人間の始まりと、カジマヤーと

(沖縄県)

昔、ずっと昔、まだ人間がこの世にいなくて
動物と植物だけが共生しているような時代があった。

風車(かじまやー)を持つ阿波根昌栄氏
風車(かじまやー)を持つ阿波根昌栄氏

神様がこれをご覧になって、
人間を造ろう、と思い、
地上に降りて来られた。

土をこねて、人間の姿に似せた
土人形を作り、手始めに、
男女の子ども二体を用意した。

“明日まで乾かして、魂を吹き込もう。
そうしたら生きた人間が生まれるから”

翌朝、神様は、泥人形が壊されていたので、とてもびっくりした。

“仕方が無い、もう一度造ろう”

と、またお造りになって天に戻った。

ところが、驚いたことに翌朝も壊されていた。
そういうことが三度も続いたので、
とうとう腹を立てて、

“こんなことをするのは誰だろう?
誰がこんな悪いことをするのだろう?
今夜はしかと見届けてやろう。”

と、夜中に天から降りてきて、見張っていた。

すると・・・

真夜中頃に、土の中から真っ黒いものがムクムクと現われた。
せっかく造った土人形を叩き割っているではないか。
何か口の中でぶつぶつ言いながら。

「くそ。おれに許しもなく、誰がこんなモノを造るんだ。
何回でも壊してやるぞ!
人形の土はこの土地のもの、この土地の神様はおれなんだ!」

これを聞いた神様は、

「おう、おう、そうであったか。
何の相談もしないで、おまえの土を使ったわしの方が悪かった。
だがね、わしの考えも聞いてくれるか?」

神様は、そう言って、このように説明し始めた。

・・・今、この世には、動物と植物しか居ないので、
人間を造ろうと思う。

続いて、

・・・もし人間を造ったら、
その子どもや孫達が大きくなるまで、土を貸してくれないか。

土の神は頷きながら答えた。

「何の相談もなく、他人の土を使ったふらちなヤツは許せないと、
腹を立てたのでございます。
もし、貸して欲しい、とおっしゃるのなら、
聞かない訳にはゆきますまい」

ちょっと考えて、

「百年間だけですよ」

と、念を押すことは、忘れなかった。

さらに土の神は、こう付け加えた。

「97,8年経ったら、あと少しで百年になるよ、
と人間どもに合図をしますから、
その時には貸した土を戻すように、準備をさせてください」

相談がまとまったので、安心して天の神は人間を造り、
翌日には魂を吹き込んで男女1対の人間が、
初めてこの世に誕生した。

彼らは幼くて、自力では食べ物を探すことが出来ないので、
天の神様は、
月に住んでいるアカナーに命じて餅を造らせ、
天から餅を落とすことにした。

アカナー:キジムナーの弟で、兄に似ず温和しい性格の妖怪。
蟹が大好物。鬼とけんかして、神様に助けられ月に住むようになった。
既出の「アカナーと鬼」の昔話(沖縄 大宜味村)を参照されたい。)

第二次世界大戦前に、
阿波根さんのお爺い、お婆あが歌ってくれた
「アカナーの歌」があり、
この2曲を歌って聞かせて頂いた。後ろに歌詞を付けて置く。

子ども達はこの餅ですくすくと育ち、
次第に大きくなった。
自分の考えを持てる位大きくなると、
恥ずかしさが判るようになり、クバの葉で前を覆って歩いた。

(何だかアダムとイブの創世神話そっくりです。
世界の各地に似た話があるでしょうね)

もっと成長すると、食べ物を貯めるようになった。
二人は、今まで食べ散らしていた餅を大切に、
蓄えることを思い付いた。
蓄えるようになると、もう天から餅は落ちてこなくなり、
沖縄版アダムとイブは、
協力して食べ物を探して歩かなくてはならなくなった。

手製のなぎなたで悪魔を払う。
手製のなぎなたで悪魔を払う。

二人の間には、子どもが生まれ、
やがて孫や曾孫にも恵まれた。
沖縄では、
“年は飛び車”“月は馬の走り”という。
この俚諺[りげん]のように話は早いもので、
若々しかったアダム君とイブ嬢は、
早くも97歳になった。

土を返して欲しいので、
年月を指折り数えて待っていた、
土地の神がさっそくやって来た。

「もう3年したら、
おまえ達はもとの土に返すことになっている。
神様との約束で、百年だけ、土を貸しているからね。よいか」

驚いた二人は、天の神様の所に行って、助けを求めた。
神様は憮然[ぶぜん]としたが、
さすがに神様。
助け船を出して、次のようにおっしゃった。

「そうであったな、確かに約束をした。
・・・そうだ、ワシにいい考えがある。
2,3歳から5つ,6つ位の子どもに化けたらどうかな」

・・・二人して、赤いずきんに赤いちゃんちゃんこを着て、
子どもの誕生日ふうに装って、
子どもになりすまして歩きなさい。
子どもが誕生日に喜んで歩くように。道々をね。

