アヤ(おとう)の化物退治

(青森県、津軽)

昔々、ある村に働き者の、
アヤ(子どものいる男の呼び方)が住んでいだったずもな。

語る成田キヌヨさん
語る成田キヌヨさん

ワラハンド(子ども)5人も6人もあって、
ママ食[か]せられねえでいて、
ほんで、冬サなれば、
アヤ、握り飯持って杵[きね]しょって、

“江戸サ稼いでくら”

って出はっていったと。

(次からは全国区の皆様のために、
会話のみ方言の注を入れます)

出かけるときに、

“神様、しばらく留守をしますが、家のことを守って下さい
(しばらく留守すけれども、家の方、守ってケレ)

と、拝んだ。
その年も不作だったので、江戸に行って稼いだ金で、
米、味噌や着物を買うつもりだった。
その家のアッパ(おかあさん)も子どもも皆、
神様を拝んで暮らす人達だった。

昼近くなって、

“そうだ、あのあたりまで行けば、茶店があったな、
旨い味噌汁でも買って、ママ食って出かけよう。”

と思って茶店に行った。
すると、白い髭[ひげ]を生やした爺さまが話かけてきた。

「おとうよ、おまえ、どこへ行っても旨いものに、
それがどんなに旨くても舌を抜かれないようにな
(アヤ、アヤ。おめえな、どこサ行っても、旨えものに舌、抜かされるなよ。)

アヤは、

“ありゃ、何のことだろうか(何のことだべ)。

と思いながらも、礼を言って出た。

次にある所の茶店に入った所、婆さまが出てきた。

「いま、おいしいおつゆを煮ているから、それにしないか?
(大したおつけ煮てらってそれにすっか?)

婆さまは、お茶を出してから、おつゆを持ってきた。
ちょっとなめたら、見たこともない魚の切身が入っていた。

お汁を飲んでみたら、その旨いこと、旨いこと。
そのとき、はっと白髭の爺さまのことを思いだした。

“待てよ、あの爺さまの話、何のことだろうか。
旨いものが出たら、食ってはいけない、とは、このことではないか。
きっとこのことかもしれないな
(何のことだべか。旨えもの出したら、食れねえとはこのことだべか。
きっとこのことかもしれねえな)
。”

足元にやせた白い犬っこが来た。
それに魚を投げてやったところ・・・

うわっ、魚を食ったとたんに、
ごろんと転んで、舌をだらんと出したまま死んでしまったぞ。

アヤは、後も見ずに一目散に逃げだした。

“シロ、シロ。
おれ(ワ)の代わりに、命を落として、申し訳ねえことしたな。”

心の中で詫びた。
その茶店には、婆さまに身をやつした山賊がいて、
旅人を殺しては持ち物を奪っていた、そんな茶店だった。

・・・あの爺さまのお蔭で、命拾いした、
ああ有難い。

また、歩いていると、あの白髭の爺さまがやってきた。
助けて貰った礼を言うと、
爺さまはまた、不思議なことを言った。

「いやいや、そんなこと。旅は気を付けて歩くものだ。
ただな、これからどこサ行っても、
寝るときは座敷のまん中で寝るんだな」

言い終わると、ふっと居なくなった。

ある村に来た。
日が暮れたので、その村に泊まることにした。
どの家もあかり一つつけないで、まっくらだった。
声をかけても返事がない。

・・・どうしたんだろう?

[いぶ]かしく思いながら、村はずれまできた。
村人は大勢集まって、若い娘にきれいな着物を着せて、
長持ちに入れるところだった。

「おやおや、何をしているんですか?(いや、いや、何す所だべ?)

「ここの神社に化物居て、毎年、娘一人ずつ寄進しなければ、
畑が荒されて食い物が無くなるのですよ
(娘一人ずつ寄進させねば、畑も何も荒されて食い物、残らねえ。)

たった一人、村に残った娘の家に白羽の矢が当たって、
いま、みんなで神社に連れて行くところだと、
言いながら泣き出した。

「旅の者だけど村の衆をそんなに苦しめるのは、
神様でも何でもねえ。
きっと何か悪いものがいる」

村人は、口を揃えて

「いままで、沢山の人が(なんた人が)娘の身代りに立ったが、
朝までにみんな食われてしまった。
カラさえ(亡骸さえ)残っていなかった」

「山伏を頼んで拝んで貰ったり、退治してくれる人を探して
立て札を立てて回ったりしたが、誰も退治出来なかった」

と言って止めた。また、

「おめえがもし、娘を助けてくれるなら、
きのこをいっぺ(一杯)お礼にするから」

と言った。

・・・“自分も、化物に食われて死ぬかもしれないが、
有難いはなしだ。”

