鳥呑み爺さん
昔むかし、ある山の中に、
お爺さんとお婆さんが住んでただって。
あるきりもなく寒[さぶ]い朝[あさげ]、
お爺さんが水汲みかーどイ(注:川戸、水を汲む場所)、
顔洗いに行ったいば、
そこの切っ株たの上に、
ヒヨンドリが、いちゃ~(一羽)止まって、
寒くてブルブルふれーて(震えて)と~だと。
(こんな調子で語りが始まったのですが、以下では、
目で追うときの容易さを考えて、会話のみ方言にして注を入れます。)
お爺さんはそれを見て、
“まあ、可愛げに、この寒いに~。”
と思って、手の上に捕まえて、息で暖めてやろうと思った。
はあ~っと、息を吹きかけた。
元気になったヒヨドリが、口を開けたお爺さんの口に飛びこんだ。
“あれっ、腹ん中まで入ってしまったぞ(ひっちまっと~!)”
腹がムズムズするから、こ~して腹を見たらね、
と文江さん。
・・・へそから尻尾が突き出ていたんだと
(へそから尾っぽ、つん出いとんだと。)(大笑い)
お爺さんは、
“あれっ、ここに尾が出ているぞ(ま~あ、ここイ尾が出とう!)”
と、そろっと引っ張った。
その時、ヒヨドリが美しい声で鳴いた。
“ピピンピヨドリ、ゴヨウノオタカラ、ピッサ~ヨ”
お爺さんは、びっくりして、
“まあ、こんなことが有るはずがない。”
と思ったが、村に飛んで帰った。
「おれはな、ヒヨドリのように良い声で、鳴けるんだア
(おりゃ~な、ヒヨドリのぐにヒン鳴けるう。)」
と、村中を自慢して触れ歩いた。
「そんじゃ、ホラ、鳴いてみろ、鳴いてみろ」
みんながけしかけると、そうっと隠れて、
手をこうしちゃあね(と、文江さん)、尻尾を引っ張ると、
ますます良い声で鳴いた。
そうこうしているうちに、だんだん評判になって、
噂が江戸のお殿様の耳に入った。
ついに、お殿様はお爺さんを江戸に呼び出した。
お爺さんは、羽織袴[はおりはかま]に威儀を正して、
遠い江戸に向かった。
殿様「おまえは、奈良田のこういう者か?」
爺さん「ははっ、そうでごいす」
殿様「そうしたら、ヒヨンドリと同じように鳴くちゅう話、
耳に入っておるが、早く鳴いてみろ」
お爺さんは、隠れて、鳥の尾っぽを引っ張ると、
今までになく、良い声で鳴いた。
“ピピンピヨドリ、ゴヨウノオタカラ、ピッサ~ヨ”
「今一度、鳴いてみろ」
また、引っ張ると、
“ピピンピヨドリ、ゴヨウノオタカラ、ピッサ~ヨ”
「んん、大した爺さんだなあ(すごい爺さんだちぇ!)」
殿様は、満足のようすで、宝物をトロッコいっぱい授けた。
お爺さんは村に帰ると、宝物をみんなで分けて、
何不自由なく暮らした。
そうして、一生、幸せに暮らしたという話だ
(一生、しゃ~わせに暮らいといただげ~の。)
類話 樋口ハツイさん(新潟県、まつだい町)
取材日 2006年5月25日
ほら話であるが、絵本をみているような、
夢のように楽しい世界である。
鳥を呑みこんで、へそから尻尾が出た。
それを引っ張ると、おナカの鳥が、耳に快い美しい声で鳴く。
新潟県まつだい町では、類話を聞くことが出来た。
語り部の樋口ハツイさんの語りでは、
爺さんが、ポ-ンと腹を一つ叩くと、
腹の中に飛び込んだ鳥(トット)がこんなふうに鳴く。
“あやちょうちょう、こやちょうちょう、
錦さらさら、午後の世盛り、ビビラビー”
ここではへそではなく、腹の中で鳥が鳴く。
また地方によって、鳴き方も違うようだ。
笠井典子氏によれば、口から鳥を丸呑みして、
鳥が歌うのが基本的な形であるが、
意図的に焼き殺すとか、鳥以外のものを腹に入れて、
屁[へ]が歌う話もある。
屁がフシを付けて歌うとは、奇想天外な展開である。
・・・あやちゅうちゅう、錦のおん宝おん宝、助かった。
・・・しじゅうから、からすっぺらぽん、
鴨食てポン、ドジョウ食てポン、喉がこそばゆいチンカンポン。
・・・ひゅうがらぷんぷん、ひゅうがらぷん。
ぴんぴんそこそこにっきりこ、黄金の音も、ピリリャパラリヤプー。
何がなんだか分からない意味不明さ。
こんな歌を屁に歌わせる爺さんの話、という。
(「日本昔話事典」 編者川端豊彦他
(株)弘文堂 昭和52年刊 p663)
本サイト既出の「竹切り爺さん」(島根県)も、
屁が歌う珍しい爺さんの話である。
こちらは、竹林の竹を黙って切る爺さんが、持ち主の長者に
見つかって、音芸(?)を披露して許して貰うのであるが、
・・・錦さらさら五葉の盃、すっぺらぽんのポ~ン。
となっている。
(→「竹切り爺さん」<島根県、隠岐>を参照されたい。)
「鳥呑み爺さん」の話は、
へそを引っ張ると鳥が歌うという単純素朴な話で
(後半は、褒美を貰うサクセス・ストーリーになっている。)、
島根県の「屁降り爺さん」の話の方では、
真似をする慾ばり爺さんも出てきて、はるかに
複雑な内容になっている。
「鳥呑み爺さん」の方が古い成立で、場所は離れているが
「屁降り爺さん」に影響を与えたのではないか、と考えている。