アダンの葉で作ったおもちゃの風車(かじまやー)を手に持つこと、
子や孫、曾孫、一緒に歩きなさい。
みんなで十字路や三叉路や橋の上で踊りなさい。

それを目のあたりにした土地の神は、

“あれっ、あの二人、
確かに97歳だと思ったんだが、まだ、ホンの子どもだな”

と、勘違いした。

スーちゃんのコメント



【語り手】 阿波根[あわごん]昌栄氏
(1921年3月9日生まれ)
【取材日】 2004年5月17日
【場 所】 北谷町、阿波根氏自宅
【取 材】 藤井和子

これが、今に続く
「97歳のカジマヤー(風車)祝い」の由来です。
数え年97歳の老人が旧暦の9月7日に、
赤ん坊の真似をして風車を手に、オープンカーに乗り村中を回る。
行進の行列や鼓笛隊が出て、
村を挙げて盛大に祝賀する、といいます。

カジマヤーのトラック(小浜島)
カジマヤーのトラック(小浜島)
(写真提供 田中佐登子さん)
大城ウシさん(名護市)
大城ウシさん(名護市)
ウシさんは、明治37年7月5日生まれ、満102歳。現在も生存。
美々しい正装に赤いはちまき、顔のお化粧が若々しく印象的だ。
(写真提供 JAおきなわ(北部地区事業本部)

阿波根昌栄氏によると

「交差点のことを“かじまやー”といいます。
三叉路は3つの風車(かじまやー)
四つ辻は四個の風車、というのです。
97歳まで生きたお年寄りは、
“神様になっておられる、神と称えられる御方”
とされて、次のように讃えられます。

★七橋[ななはし]を渡り、七四辻[ななよつじ]越して、
まことカジマヤーは、神のお祝い★

カジマヤーの祝いの席に着いて盃を戴くときの挨拶は、
『あやかりに来ました。あやからせてください』とは、言わないで、
『拝みに来ました。拝ませてください』と挨拶をします。
神様にあやかることは出来ないが、
拝むことは出来るからです」

「アカナーの歌」の歌詞

1 アカナーの歌

これは、お爺い、お婆あが、
阿波根氏が子どもの頃、アカナーの話をする時に、
歌ってくれた歌という。

♪アカナー、アカナーどこへ行く♪
(アカナー、アカナー何処[まーかい]がー)

♪西の海へ蟹取りに♪
(西[いーり]ぬ海かい蟹[がに][とう]いが)

♪慶良間の後へ蟹取りに♪
(慶良間[きらま]ぬ後[くし]かい蟹取が[がにとういが]ー)

♪慶良間の後の古お月♪
(きらまぬ 後[くーし]ぬ古御月[ふるうちちゅー]

意味:天のお月様にはアカナーがいて、
西の海(北谷町の西方にある慶良間島の海)
に行ってカニを取って食べる。
慶良間の海に月が落ちて沈むので、
月が沢山溜っているだろう。
(何と美しい幻想的なシーンでしょうか!)

阿波根氏は

「日が沈むのは、地球が回っているからではなく、
月や太陽が回って慶良間の海に落ちる、
という感じでしょうかな」

と、話した。
それにしても、こころが揺れ始めるような
雄大なわらべ歌である。

2 アカナーの歌

もっと小さな曾孫達は、
アカナーのいる月に向かって、次のように歌った。
そのときには、お爺い、お婆あも一緒になって歌った。

♪お月様、お月様♪
(御月様、御月様[うちちゅーめいさい、うちちゅーめー]

♪大きいお餅、美味しいお餅を 落としてください。♪
(大餅[うふむち]、美味餅[やとうむち][うたび]みそり)

♪馬グリを探してあげますから。♪
(馬ぐるとめーて うさぎやびら)

意味:自分達は小さいから、
はさみがあり、走るのも速い蟹を取ることは出来ません。
その代わり馬のひずめに似た、
かたつむりのような馬グリ(貝)をとってあげましょう。
だからわたし達にも大きな餅、
美味しい餅をくださいな。

阿波根氏は
「月に住んでいるアカナーに、
交換条件を出してお願いしているわけ(笑)
戦前まではよく歌ったが、
今はこちらのアカナーの歌は、余り聞かないですね」
と、語った。