と思った。

村の人達が苦しんでいるのをみて、知らぬフリは出来ない、と、
娘の身代りになって、娘の着物を着ると長持ちにはいり、
神社に案内してもらった。

大きな神社の奥の方にずんずん入っていった。

白神山地のブナ林
白神山地のブナ林
(写真提供:西目屋村観光企画課)

そこは、大きな部屋だった。
村人に

「隅の方サ、隠れていてください(ケロ)

と言ったときに、ふとあの白髭の爺さまの言葉を思いだした。

・・・はてな、座敷のまん中に寝るように(寝てらぞ)と、言ったな。

真夜中の丑三刻[うしみつどき]
雷のような山鳴りのような音がして、何かがガサゴソとやって来た。
アヤは、あ、コレだな、と思うと、娘の着物を頭からひっかぶって、
丸くなってしんと横たわっていた。

「どこそこの娘、今日、来る晩だな?
来ているんだろう(来てらんねべな)? あれ一人残っているはずだ」

「いや、来ねえんだべ。村は嵐だんべ」

アヤは、

“あ、これは一人じゃねえな。”

と、思った。

化物は、そこらの隅をガラガラ、ガラガラ探した。
いけにえは恐がって、部屋の隅に隠れるとみえて、
化物は隅をあちこち探しているようだった。

「さあ、どこにおる(さ、どこサ居た?)?」

化物は、そう言いながら騒いだ。

と、どこかで、一番鶏が鳴いた。
化物は、

「あれっ、夜が明けるぞ!
明日の晩、また来るとしようよ(また来るべし。)

もう一人が

「踊り踊って別れるか?」

と言ったかと思うと、二人して踊り始めた。

♪あ、コラサン、コラサン、コラサンよ♪
♪こら、“かもすけ”は、来ないだろうな(来ねべや)

長持ちの中で、旅人は、

“ふうん、かもすけって、何だろう。
この化物は、かもすけがおっかないんだな。”

と見当をつけた。
やがて、二番鶏が鳴き三番鶏が鳴くと、
化物はおっきな音を立てていなくなった。

夜が明けて、旅人が神社から降りて来ると、
心配してやって来た村人とばったり出会った。

村人「ホントにおまえさん、どうして命、助かったんだ?
(いや、いや~、おめえ、どうして命助かったきゃ。)

「旅の人も食われてしまったべし。
大変なことした、と話していたズ」

「どこの村の人だろうか、探して謝りに行かねばと相談していたズ」

「無事で生きているって、どういう訳だ、何さまだ」

と、口々に聞いた。

旅人「いや、何さまでもねえ、ただの百姓のおやじだけども」

ほっと胸をなでおろした村人に旅の男は聞いた。

「ここらに、“かもすけ”というもの(かもすけズ)あるか?」

村人は、かもすけ、かもすけと繰り返したが
誰にも分からない。

・・・と、年老いた爺さまが、口を開いた。

爺さま「かもすけというのは動物で、
ここからずっと行った秋田の方に居るんだ
(かもすけズ、けだものでそりゃ、ずっと秋田の方サ、居るズ)

旅人は、かもすけで化物を退治出来るかもしれないから、
今日の晩げまでに連れてきてくれ、と頼んだ。
村人は、

「化物ったって、神様だもの罰サ、当らねえか?」

と、盛んに心配した。

旅人「いいや、人を取って食う神様なんて、どこに居る!
探してほしい
(いやいや、どこに人取って食う神様、あるもんでねえ。探してケロ。)

村の若い者がみんなで、秋田へ行って尋ね歩き、
とうとう“かもすけ”を見つけてきた。
小さなネコみたいな動物だった。

へ~え、こんなのが?

