幽霊にもらった力こぶ(産女の幽霊)

(山形県南陽市)

昔むかし、ある村の山奥に何と薄気味悪い沼あったんだと。
その沼の側を行くとな、

「もう~し、も~し」

と、気味悪い女の声、聞こえてくるんだと。
だもんだから、幽霊だ、幽霊だって言って
誰も行かなくなったんだと。

(次からは目で追う場合の読み易さを考慮して、
会話の後ろに方言を入れます。)

実家の囲炉裏端で語る渡辺記美子さん
実家の囲炉裏端で語る渡辺記美子さん

あるとき村一番の力持ち、源五右衛門という人が、

「ほんだら、オラ行って退治してくら」

と言って、夕方に出かけて行った。
しばらく沼のほとりにたたずんでいたが、何も聞こえない。

“な~んだ。こら、何にも聞こえない。”

帰りかけたときに、やっぱり沼の底から、

「もう~し、も~し、も~し」

と、女の声が呼びかけてきた。

何ともかぼそい声で、源五右衛門はたまげたが、

「何だ~。何か用か? 出て来いっ」

と沼に向かって叫んだ。
そうすると、沼の中から、赤ん坊を抱いた女が出てきた。

「何、用あんのか?」

産女図(鳥山石燕「画図百鬼夜行」国立国会図書館所蔵)
産女図
(鳥山石燕「画図百鬼夜行」国立国会図書館所蔵)

「私は、この沼で、身投げして死んだ者ですが、
南無阿弥陀仏って百万べん唱えないと、極楽にはゆけません。
一生懸命唱えるのですが、この赤ん坊(おぼこ)が、
途中で泣くのです。
どうか私が南無阿弥陀仏と唱えている間、
子守して頂けませんか?
(おら、この沼サ、身投げて死んだもんだけんども、
南無阿弥陀仏って百万べん唱えないと、極楽サ行かれねえがス。
一生懸命唱えっけんども、このおぼこ、途中で泣くもんだから・・・
どうか南無阿弥陀仏って唱えている間、おぼこ、
子ん守子(子守)してごえ。)

「ああ、そんなことですか(ああ、そげなことか。)

源五右衛門は、その女[おなご]から、赤ん坊を受け取った。

その子の軽いこと、軽いこと。

“こんなに軽い赤ん坊が、世の中にいるかな
(こなな軽っこいおぼこ、世の中サ居ただべか?)

と、思うほど羽みたいに軽い子だった。

その女の人は、沼の方を見ながら、
一生懸命に南無阿弥陀仏を唱え始めた。
何と不思議なことに、一回南無阿弥陀仏と唱える度に、
その赤ん坊はズンと重たくなるんだと。

・・・不思議なこと、あるもんだな。

と、思いながらその赤ん坊を抱いていた。

10万べん、20万べん、30万べん。
・・・何と赤ん坊の重たいことよ。

そう思いながら抱いていた。

40万べん、50万べん、60万べん、になったら、何と泣きだした。

「泣くな、泣くな。
おまえのおっかあ、百万べん唱えないとな、
極楽へ行かれないんだと。
おまえも一緒に、行かねばならないんだからな、泣くな
(百万べん唱えねえとな、極楽サ行かれねえんだと。
おまえも一緒に、行かんなねんだがらな、泣くな)
」。

そう言いながら、赤ん坊をあやした。

70万べん、80万べん、90万べん・・・になると、
重たくて重たくて、足をぐうっとふんばると、土にめり込んだ。
手はもう棒のように突っ張った。

・・・もう少しだ、頑張れ。頑張れよ!

自分に言い聞かせて、それでもしっかりと赤ん坊を抱いていた。

とうとう、女が南無阿弥陀仏を百万べん、唱え終った。

「ありがとうございました。
お蔭さまで、百万べん、唱えることが出来ました」

女は、とてもすがすがしい顔をした。

不思議にも、あれほど重たい赤ん坊を
ひょいと源五右衛門の腕から受け取った。

・・・何と、すごい力持ちだな。

源五右衛門はぶったまげた。
女は、

「いやあ、あなたに、何かお礼に差し上げたいけれど、
何がよろしいか(何、いいべ。)

「いやいや、そなたの力は、大したもんだ。
その力を分けて貰えますかな?」

そう源五右衛門が答えたとたん、
うわわわ・・・女は鬼のような面になった。

おそろしい、おそろしい顔だ!

