人魚、ヨナイタマ伝説
次の伝説は、伊良部島出身の福島方希氏に伺ったものです。
ヨナタマという人もいますが、福島さんはヨナイタマと発音しました。
昔、ある時、伊良部の漁師が珍しい魚を網にかけた。
大きな魚で不思議な姿をしていた。
上半身は人間の顔の面影を残し、
ふっくらした胸の辺りには、おっぱいも付いている。
下半身はうろこの光る魚体であった。
漁師は家に帰ると
さっそく料理に取り掛かった。
包丁を研いで、
“さあて、これを料理しよう”
と呟きながら、
魚をまな板の上にのせた。
余りにも大きな魚なので、
“明日になったら、隣の漁師にも手伝って
貰って、半分、分けてあげよう”
と、そのまま寝た。
真夜中になって、海の方から腹に響くような低い、
威厳に満ちた声が響いた。
「ヨナイタマ、ヨナイタマ。おまえはどこに居る?
早く竜宮に戻っておいで」
それは、
父の竜宮王が娘を捜して、呼びかける声であった。
(スーちゃんは、
"I am a king under the sea. My daughter, my love, where are you?"
と呼びかける、バスの中でも最も低い深い声が、
なぜか聞こえるような気がします。
この場合、英語の方が、直裁に心に響きます)
まな板の上に横たわっているヨナイタマは、
ぽろぽろ涙をこぼしながら全身の力を振り絞って、
かすかに声を出した。
「助けて! 私はもうすぐ殺されます。おとう様!」
すでに、彼女の半身は切り刻まれて塩付けになっていて、
残りの半分は明日朝にも、料理される運命です。
父王は言いました。
「明日朝、おまえの所に津波をよこす。
その時に泳いで戻れ」
その言葉通りに、
竜宮王の怒りを含んだ大津波が押し渡ってきた。
家も木も怒涛の中に呑み込まれて、
彼方の海に押し流されて行った。
漁師の家と隣家の2軒は、地中深くド~ンと落ち込んで、
屋敷のあった箇所は、深い、不気味な池になった。
今、通り池と呼ばれているのが、
漁師達の屋敷跡だといわれている。
(大正10年<1921年>9月25日生まれ)
皆さんは、人魚が半身を料理されている、
この昔話にショックを受けるだろうか。
しかし、もし衝撃を受けない程度の内容に改ざんするならば、
「昔話の世界」は、いったいどうなるだろうか。
昔話を語ってくれる語り部がよく言うのは、
「聞き手が面白がって聞いてくれると張合いがある」
ということである。
実際、大筋は同じ話なのに、
“ここはなぜか詳しく話している”
と、思うことがよくある。
語り部は目の前の聞き手の反応を
チラチラと窺[うかが]いながら話を進めているために、
相手の喜ぶ所は腕にヨリをかけて、
あれこれと話を膨らませて行くことが多い。
話の勢いをつけるため細部を付け加えることがある。
ただし、決して話の内容を改ざんしたりはしない。
昔話は子供でも分かる話であるから、
勧善懲悪がはっきり分かること、
つまりよいお爺さんと悪いお爺さんの出現と、
なぜよいお爺さんがよくなって悪いお爺さんが懲らしめられるか、
話の筋立てはきわめて明快である。
これは口で語る話であるから、
目の前に居る子供が幼いアタマでも
十分に理解できることという必要条件による。
また、子供が期待するように、
悪いことをしたお爺さんには必ず罰が当たる。
反対になったら、
子供の気持ちは救われないだろう。
昔話は本来、耳で聞いて楽しむものであるから、
極端な筋の方が理解しやすい。
・・・「舌切り雀」では、悪いことをして舌を切られるし、
お婆さんを殺した「かちかち山」のタヌキは
泥舟に乗って沈められる。
これらの著名な昔話が、
例えば、雀は舌を切られず、
タヌキは泥舟から逃げだして助かった、となってしまったら、
昔話の主旨は、原典とは全く違ったものに変貌する。
残酷な内容の昔話があるのは事実である。
子供のアタマには、極端なケースだからこそ、心に残ってゆく。
“xxしたから、○○になった”
と、幼くて乏しい生活経験しかなくても納得する。
聞き手が大人であっても、
甘口に脚色された耳ざわりのいい昔話では、心に残らない。
現在では、耳ざわりのいい話になってしまった絵本は、
ゴマンとあるのですよ。
なぜこうなってしまったかは、
長くなるので機会があれば、また。
自主規制された“きれい、きれい”の昔話だけで育った、
純粋培養の子供と、
残酷な話も取り混ぜて聞いて育った、
雑草のような子供と、
どちらがダイナミックな考え方が出来るようになるか、
考えてみるのも無駄ではあるまい。
昔話は、お化けが出てきたり
キツネやタヌキがものを言ったりする
空想の世界である。
そういう非現実の世界だから、
例えば“人魚を料理するのは残酷なことだ”という、
常識を持ち込むような改ざんは、避けたいのである。