・・・また、真夜中の丑三刻がやってきた。
化物が部屋に入って来ると、踊りだした。

♪コラサン、コラサン、コラサンよ♪
♪こら、かもすけは、来ないだろうな(来ねべや)

旅人は、懐に入れているネコみたいなのを、そっと取り出すと、

「かもすけよ、大きくな~れ、大きくな~れ」

と、唱えながら尻尾から頭へと、逆撫でした。

すると・・・

ネコみたいなのが、
みるみるうちに大きくなって、ぱっと懐から飛びだした。
バッタバッタと、取っ組みあいの音がした。
ギャ~ギャ~いうんだか、キャ~キャ~いうんだか、
ものすごい音がした。

そのうちに外が明るくなってきた。
かもすけは、小さくなって、また懐に戻ってきた。

すっかり部屋が明るくなってよくみると、化物は、

・・・うわわア、尾が12に、ふしも12あるキジと、
尾が9つある山ネコだったんだ。

そんな化け物が、人を食っていたのだった。

旅の人は、お礼をうんと貰って、家に戻った。
それからも山に行くときは、
いつも手を合わせて神様を拝んでから出かけた。

“出かけますが、家を守ってください。”

拝んでふと顔を上げると、
アノ白髭の爺さまが、にこっと笑って神棚にいた。

(成田さんの母上のコメント:いつも神様を拝んでいる人には、内神様が守ってくれる。だからこの人も無事だったと、いうこと。
神様や仏さまを敬いなさい、という話しだ。)

とっちばれ

スーちゃんのコメント



【語り部】 成田キヌヨさん
(昭和7年<1932年>9月生まれ)
【取材日】 2004年5月23日
【場 所】 十和田市、民宿ぽぷり
【紹 介】 佐々木達司氏
【方言指導】 井澤智映子さん((社)青森県観光連盟)
【取 材】 藤井和子

この話の傑作部分は、ネコみたいな動物が、
逆か撫ですると大きくなることである。
スーちゃんは、小豆島高校の先輩で獣医の
塩田尚三氏(70歳、有名製薬会社OB)に、電話してみた。

スー「動物が大きくなって、化物を退治するという民話なのですが、
身体が大きくなったり、
小さくなったりする動物なんて、居るものですか?」

塩田氏「あはは! そんなのがいたら、楽しいですね。
夢のような・・・」

スー「民話でもいいのですが」

塩田氏「ぼくら、現実的な世界にいてね。
獣医仲間にも聞いてみますが、
おそらく聞いたことがないと思うね」

いろいろな民話の中にも、
山んばが和尚と化け比べをして豆粒くらいに小さくなって、
和尚の腹に収まり退治される話はあるが(「三枚のお札」)
もし動物をくすぐったり、こつんとやると大きくなったり、
小さくなるとすれば、突拍子もなく面白い。

本篇のような民話を生む村のたたずまいとは
どのようなものだったのか。
語り部の成田キヌヨさんは、
「暮らすには不便な山奥の村でした」と語ったが、
東京のせわしい現代生活から見ると、古き佳き時代ではないだろうか。

成田さんは、「木の上のあねさま」で書いたように、
津軽の白神山地の下の西目屋村で生まれ育った人である。
村もろとも実家はダムの建設と同時に、
美山湖の湖底に沈んだ。

暗門の滝
暗門の滝
(写真提供:西目屋村観光企画課)

残念ながら、もはや現地を訪ねることが出来ないので、
お話から描いてみよう。
昔話は、母上が夜なべに茅で炭俵を編む時に聞いたという。
祖父(母上の父親)が、
鉱山の仕事で諸国を回っている時に聞いた昔話を、
家に戻ると娘に聞かせたものだ。
また、富山の薬売りを泊めたときにも、お礼に語ったらしい。

祖父は、諸国を回って、
ラッパのついた蓄音器や力士の写真、
美人芸者のブロマイドなどを買っては、土蔵にしまっていた。
200年続いたうちだったので、
母上の実家にはおっきな土蔵が2つあり、そのう
ちの一つにはそういうものがたくさんあった。
子どもには珍しく、手にするのは楽しみだった。

ところが、ある日。
祖父は、7つ8つの女の子二人の手を引きながら、家に戻ってきた。

成田さん「母の八重は明治20年(1887年)生まれですから、
明治26、7年ころでしょうかね」

母上のすぐ上とすぐ下の姉妹として、
弟を含めた実のきょうだい3人と、分け隔てなく育てられたらしい。
どういういわれの子だか、はっきりしない点があっても、
今となってはどうでもよいこと。
もう100年以上も前のことである。

・・・すでにほとんどの人が亡くなり、家自体も無いのですから。

成田さんは、母上を思い出すのか、
遠くをみるような深い眼差しをした。

土蔵の影で鬼ごっこをしたり、ままごとをする女の子達、
雪合戦でけんかする子どもの声。
楽しい思い出の詰まった大家族の暮らしは、
湖底に沈まなければ、今でも続いていたはずだった。
そういうことを念頭に、この昔話は味わって頂きたいと思う。