髪剃りキツネ

(秋田県、横手市)

昔むかし、あったけど。
湯沢によ、“神様も仏様もおらなば、信じね。”
という男、いたけど。
したばよ、湯沢に俵淵というお稲荷様があるんだって。
それが、まことに霊験のあらたかなお稲荷さまだったからよ、
そこサ行って、不調法なことなどするこったばよ、
そんま(すぐに)化かされる、
お稲荷さんの側サ行って、小便するとすぐに騙される、
そういう評判なんだけど。

(次からは全国区の皆様の理解のために、
会話のみ方言の注を入れます。)

語る栗谷ミネさん
語る栗谷ミネさん

評判を聞くと、その男は、わざわざ俵淵まで行って、
あろうことかお稲荷さまの側へ行き、小便を垂れたのだった。
その時、お稲荷さまの後ろの方から、キツネがドンと出てきた。
山に入ったと思ったら、
そこから赤ん坊(おぼこ)をおぶった女の人が出てきた。

その女の人は、隣村に嫁に行っていて、実家に戻る、
そういう人だった。
男は、後ろからその女の人のあとをついて行った。

その人が、実家に入るか、入らないかという時、思わず叫んだ。

「その女[おなご]はキツネだ。騙されるなよ
(そのおなごなの、キツネだど。騙されてはいけねど!)」。

側にあった棒を手に取ると、女をばちっとはたいた。
うわっ、打ち所が悪くて、死んでしまったよ!

家の人達も騒いで、大変なことになった。
その男、驚いて(どてんして)しまった。

「うわっ、人を殺してしまった。どうしたらいいか!
(あや、人、殺してしまった! 何としたらよかべ!)

ちょうど運よく、向こうから和尚さんが来た。

「あや、和尚さん、和尚さん。
今、そこで人を殺したのですが、どうしたらよいでしょうか?
(今そこサいて、人、殺してきた。何としたら、よかんべ。)

「うん、これも仏の導きサな、
おれの弟子サなって、その死んだ者の供養すればいいんだ」

「あや、何とまあ、お願いします、弟子にしてください」

また、こんなふうにも言った。

「目を閉じておれ、頭を剃ってやるからな。
我慢しなさい
(まなぐしくっていれ、頭剃ってケルからな。がまんすれよ。)

その男は弟子にしてもらおうと思って、目を閉じて、
じっと和尚さんの前に座った。
和尚さんが懐から、剃刀を取り出して剃り始めた。

痛い! 余りに痛くて、もう我慢できない!

そろっと目を開けてみたら、コレア、いったいどうしたことか!
稲荷様のすぐ側の薮の中に座っていた。
頭は血だらけになってね。

その男、“オレ良く(えぐ)なかったな。”と、思うようになり、
神様も仏様も信じ、
人のいうこともよく聞くいい男になったけど。

とっぴんぱらりのぷう
小町祭り(湯沢市)
小町祭り(湯沢市)
絶世の美女とされる小野の小町の生誕地、湯沢にちなんで、毎年6月に催される。
写真は、七小町の行列風景。

スーちゃんのコメント



【語り部】 栗谷 ミネさん
(大正13年<1924年>1月生まれ)
【取材日】 2003年4月28日
【場 所】 顧客利便施設(横手市)
コーディネーター 黒沢せいこさん
【方言指導】 伊藤純樹氏(秋田県東京事務所)
【取 材】 藤井和子

キツネは、イヌ科の動物(体長70cm、尾長40cmで、
口が長く突き出てとがり、
体毛は、赤黄色で優美な体型)
に過ぎない。
戦前は、草原や低い山づたいの里に住み、
農耕で畑に出る村人は
その姿をよく見かけた動物だったという。
いや江戸時代には、町中にも住んでいたらしい。
今では、犬やネコとちがって、人にはなつかず、
ペットとして飼うのは難しいですよ、というHPすら見かける。

そういうキツネが、民話や俗信の中で、
霊力を持つ妖しい動物とされたり、
稲荷の使い奴[やっこ]とされたのは、なぜだろうか?

稲荷像
稲荷像
(撮影:藤井和子)

江戸時代の書には、キツネの能力を
ランク付けしたものがあるという。
それらは、最高位のキツネの天孤、次にランクされる空孤
三位のは気孤、最下位のを野孤と呼んだ。

天孤、空孤、三位の気孤まで・・・
人の目には見えない。

最上位の天孤は、物事を霊視出来、
最下位の野孤とはあまりにもかけ離れた、
神のような存在である。

空孤・・・地上25m程度の高さを往来し、
巫女や修験道の使いとして、
千里の向こうまで一瞬に飛べる能力を持つ。
空孤は気孤の倍以上の霊能力がある。
人に憑いたりして、たまには悪いこともする。

最下位の野孤は、“とほほ”な存在である。
人前に平気で姿をさらし、人を騙したり化けたりして、
悪いことをどんどんやる。
何しろキツネとしてのプライドが無いのだから、
人から食べ物をかすめ取ったり、
巫女や修験道の下僕となって使い走りさせられるキツネである。

「怪異・きつね百物語」笠間良彦著、1998、雄山閣)

民衆の大多数が農民であった江戸時代に、
庶民が崇めたのは農耕神であった。
稲の豊作を田の神に祈り、秋には収穫を感謝する。
山の神は、収穫を見届けてから山に帰ると信じられていた。
このように、農民を加護してくれるのは農耕神であった。

キツネは、農事が始まる初午頃に姿を現わし、
冬の直前に姿を消す。
こんな類似点を農耕神と関係付けて、
キツネは五穀豊穣に寄与する動物とされたようだ。

それぞれの神様は、自分の威光や霊験を顕わすときに、
それを体現してくれる使い奴を従えていた。
例えば、氏神の狛犬や、熊野神社のカラスなどである。
こういう流れから、キツネが農耕神の
使い奴として、取り立てられたのも自然ななりゆきである。

ここで、稲荷大明神は農耕神である、
と明快に断言しているのは、笠間稲荷のHPである。
稲荷の名門、笠間稲荷神社の考え方に添うならば、
稲荷神のしもべは、キツネであっても不思議ではない。

おそれおおくも稲荷神のしもべたるキツネが、
「髪剃りキツネ」のような化けギツネになるのだろうか?
江戸時代人の知的遊戯(?)は、
上記のようにキツネを4ランクにわけて、
その性能を考え出した。
“人には見えない”という条件づくりも、
うさんくさいが、わかりやすい。

目に見えない上位3種類のキツネの働きは
これは、もはや空想の世界である。
見えない世界なのだから、
人間には具体的に確認できるものは何もない。
天孤から気孤、空孤までは、化けキツネにならない。
いけないことをするキツネは、
ランク付け最下位の野孤が一手に引き受ける羽目になる。
また野狐は、誰にでもわかりやすい。

天孤はまあ悪いことをするのはムリとしても、
空孤は人に憑くくらいだから、ちょっと怪しい。
その下のランクの気孤には、疑心暗鬼になる。
こそっと悪いことをしているかしら。
眼に見えない透明な身体で、
本当は害悪を流しているのだろうか。

透明な身体になって、悪いことをした吉四六さんを思い出す。