エイ女房
●波照間島のこと
沖縄本島から南西に400km、さらに八重山群島の中心の石垣島から南西に63kmにある波照間島は、平べったい楕円形をした隆起珊瑚礁の島である。
これは飛行機から見ると一目瞭然で、西表島のように山有り谷有りのアクセントがなく、穏やかな地形である。人口595人(2006年4月現在)、3人に一人が65歳以上という離島である。
空路を取ったが、9人乗りプロペラ機に、客はスーを含めて3人(火曜日、金、土、日の週4便運行)。石垣島からの空路所用時間は、20分。往復12000円程度。
珊瑚礁の青い海を真上から覗くと、底まで見えそうに輝き、息を呑むほど美しい。時間が短いのが残念だ。
波照間空港から集落までリムジンはなく、空港に着くと、勝連荘の息子さんが自家用車で出迎えてくれた。サトウキビ畑の間を縫いながら、まっすくに近い未舗装の道を行く。
集落を歩く。
集落はフクギの中にあり、どこにも緑がある。大木となったフクギが、それぞれの民家を取り囲むように植えられている。
十字路が基本の単純な道路なので、迷子になることもない。
公共施設(公民館、郵便局、交番、診療所)のある所が、島の中心で公民館近くに小・中学校、保育園(園児は5人と聞いた。)がある。
立ち寄った雑貨店のおばさんと、黒糖をかじりながら世間話をした。
5月の生温い風が、バナナの葉を揺すって通り過ぎる。眠りたいような南国の昼下がりだ。
おや、太陽が西に傾いたようだ。時計を見ることもないままに、夕闇の気配が足元にゆっくりと訪ずれる。
時間は切れ目なく過ぎ、暗くなれば、夜になっただけなのだ。
贅沢な時間に別れをつげて、スーは伸びをしながら雑貨店を出た。
フクギの夜道、「こわいかしら」と言って、笑われた。
ここは、東京ではないのだ。
フクギの木末から漏れる月の光が美しい。
「エイの話をすると、皆、笑うんだが」
と、勝連の爺ちゃんは、笑いながら次の話をした。
ある人が、と言ってもこれは、
ごく普通の妻のいる漁師だった。
・・・その夜も海に出たが、あんまり釣れなかった。
波照間島の夜の海は、月明りでピカピカ光って美しい。
“もうこれで仕舞いにしよう。”
と思って、糸を垂れた。
重い、ぐいっと引っ張る手ごたえがあった。
やっと引き上げてみると、
それは、大きなエイ(マンタという)だった。
マンタを舟底に座らせていると、
クリクリした目で、漁師をじっと見る。
何が言いたいのかな?
誘うように男を見る目付きは、女の目だった。
男は何ともいえず、押え難い気持ちになった。
思わずエイを抱きかかえると、いっそういとしくなった。
いじらしい!
“自分の腕の中にいるのは、女の子だ。”
漁師は、夢のように酔った。
・・・男は、エイを力いっぱい抱きしめると・・・
わが物にした。
(爺ちゃんの話、「エイの道具は、人間の女のとよく似ていた。
全く同じというワケではないが、ほぼ似ている」)
いくら可愛いと思っても、
魚を家に連れて帰ることは、出来ない。
舟べりから海に放してやった。
それから何年か経って、
男はそのことをすっかり忘れていた。
その晩も、海に出て魚を釣っていた。
すると、海の中からエイの子どもが顔を出して、
「お父さん、お父さん」
と、男を呼んだ。
・・・こんな海の中で、
お父さんと呼ばれるわけがないがなあ。
また、エイの子どもが話しかけた。
「お父さん、私の家に遊びに来て下さい。
お母さんが待っていますから」
腑に落ちないまま、漁師がなおも魚を釣っていると、
エイの子どもは、何回も舟ばたに近寄ってきては、誘った。
「お父さん、お父さん、
一緒に行きましょう。家にお越しください」
男は、ハッとした。
・・・ひょっとするとあの時の・・・
自分が抱いたマンタの子どもだろうか?
す、すると自分の子どもかね?
