横向き地蔵
長崎市内には、不思議な地蔵があることを聞いていたので、早速取材した。
小さな薄暗いお堂に三体の地蔵がおさまっていたが、
まん中の地蔵は首が左を向いたまま。
なぜか?
むかし、むかし。
どろ坊が、ひと仕事してお堂のある矢の平通りを走って逃げてきた。
ふと見ると、谷川を見おろす橋(矢の平橋)のちょっと上の方に、
小さなほこらがあった。
ほの暗い堂内に入るや、「疲れたけん、このへんで休もう」とばかりに、
獲物の詰まった肩の風呂敷包みを
どさっと足下に投げ下ろした。
そのとき、地蔵がじっと自分を見つめているのに気が付いた。
ぎょっ!
あわてて地蔵に話しかけた。
「地蔵さま、すみませんが、見なかったことにしてください」。
手を合わせて拝むどろ坊に地蔵は言った。
「よか、わしは見なかったことにして横を向いておるけん、
おまえも自分のしたことを誰にもしゃべるなよ」
とおっしゃった。
首をさっと左に向けた。
どろ坊は神妙な気持ちになって、
“こん事は人には言えん、おれは善かことしたんでないからのう。”
と、つぶやいた。
それから何年経っても、約束を守って地蔵は横を向いたままでいた。
ところが...
どろ坊は、年が経つにつれて、
自分のしたことを人にしゃべりたくてたまらなくなった。
もうホトボリもさめた頃になって、この男はアノほこらにやってきた。
「地蔵様、まだ横を向いておいでなのですかな。ご苦労なことですのう」
中には、お参りに来ていた人がいた。
この男は、自分のやったことや、
なぜ地蔵が横を向いているのかをペラペラしゃべった。
自分だけが知っていることを自慢したくなったからだ。
また、人の約束を守るえらい地蔵様だとほめたたえた。
(まあ、だいたいが軽メの人間だから、
しゃべりだすと押さえが利かなくなったのでしょう。)
この話を聞かされたのは、
偶然にもどろ坊に入られた当人だったから、たまらない。
「おまえが、おまえが...」
と、顔を真っ赤にして怒鳴りながらえり首をつかんで、
奉行所に突き出した。
多分、地蔵はどろ坊が再びやって来て、
その時には秘密を明かすだろうと考えたに違いない。
それからは、この地蔵は「横向き地蔵」と崇められて、
立派なお堂として祭られるようになったということだ。
長崎市の光源寺(伊良林町)で、「子育て幽霊」の
昔話を取材して、「横向き地蔵」
へ向かうためにタクシーを拾った。
運転手は「横向き地蔵」を知らない。
地味で小さいお堂なのでむろん、観光スポットではない。
もし、お参りする人のために記すと・・・
蛍茶屋から矢の平を通って
愛宕町の方へ登る道が3本に分かれているところ、
矢の平橋の少し上の方の坂の途中、
矢の平通りにあるお堂、である。
5月中半、南国の長崎はもう初夏であった。
さわやかな微風が心地よい。
何しろ坂道の多い長崎市。
道に迷ったりして、汗をふきふき坂を登ると...
ありましたね。
ほこらは、矢の平の地蔵堂保存会会長だった故吉村義光氏が、
改修を呼びかけて奔走し、
現在のようにしっかりした堂宇を建てた。
また吉村氏は、ボランティアとして、生前、掃除や祭りの準備、
訪問者の案内などに尽力した。
(「長崎新聞」より、平成6年月25日付)。
現在は坂井熊男さん(79歳)が、吉村氏の役割を引き継いでいる。
近所に住んでいる坂井さんに案内をお願いした。
堂内に入るには、鍵を開けなくてはならないが、
壊れているのかどうしても鍵がはいらない。
一生懸命試みてくれたが、引き戸はビクとも動かない。
坂井さん「不心得もんが居るけん。あきませんなあ」。
そんなわけで、外からではフラッシュが届かず、
残念なことに写真撮影は失敗した。
横並びに3体の地蔵が鎮座して、
その真ん中に、
顔だけを左に向けた、目指す地蔵がたしかに居た。
見ず知らずの人に、誰にも言えない自分の秘密を
ひょいと漏らす人は結構居る。
そういった心の隙を巧みに活写した話ではないか。
自分のやったことを誰にも話せない、悪行を犯した人間は、
深い悩みをしゃべるために必ずやってくることを
地蔵様はお見通しだったのかもしれない。