影の無い男(十五夜由来記)

(沖縄県、与那国島)

それは、十五夜の満月の夜のことだった。
澄み切った空に、こうこうと明るい月が冴えざえと輝いていた。
男は友人と歩きながら、そんな名月を楽しんでいた。

中秋の名月
中秋の名月
(写真提供:小笠原チャンネル)

友人が、すっとんきょうな声を出した。

「おやっ、おまえの影が映っていないぞ!」

男ははじめて、自分の影が地面に出ていないことに気付いた。

「不思議だなあ、どうしておれの影が無いのだろう?」

どう考えても謎の解けない男は、
次の朝、隣の物知りのお婆ア[おばあ]の知恵を借りに出かけた。

「お婆アよ、教えてほしいんだ。
おれの影がどこかへ行ってしまった。
影が無くなるなんて!」

お婆アはおもむろに口を開いた。

「おまえの、一番大事にしているものを殺しなさい。
でなければ、おまえの命はもうすぐ無くなるよ」

仰天した男はあれやこれや、考えを巡らせた。

一番大事にしているものは?
それは何か?

“大事にしているものは・・・ そうだ、馬だ!”

しかし、百姓にとって、
しごとの相棒を務めてくれる馬は大切なもの。
馬がいなくなれば、十分な野良仕事は出来ない。

あれを思いこれを思い、頭の中は渦を巻いたが、
とうとう家に帰った。

久部良雄幸氏
久部良雄幸氏

馬を引き出すと、

“エ~イ、馬よ、許してくれっ!”

馬めがけて、矢を放った。

ところが・・・
馬は矢をヒョイと口にくわえると、
にやっと笑った。

ヒヒーン。

「えい、くそ。何で笑うか」

もう一度、矢を放ったが馬に当たらず、
背後の長持ちに突き刺さった。
と、血が流れだした。

長持ちの中で、見知らぬ男が死んでいた。

何も知らない男は、不審に思って妻に尋ねた。

「いったいこの男は何者だ!」

この場では、とうていシラを切れなくなった妻は、
ついに白状した。

「この人は私の遊び男です。
あなたが畑に出かけると、すぐ家に入れて、遊んでいたのです」

その日、戻って来る夫を二人で殺す手筈だった、
という。

それから後、男に再び影が出るようになった。

このことから、与那国では、
十五夜には、小豆餅(フチャギ)とフタンギを供えて、
男は自分の影を見るならわしになった。

注:フタンギは、米粉で作る、赤いぼってりした、おかゆの一種)

フチャギの餅
フチャギの餅
写真提供:沖縄発!役に立たない写真集

スーちゃんのコメント



【語り部】 久部良雄幸氏(1928年3月生まれ)
【取材日】 2003年5月15日
【場 所】 沖縄県与那国町、自宅
コーディネーター 崎元智代氏(与那国町教育委員会)
【取 材】 藤井和子

皆さんは、満月といえば、何を思い浮かべるでしょうか?
美しい秋の空に冴え渡るウサギ踊りの月や、
お月見団子とすすきでしょうか?

スーちゃんは、ホントはね~、
まあ、最後でいいか。

お月見を祝う行事は、詳しい人によると、
9世紀末~10世紀初め頃にかけて起こったという。
日取りは、旧暦の8月15日、十五夜の日が
“中秋の名月”と毎年、決まっている。
(旧暦のことですよ。)

ちなみに今年2006年の中秋の名月は、
10月6日(金曜日)、満月は10月7日。
新暦だと微妙にずれるんですね。

さて、月の光に向けて、本土では、
月見団子にススキを飾って、お供えした。
地方によっては、この他に、里イモや、こんにゃく、
みょうがの子を煮たり、 果物を添えて供えたという。
団子のかたちも個性的に各地で異なっていた。

中秋の名月の供え物(本土)
中秋の名月の供え物(本土)
(写真提供:星の民俗館)

与那国の教育委員会に電話して、聞いてみた。
秋の無いとされる沖縄では、
中秋の名月を祝う風習があるかどうか?

