杜若の謡[かきつばたのうたい]
(島根県、松江市)
昔むかし、松江に普門院(観月庵)という古いお寺があった。
その近くにある小豆とぎ橋を、“杜若”を謡いながら歩くと、
よくないことが起こるぞ、と昔から言われていた。
普門院と小豆とぎ橋
ある日のこと、一人の勇気ある侍が、
“そんな馬鹿なことが、あってたまるか!”
と、その杜若を謡って、家に戻った。
自宅の門の前に、美しい女が立っていた。
「主人が、貴方様に渡すようにと申しました」
と、文箱を差しだした。
受け取ると、女はすっと消えてしまった。
杜若(京都、大田神社)
侍が、“何だろう? 不思議なこともあるものだ。”と、
訝しく思いながら、文箱を開けてみると・・・
うわ~、うわ~っ。
侍が目にしたのは、幼いわが子の生首であったっ。
あわてて屋敷に飛び込むと、
客間には、首の無いわが子が転がっていた。
・・・と、そういう話が、伝わっています。
(昭和24年<1949年>2月生まれ)
この民話を小泉八雲は、怪談として
著書の中で紹介している。
小豆とぎ橋という橋の名前は、「小豆とぎ」という妖怪が
橋に棲んでいることを暗示している。
(「小豆とぎとぎ」(鳥取県)、
「才津川の小豆とぎ」(秋田県、田沢湖)を参照されたい)
橋は、この世とあの世との境であり、
あの世への入口として、妖怪変化がうようよ棲息する、
人間には見えない空間だという人もいる
(「妖怪の民俗学」宮田登、岩波書店刊、1985年)。
そんな妖しい空間に潜んでいるのが、
小豆とぎの妖怪である。
彼(彼女)は、謡曲「杜若」の音を聞き分けられる耳を持ち、
生首を侍に届けさせる端女[はしため]を
使い奴[やっこ]として従え、自由に操っている化物だ。
橋を通る人が杜若の謡曲を口ずさむと、
怒ってたたりを与える。
スーちゃんは、濃い紫色の杜若は、
尾形光琳の「燕子花図[かきつばたず]」の一双屏風
(等寸大のレプリカであったが)を勤務先の出版社で、
毎日のように見ることの出来た一時期があった。
金地の地色に群生した杜若は、
いつまで眺めても飽きなかった。
画家のみなぎる気高い迫力がりんりんと伝わり、
“今日もコレで行くぜ。”
と元気をもらったものだった。
むろん4月下旬~5月下旬にかけて咲く現実の紫の杜若は、
いのちそのもの、弱った心をいきいきと慰めてくれたが。
では、この話でいう杜若の謡曲
(室町時代の能作者、世阿弥作)とはどういうものか。
もともとは、そのいわれは、遠く「伊勢物語」に遡るという。
・・・あの、“昔、男在りけり”在原業平の書いた物語だ。
その9段によると、業平が三河(愛知県)の八橋
というところに来ると、杜若が美しく咲いていた。
そこで、か、き、つ、ば、たの5文字を
読み込んだ歌を作った。
か 唐衣[からころも]
き 着つつ馴れにし
つ 妻しあれば、
ば はるばる来ぬる
た 旅をしぞ思う
業平は、当時の恋人であった二条帝の后の
藤原高子を妻と呼び、
彼女の唐衣をこの歌に詠んでいるのだから穏やかではない。
高子の唐衣に触れた思いを
恋人の肌に触れた記憶に重ね合わせ、
人を恋する気持ちを切なく詠んでいる。
こういう細やかな恋心を歌える業平は、苦もなく
女性のハートをわし掴みにした
プレイボーイだっただろうと思う。
さて、後年の世阿弥の謡曲「杜若」は、
「伊勢物語」を下敷として次のように展開する。
(謡曲の全文は、後ろを参照されたい。)
・・・旅の僧が三河の八橋にやってくる。
水辺に杜若が美しく咲いていた。
息を呑むほどの美しさに、じっと見とれていると、
里の娘が通りがかり、
「ここは、古歌にも歌われている杜若の名所です」
という。
業平の歌った「杜若」の古歌を口ずさむ。
むすめは、自分の庵に旅僧をいざなう。
やがて、僧の前に冠と唐衣といういでたちで現れて
(能ですからこのあたりは、様になります。シテ<主役>は
里の娘と杜若の精、ワキ<シテの相手役>は旅僧)、
実は“自分は杜若の精”だと名乗る。
業平が詠んでくれた和歌のおかげで、
草木の身であるが、成仏出来たと言いながら、
夢うつつの中で優雅な舞を舞い、やがて消える。
この「杜若」の謡を聞かせると
“小豆とぎ”の妖怪が怒りだして、
恐ろしい災厄を与え、仕返しをするというわけだ。
じっと橋の下の妖しい空間に潜み、
闇夜を待つ小豆とぎの妖怪。
しかし昼間であっても、
謡曲「杜若」のうたが聞こえると魔性を現す妖怪。
橋の上をうたいながらのしのしと歩く侍、
ここらあたりの情景は、
古都松江の醸し出すいっぷくの妖怪絵のようである。
なお、最後につけたすことが一つ。
「杜若と花菖蒲」は、「ひらめとかれい」のように、
一見しては、見分けるのが難しいものの一つである。
優劣や美醜が付けにくい比喩として、
“いずれあやめか、杜若”という言葉があるが、
そもそもはこの謡、
“似たりや 似たり 杜若 花菖蒲”に由来する、
室町時代からの、歴史ある言葉だという。
なお、杜若、あやめ、花菖蒲の識別は、
水郷佐原水生植物園(佐原市)の助言を受けた。
ここは150万本の花菖蒲で有名で、見頃は6月中旬。
世阿弥の謡曲「杜若」
♪匂ひうつる 菖蒲[あやめ]の蔓[かづら]の
色はいづれ 似たりや 似たり
杜若 花菖蒲 梢[こずえ]に 鳴くは
蝉の唐衣の
袖白妙[そでしろたえ]の 卯の花の雪の
夜も白々と 明くる 東雲[しののめ]の あさ紫の
杜若の 花も 悟りの心開けて
すはや 今こそ 草木国土
悉皆[しっかい]成仏の 御法を得てこそ 失せにけれ♪