何も言いません。
飼い主は、
「ほらね、牛がモノを言うはずがないでしょうが」
「どこにモノ言う牛がいる?」
と、小馬鹿にして言いました。
男は“さっきは、話しかけてきたのに、なんで知らん顔をする!”
と、責めるように牛を見た途端、
牛が飼い主にくってかかりました。
「喉が乾いたので、この人に水を飲ませてくれ、と頼んだ。
こき使っておいて、一日中、野良に放っておいていいかっ」
・・・この一瞬で、勝負がつきました。
男は全財産を貰って、大金持ちになったそうです。
(1926年10月20日生まれ)
これと同じ話を語ってくれた方。
遠藤庄冶(沖縄国際大学名誉教授)、
他1名(国立大学教授)
人間が動物の話す言葉を理解できたらいいな、
という願望から、数年前に、
ごく簡単なネコ語やイヌ語を翻訳する器械が出来た。
発想の斬新さで世間を
あっと言わせたことは記憶に新しい。
しかし、これはごく入口にすぎない。
願望は、もっと深いのである。
ある50過ぎの独身男性2人は、
ペットとしていたく可愛がって世話をしているイヌがいる。
仕事をバリバリこなし、中年男性として、
男のテリなども十分輝いているご仁達だが、どっこい、
なぜかイヌに捕われの身となってしまった。
友達と旅行に出かける時にも、
後部座席に彼女(イヌのこと)を乗せてずっと回る。
イヌの体調がよくない時には、旅行はキャンセル。
彼はこんなことを言う。
「自分の命令は、よく聞いてくれる。
ベッドには(自分が怒るので)絶対に上がってこない、
その他にも忠実で実にかわいい」。
ま、ここまでは、フツー、フツー。
さらに、こんなことを言う。
「じっと自分を見つめるとき、
人間だったらどんなことを言うのだろうか、
とても話がしたい」
スーちゃん「ふうん、イヌと目と目を
見交わしたりなんかしているの~オ?」
まるで恋人の話をするように、いとしいイヌのあれこれを話して、
う~ん、幸せいっぱいの顔になる。
19世紀末に、新聞社が募集した
有識者向けアンケート
「20世紀には実現していると思われるもの」
というのがあった。
いろいろあったが、“自宅にいながら、温泉に入れる”、
“陽の当たらない部屋にも陽が射す”
(これらは実現していますね)。
加えて一際、印象深いものにこんなのがあった。
・・・動物と言葉をやり取りできるようになって、
人間が嫌な仕事を彼らにやらせる。
え? 動物をロボットのように、
奴隷として使役するということ?
そのために言葉を?
19世紀は動物とこんなふうに関わっていたのだろうか。
解答者は、人間ではなく
動物を奴隷化するだけマシと思って、
こんな答えを?
これは、到底いただけないが、
動物がモノを言えばいいな、
と強く願っていることは読みとれる。
今なお、動物と言葉を交わすコミュニケーションの方法は、
実現しそうもない。
昔話には、人間の切ない願望を
自由自在にかなえてくれるドラマがある。
よくある話は、キツネ、タヌキ、ムジナ、ヘビ等が
姐さまや化け和尚や、水も滴る美男子に変身して
人間と話をするが、本篇のように動物の姿のままで
モノを言うのは珍しい。