男「分かった。どうやったら一緒に行けるか?」
エイの子ども「私の背に捕まってください」
そうして着いたのは、壮麗な海中の御殿だった。
あのマンタがニコニコしながら、出迎えた。
竜宮城に来た浦島太郎のように、
“タイやヒラメの舞踊り”に山海の珍味のご馳走がだされた。
母親のマンタが、一生懸命に男をもてなすのだった。
夢のように毎日ご馳走を食べ、楽しく過ごした。
そんなある日、フッとつまらなくなった。
ついに、男はマンタに別れを告げた。
「楽しく過ごさせて貰ったが、もう帰らねばならない。
うちの者も心配しておろうから」
マンタは、一瞬別れをおしんだが、
「これは、竜宮の壺、というものですが」
と言って、土産に壺を差しだした。
それは、壺に向かって欲しいものを願うと、
何でも出してくれる魔法の壺だった。
男は喜んで壺を抱えて戻ってきた。
壺のことを妻には、見せもしないし、何一つ話しなかった。
話せば、細かいことを話しなくてはいけないからね。
喧嘩はしたくなかった。
竜宮の壺を畑に隠しておいた。
昼になると、妻の作った弁当には、箸もつけずに、
次々に壺に向かって好物を願った。
「はい、XXを頼む。次は△△を出してくれ」
魔法の壺は、本当にどんなものでも出してくれた。
男は、毎日のように、弁当をそっくり残して帰ってきた。
美味しくなかったから残すのか、
と妻は腕によりをかけて、さらに美味しい弁当を作った。
しかし、無駄だった。
亭主の弁当箱は、米粒一つ食べた形跡がなかった。
そういう日が何日も続いた。
昼飯を食べないで戻って来る亭主のことを
だんだん不思議に思った。
“いったい弁当の代わりに、何を食べているのだろう?”
そっと畑に行って、物陰から亭主の様子をうかがった。
・・・亭主は、ご馳走をいっぱい並べて、
それを次々に食べていた。
驚いた妻は、思わず大声を挙げて飛び出した。
仰天した亭主は、壺を見られたら大変とばかりに、
吸い込み(アブ)に隠した。
(勝連さん「波照間では、アブとは、畑の排水口のことですよ」)
今もなお、この壺がどこにあるのか、
どこのアブに入っているのか、
皆目、見当がつかない。
波照間の人にとっても、謎となっていて、
探せないままになっている。
今回のと同し話を前に語ってくれた西表さんは、勝連文雄さんから、波照間の学 校に赴任時に聞いたという。
勝連の爺ちゃんは、素泊まりの民宿の主。
昔話は先祖の年寄りから聞いて育った。
取材時88歳だったが、
「人間は働くのが一番大事」と、くるくるとよく働く。
目はしも利くし、身体も丈夫。
口八長、手八長を絵に書いたような元気な爺ちゃんだ。
波照間島では、村議を務め、
島に波照間空港や桟橋、黒糖の製糖工場を誘致したり、
若いときには六面八ぴの有名人だったらしい。
田中角栄に陳情した時、田中氏は
「自分も故郷があり、田舎の苦しみ、切なさはよく分かっています」
と言ったという。
ただね、話を始めたらもう止まらないの。
いえ、民話ではなくて、自分の昔の体験談。
短期間しか滞在できなかったとはいえ、
今録音を聞き直すと、最後の日には、
「民話を話してください。お願いします」
と、立て続けに6回も頼んでいた。
何も聞くことが出来ずに帰ろうとする、涙声のスーを
可哀相に思ったのか、とにもかくにも爺ちゃんが、
本気出して話してくれたのは数話だった。
感謝しながら、ぼちぼち原稿にしたい。
17世紀、薩摩藩の支配下に置かれた琉球王府時代には、
八重山に人頭税制度が敷かれた。
島の納税高の総額が決められ、人頭税を頭割りにしたので、
島の人口が少ないと、それだけ一人の納税負担が大きくなる。
人頭税制度は、20世紀に入ってようやく廃止されたが、
搾取される側から、過酷な暮しを発信した昔話、伝説があり、
他県と比較して異色の生彩を放つ。
爺ちゃんいわく
「・・・それで、若者に刺激を与えて、
早く結婚させて人口を増やす策を取った。
この話は、あったかなかったか知らんが、
性的な刺激を与える話として残ったと思う」
とコメントした。
「島では少年少女の頃から、年寄り達が
“XXには、△△の娘が似合っている。” と、早くから決めていた。
自然にそのような成行きになったものだった」
と、話してくれた。
ところで、皆さんは、マンタのことをご存知ですか?
“早分かりマンタのあれこれ”を、事典風に書いてみよう。
体の下方にコバンザメを付着させている。
●名称 通称マンタ、和名オニイトマキエイ、英名devilfish。
学名Manta Birostris、頭に一対の頭ヒレがあるが、
それをねじって泳ぐ姿が、糸巻きに似ていることから、
名付けられた。
●棲息地 熱帯・亜熱帯の海に広く分布。
●成体は、胸ビレから胸ビレまで、4m以上。
最大9mのもいたという。
記録で残っているのは、6.8m。体重2t。
エイの仲間では最も大きく、海の帝王の貫禄がある。
ダイバー仲間の憧れの魚。
●軟骨で出来た、水平に平べったい体をしている。
広がった胸ビレを羽ばたかせながら、早い速度で泳ぐ。
おとなしい性質で、蟹・えびなどの甲殻類を
流し込むようにして補食する。
マンタの味は、余り良くないらしい。
●雄雌について。
雄は一対の付き出た交尾器(クラスパー)を持っているので、
雌雄の判別は容易につく。卵胎性。