「まあ、あるといえばあるが、すたれる方向になっている」

供えるのは、フチャギ(吹上餅)とすすき、
酒の好きな家族がいれば、泡盛りを付ける家もある。

フチャギは、沖縄共通の餅のことだ。
米粉で作り、甘味や塩味がない餅で、
薄く塩味の利いた小豆をまぶす。
洋菓子などで口の肥えた若い人には、このままでは味気ないので、
きなこをまぶしたりして食べるそうだ。
彼らの評判は芳しくない。

月の見える縁側などにこれらを飾って、“月拝み”をしてから、
フチャギを仏壇や神棚や、台所にまつっている
“火の神さま”に供える習わしという。

1989年頃に書かれた随筆「十五夜の1日」によると、
この日は、フチャギを供え、
夜には小豆入りの赤飯と大煮(ウーニー)
豚肉・野菜・豆腐の煮付け(ンブシー)を頂いたそうだ。

(伊波信光「月刊ずいひつ」昭和63年、12月号、
第18回日本随筆家協会賞、受賞)

もう月見の風習もかなりすたれた、
という教育委員会の話であるが、
とにもかくにもお月見を祝う風習の根っこはある。

クブラ淵(与那国)
クブラ淵(与那国)
8カ月になった妊婦を飛び移らせて、向こう側の岩に飛べた者だけに出産を認めた。
薩摩藩の採った過酷な人口抑制策を示す。

これに対して、小豆島では、お月見の習俗がないの?
と驚きの声を発したのが、
HPの「なにわの科学史のページ」に出ているコメントである。
月見行事の、アンケート調査であぶり出された。
(調査方法はしるされていない。)

・・・小豆島には、月見行事そのものがないのですか?

という問いかけである。

実際、スーちゃんは、生まれ育った
内海町(うちのみちょう、2006年3月から小豆島町となった)の実家で、
母が月見団子を作るのを見たことがないし、
団子がどういう姿・形をしているか、いまなお知らない。
月見団子は、絵本やテレビで見た知識しかないのである。
大変好奇心をそそられたので、
友人・知人にメイルと電話を使って、
アンケートをすることを思い立った。

方法は、次のようである。

アンケ-トの母数は57人、回答率は89.5%。
この内、記憶が曖昧だが、やった痕跡がある。7.8%(4人)
記憶が全く曖昧3.9%(2人)

各地域の出身者をまんべんなく網羅した。
最低でも各地域に一人をたてた。

主として、現在は小豆島以外に居住している
50~60歳台を中心とした男女。

従って現在、行われているかどうかは分からない。
根っことして慣習があるかどうか、を調査対象にした。

詳述は避けるが、ざっくりした結果は以下のようである。

1.やっていないところが殆どであるが、やっているところもある。

・ 月見行事をやらないのは、四国側に面している
内海湾沿岸一帯と西の端に位置する土庄町。
(小豆島全体の62.7%に当たる)

・ 山を越えた向こう、本土側に面する地域も
やっていない ところが多いが、
中にはやっているところもある(全体の25.5%)

2.興味深いことに、やっていない地域でも、母親が
やっていた所の出身なら、 その影響を受け、
すすきや団子を作って供えた家庭もある。
母親が嫁入り先に、
育った地域の習俗を持ち込むということか。

この中秋の名月の満月のもとで、
綱引をしたり(十五夜綱引きという。鹿児島の薩摩半島など)
シーシガウガウという子どもによる獅子舞をやったり(宮古島)
特別な行事のあるところさえあるのに、
月見の行事・慣習自体が無いとは、不思議なことだ。

月の光を浴びると、身体に変調を来たすという俗信は多い。
小豆島でも年寄りから、

「余り十五夜の月を見つめるといけないよ。
気が触れるから」

と、言われた人もいる。

しかし、最も強烈なのは、アノ人ですよ、多分。
普通の平凡な青年が満月になると、
なぜか身体がムズムズして、暴力へ突き動かされる。
この衝動が起きると、全身からけもののような剛毛が生えてきて、
牙も生えて来るアレ!

そう、狼男。人狼伝説の主人公ですよ。

年間12,3回もある満月の度に、身体が変形するのだから、
まわりは、それこそハタ迷惑だが、
当人の身体構造、組成はどこか正常ではなく、
異常度が次第に増せば、
ノーマルな生命活動は早晩、営めなくなる。
年寄りになって、よぼよぼ姿をさらす狼男は、
悲惨というよりは、妖しい雰囲気だが、
いったい医学的に、どの位の余命を残しているのだろうか。

日本では、人狼伝説はなく、満月が不思議な作用を施すとして、
神秘的なレベルで魅せられている人は多い。
月が怪物を創造するという発想はなく、
拝む対象になっている。

スーは、こういうなぜ、に
もっともらしい理由づけをする趣味はもたない。
文化系の各分野からの総合プロジェクトとしては、
評価するが、場当たり的な理由づけは、
素人の知ったかぶりにすぎない。

ともあれ、今年2006年秋の満月は、
10月7日に当たるという。

十五夜の月を見よ~と!

最後に一言、この話は、この島に固有の
与那国島発の昔話として有名なのである。