雪女郎(津軽の雪女)
昔々あったずもな。
昔に山サ、マタギンと行って、その年アふぶいて、
ふぶいて山のクマも何も穫れねしてあったど。
その時に、マタギ小屋にいてなあ、
その年12人行って、サンスケこさえるの忘れていたど。
(全国区の読者のために、会話のみ方言は注で入れます。)
「サンスケがいないと、オレは神様に嫌われるから、
オレ、サンスケをこしらえねば
(サンスケ居ねでこんだんだって、オレ神様に嫌われる。
わ、サンスケ、こさえねばまね。)」
一週間、なんぼ歩いたって、ウサギ一匹獲れなかった。
急いでサンスケをこしらえて、13人のつもりでいた。
その晩げ、山がふぶいて、外は恐ろしい音がした。
「あれっ、何の音だろう?
ただの音でないが
(何の音だべ? ただの音でねえ。)」
・・・と、白い塊が小屋に入って来たな、
と思ったら、それは女[おなご]で、
サンスケの方につつつっとまっすぐ向かった。
サンスケをつかんで、ぎょろっとサンスケを見て、
戸口から消えた。
「あれが、話に聞いている雪女郎でないか
(いやいや、あれが話に聞く雪女郎だじゃ!)」
と、マタギ達は騒いだ。
翌日は、いいあんばいにクマが獲れた。
あまり今年は、深追いしないでもう村に戻ろう、
と相談が決まった。
誰かが
「あれっ、サンスケがいないよ(サンスケが見えね。)」
と言い出した。
戻る準備がそろそろ終りかける頃になっても、
マタギも一人起きてこない。
「どうしたのだろう、
水汲みに出て行ったようでもないが
(いや、どうやったべな? 水汲みに出張ったんでねな。)」
みんなで探していると、水飲み場でサンスケを抱いて、
転んだまま息絶えていた。
だから雪女郎というのは、ふだんは何も害をしないといっても、
間違いを起こせば、このように姿を現す。
父は、
「そういうこと言えば、雪女郎に、聞かれるよ」
とよく言った。
「雪女郎は約束ごとを破れば、とがめだてするものだ」
と教えたものだった。
山の神は、十二様とか十二山の神とも呼ばれる。
この神は、12人の子どもを一度に出産したり
(→「山の神」を参照されたい)、
祭日が12月12日だったり、とかく数字の12と関係が深い。
そのため津軽(ことに西津軽地方)では、
マタギやきこりが山に入るときに、
人をかたどった木の人形を携さえて行った。
そういう習わしが、本篇の背景になっている。
(高橋喜平著、1991年刊)より。
マタギが12人で山に入るときは、
この人形(サンスケと呼ぶ)を持参して、13人という形を取る。
そうしないと、山の神の怒りに触れて、事故に遭ったり、
雪崩に巻き込まれてろくなことが起こらない。
サンスケは身代り人形に過ぎず、奇跡を起こすとか
予言をするなど不思議な力を持っているわけではないが、
“山の神除け”として重要なマスコット(?)であった。
例えば、家族が12人の場合、
家庭内の神棚にサンスケをまつって13人にする。
成田さんによると、サンスケは
家族の一員のように接しられたという。例えば、
「ほら、サンスケ起きろ」
「顔、洗ったか?」
「ごはん食べろ」
など、家族が話しかけて、
“あれしろ、これしろ!”と呼びかけたそうだ。
本篇では、山のマタギ小屋に訪れたのは山の神ではなく、
雪女という昔話になっている。
山で働くマタギにとっては、
山の神も雪女もどちらも剣呑な神格である。
雪女の峻烈な一面が、逆麟に触れると容赦なく
災難を与える山の神と、似通っているからであろうか。
現在、サンスケは「サンスケ人形」として、
弘前市のみやげ物屋で売っていると聞いている。
マタギの世界では、サンスケ自体に、今でも重みがあるのだろうか。