次に、源五右衛門は胸ぐらを掴まれて、
ポーンと天高く放り上げられた。

ヒヤ~っ!

パーッと放したから、源五右衛門は、
ドサンと地面に叩きつけられて、何も分からなくなった。

しばらく気を失っていたが、はっと目を覚ました。

“世の中、おっかねことあるもんだな。
こんなにおっかないことは、初めてだな
(こだなおっかないこと、おら初めてだ)。”

ひょいと起き上がってみたが、

おや?・・・おらの身体、今までと違うようだ!

試しに、脇にあった大きな石を手でグイと押すと、
今まではビクともしなかったその石が、ぐらぐらっと動いた。

“ああ、おら、素晴らしい力貰った。有難いこと、有難いこと!”

そして思った。

“この力は、幽霊に貰った力だ。
おれ一人のものではない。”

村に帰ると、この力こぶをつかって、
村のために役に立てた。
村人は、源五右衛門の力こぶは大したものだと、
うんと感謝したそうだ。

どんびんと

スーちゃんのコメント



【語り部】 渡辺 記美子さん(昭和15年<1940年>生まれ)
【取材日】 2001年5月4日
【場 所】 渡辺さんの実家(南陽市)
【紹 介】 米鶴酒造社長、梅津伊兵衛氏(山形県、高畠町)
【取 材】 藤井和子

赤ん坊を抱いて現れる幽霊を「産女[うぶめ]という。
出産は、医学の発達していない昔では命がけの女の仕事だった。
産婆さんや親族が力をあわせても、
どうやっても出産時に命を落とす産婦は多かった。
また、そのとき子が道連れになったことも珍しくはなかった。
同様に、産後の肥立ちが悪くて、
我が子のことを気に掛けながら
あの世に旅立った母親も多かったはずである。
そんな後ろ髪を引かれる思いで、
可愛い我が子を残して、あの世に旅立った母親の、
やるせない思いを描いたのが「産女」の民話である。

この幽霊は、池に身投げした母親だと名乗っている。
ここでも、とても人間とは思えない怪しい赤ん坊を連れている。
子育て幽霊(飴買い幽霊)は、死んでなお、
墓の子どもを育てようとする若い母親を描いているが、
本編も同列の子を思う話ともいえる。
ただここでは、死んだ子どもを生き返らせようとはしない。
あの世(後生という)へスムースに行けないので、
誰でもいい、二人で極楽に行けるように助けて欲しいと願っている。
ささやかといえばささやかだ。

枝垂れ桜(南陽市、烏帽子山八幡宮)
枝垂れ桜(南陽市、烏帽子山八幡宮)
石造の大鳥居は、継ぎ目のない一本石としては、日本一を誇る。
(写真提供:南陽市)

そもそも幽霊とは、この世に思いを残して、
心ならずも死んでしまった状態であるから、
怨念の塊である。
このあたりが、道具の化け物や
キツネ、タヌキ、むじなの化け話と違う点である。
彼らは、悪いことやいたずらをたくさんするが、人を恨まない。

そもそも「妖怪通信」の妖怪とは、
人間の心の中に巣食う化け物をも取り扱ってきた。
人は、どんなにきれい事を言っても、
心の奥には、妖怪がうじゃうじゃ生きているものだ。
妖怪とは、河童、やまんばのような、
実在しない面白そうな姿をした化け物ではなく、
実在しても目には見えない
マイナスに向かう心のエネルギーだと思う。

本編の産女は、殺された人が殺人者を恨むのとは違い、
人を恨むのではなくて、
死んでしまった自分の不幸を恨んでいる。
身投げをして命を絶っても、
喜んで死を選んだのではあるまい。
全編一様に流れる一抹の暗さは、
産女の怨念ではないか。

沼の幽霊女は、源五右衛門に力を与えるために、
まず自分にありったけの力を呼び込む。
そのとき、一瞬、鬼の顔になるのは、妖怪として象徴的なことだ。
幽霊として温存していたエネルギーを、
源五右衛門に転換したのか。

話は変わるが、スーちゃんは、
この赤ん坊が再びこの世に蘇生してほしいと思う。
幽霊の母親があの世に連れて行って仕舞ったのだろうか。
赤ん坊だけ生き返ったりすれば、
この昔話の筋はめちゃめちゃになるから・・・
明るいハッピーエンドは、ムリかな。