西表島のこと。
沖縄本島に次いで、二番目に大きな島(289.27k㎡、周囲130.0km)。島のほとんどは、亜熱帯の原生林に覆われている。人口2111人(2004年1月現在)
主な産業は、サトウキビ栽培、畜産という。
世界的にも、この島だけにいるイリオモテヤマネコ(特別天然記念物、普通のイエネコとは別の、ベンガルヤマネコの亜種とされている)の棲息地として著名。
石垣港からの足はフェリーだけである。石垣港から島の北側(西部地区)の船浦港や上原港へは、所用時間35分。島の東側(東部地区)の大原港が最寄りだが、取材の関係で、まず島の北側に向かった。
北側の星立から東部地区の古見[こみ]へは、路線バスで65分。観光スポットの由布島(水牛車に乗って渡島)、日本最南端の温泉として知られる西表島温泉に途中下車したくなり、未練がましくチチチッと眺めながらも、気を引き締めて素通りして、一路古見へ向かった。季節外れのバスには、いつの間にか、乗客はいなくなっていた。ベテランの運転手さんとおしゃべり。
車窓の右側には、灰色の雲が山のいただきにたゆたう古見岳(標高469.7m)がぐっとそびえ、左側には紺色の海が続く。
古見付近に近づくにつれて、引潮の浅瀬にはマングローブ(ハマヒルギ)が、そこここに林立して現れた。
ノミの舟
その日の夜は、コーディネーターの新盛さんの伯母さまの家で、
もう一人の叔母さまの親盛さんから、西表島の昔話を聞くことになった。
子どもの頃、朝、もっと眠りたくて、寝ぼけまなこで目をこすった思い出は、
誰にでもありましたよね。
西表島では、次のような昔話がある。
親盛ヒロ子さん「子どもの頃、家のお婆あは、こんな風に言って、
起こしに来たものでした。
しょっちゅう聞いたんですよ」
そう言って話してくれたのは、奇想天外な面白い起こし方だった。
お婆あ「ノミの舟が、下の浜から沖に出るよお!」
ヒロ子さん「ん? ノミの舟?」
お婆あ「ノミの舟は、豆の皮で出来ているんだよオ。
ノミが漕ぐ櫂[かい]は、藁のしんなの」
子どもは本気にして、だんだん目を覚ます。
お婆あ「ノミは小さいけど、一生懸命漕いで、沖に漕ぎだすんだよオ。
早く起きてみよ」
お婆あ「それにね、ノミは、みんな白い鉢巻をしているの」
(話す親盛さんも、聞き手達も思わず笑う。)
しかも、牛の皮を被らないと、人間にその舟は見えないのよ、
と新盛さん。
(だんだん聞くと、牛の皮を被るのは、どうやら西表島だけで言われていたようだ)
子ども達が慌てて、浜に出て沖を見ても、どんなに目を凝らしても、
ノミの舟は一漕も、影も形も見えなかった。
お婆あは、すまして言ったものだった。
“次は、一番ドリが鳴く前に起きて、見に行くんだよ。
いいか。”
・・・ノミの舟を見た人は、今なお誰もいないんですよ、
と親盛さん。(笑い)
前日の取材地星立に一泊して、星立から古見に着いた昼前、
5月半ばの沖縄は、すでに夏だった。
太陽がじりじりと、真上から降り注ぐ。
激しい喉の渇きのうえに、腹ペコになっていた。
スーは、朝ご飯を食べ損ね、そのままバスに乗ったので、
食物を買うチャンスを失って、朝から何もお腹に入れていない。
どうせ食べ物屋は、どこかにあるはずだ。
飢えたことがない人間は、どこまでも楽天的である。
古見小学校近くのバス停を降りると、
バスの去った一本道が古見のメインストリートであった。
白っぽいアスファルト道は、照り返しがきつい。
100mを歩くと喉がひりつくように渇いてきた。
目についた道端の自販機に飛びついて、
沖縄特産のさんぴん茶を500mlのボトルで買い、
ごくごく、ごくごく一気に飲み干した。
やっとのことで、このあたりで一軒という小さな売店・・・
パンや飲物を少し置いているしもたや風の店を見つけて、飛び込んだ。
いや、上がりがまちに倒れこんだという方が正確だ。
沖縄の取材準備で多忙を極め、
3日前頃からロクな食事を取っていなかった。
これが牙をむいて襲いかかったようだ。
そのとき応対に出たのが、
はからずもノミの舟の語り手、親盛さんであった。
「ど、どうしたんです?」
スー「食事出来るところを探してるんですが、どこにもなくて!」
親盛さんは、穏やかな微笑みを浮かべながら、
「これをどうぞ」と言って、パンを差しだした。
スーは、おかず用にと思って、
よほど慌てていたのか、側の缶ズメを取って買おうとした。
「そ、それって猫カンですが、それでいいの?」
いいえ、スーは人間ですから、ね。
オイル漬けのツナ缶と頂戴したパン。
冷たくうんと冷やしたさんぴん茶をご馳走になって、
すっかり落ち着いた。
すっと幸せな気持ちになった。
親盛さんは、どうしてもパン代を受け取らなかった。
・・・余分にある物ですし、貴女に差し上げた物ですから。
なぜか胸が詰まった。
こんなことがあって、その親盛さんが、
夜の語りの場にお出ましになったものだから、本当にびっくりした。
語りの場でも、昼間と同じように、
穏やかで、沖縄人らしい暖かな語り口であった。