通り池の継子[ままこ]岩
昔、あるところに妻に死なれた男がいた。
男の子が一人残ったので、何とも仕方がなくて後妻を貰った。
後妻は、この子をけっこう可愛がっていたが、
やがて実子が生まれた。
すると、自分の産んだ子の方がだんだんいとしくなってきた。
“人の産んだ子に、この家を継がせてなるものか!”
その思いは、胸の奥から黒雲のように沸き上がってきて、
憎しみが日毎に増していった。
“そうだ、人の産んだこの子を捨てよう。
兄さえ居なくなればいいんだ。”
そのことだけで昼も夜も頭がいっぱいになった。
ある日、二人の子どもを「通り池」に連れていって、
池のそばまでやってきた。
あたりは闇に包まれていた。
(闇夜に魚でも採るつもりだったのでしょうか。
いえ、彼女には恐ろしいたくらみがあったのです。)
兄には、
「こちらに寝なさい」
と池の外側に寝るよう命じ、
兄の横の、池側には、実子に寝るようにいいつけて、
海に降りて行った。
子ども達は、うとうとしかかったが、
弟は背中がでこぼこして気になって眠れない。
「兄ちゃん、こっち、でこぼこしてて、いやだよ」
兄は、
「そうか、じゃこっちはでこぼこしてなくて、上等だから、
代わってあげようね」
二人は入れ替わった。
二人が寝入っている頃を見計らって、母親が戻ってきた。
自分が寝かせたところに、
そのまま子ども達が寝ているはずだった。
・・・池の外側に近づくと、
声もかけずに子どもを抱き上げ、通り池に突き落とした。
その子が、驚いて「助けてっ」と、叫ぶ声についで、
水しぶきの音を背にした。
かまわずに、もう一人の子どもを抱き上げ、走って逃げた。
池側に寝かせた子が実子だと信じていた。
突然、腕に抱いた子が口を利いた。
「お母さん、アノ子(弟)、連れて行かなくていいの?」
継母はびっくりした。
“あ~あ、何ということ!
わが手で自分の子を殺してしまった。”
継子を放り出すと、池の方に向かって走った。
狂ったように実子の名を呼びながら、
通り池に一直線に飛び込んだ。
(1958年3月生まれ。伊良部町教育委員会)
伊良部島は、明和の大津波(明和8年、1771年)で、
今なお佐和田の浜に残された残石や、
有形文化財の魚垣、
渡口の浜(800mものシュガーサンドの砂浜)等、
観光資源に恵まれている。
中でも傑出しているのが、
下地島北西海岸に相並ぶ大小円形の2つの池、
通り池である。
もともとあった鍾乳洞が
海からの波の力で壁面が削られて、
池が出来たという。
石橋をはさんでつながっているようにみえるが、
池の底ではつながっている。
やはりというべきか、当然というべきか、
2006年5月19日、国の名勝・天然記念物に指定された。
名勝と天然記念物とのダブル指定は、
国内でも33年振り、
平成に入ってからは初めてのケースという。
「通り池は、鑑賞上の価値に加え、
形成過程が示す地質学上の価値の高さが認められた」
(沖縄タイムス、2006.5.20付け)。
通り池を取材したのは、日暮れ直前であった。
緯度低い南国沖縄の夜は遅く、
5月半ば、夕方7時20分頃、ようやく夕闇が迫る。
人っ子一人居ない通り池付近は、荒涼としてもの淋しく、
案内役の譜久島さんの足音だけが響く。
そこで聞いたのが、継子岩の昔話である。
継子岩の昔話は、大きい方の池
(外海側、直径75m水深45m)
の出来事であった。
こわごわ通り池をのぞき込む。
コバルトブルーの水は、神秘的な美しさをたたえているが、
引き込まれそうでなにやら不気味な気配がする。
一度落ち込めば、二度と
上がって来られないような深い水の色、
それに切り立った岩肌をみせる側面。
特に小さい池(陸側、直径55m,水深25m)の
切り立った壁面はすご味がある。
「こんな不気味な所に子どもを連れてくるかしら?」
景観が昔話を生むのは不思議なことではないとしても、
それほど、継子を憎んでいたのか。
大きい池が、直径10mの海底洞穴によって
海に通じているため、表層は水だが、
海に通じる下層は海水なのだ。
外海に潜ったまま、大きい池に出られるので、
絶好のダイビング・ポイントとして
ダイバー仲間には有名という。
譜久島さん「池の表面に、突然、ダイバーが
ポカッと浮き上がってきて、
一緒にきた(熊本の)お爺ちゃんは、びっくり仰天したのよ」
と笑った。
予想もしないネッシーをネス湖で見るほどに?
池の手前壁面には数人がたむろ出来るでっぱりがあり、
三線の腕くらべをした。
共鳴の音響効果は大変なものらしい。
日暮れを待って、譜久島一家と夕食にでかけた。
穴場の「サシバの里」のレストランで、
ビュッフェスタイルの夕食を楽しむ。
高校生になりたて、テニス部員の梓ちゃんは、
明日の天気のことで頭がいっぱい。
雨でも練習するかしら、と心配顔で懸念をもらす。
スー「新入生はね、上級生に傘を差しかけながら
一緒に走って練習するのよ。ずぶぬれになるかもね」
真に受けた梓ちゃんは、叫んだ。
「ほ、ほんと! 困ったア」
譜久島家の両親は、下を向いて笑っていた。
両親に何でも話し、自分のことをいっぱい聞いてもらえる
幸福な家族の姿・・・
伊良部島の家族のたたずまいであろうか。
東京では、家族と一緒に夕食のテーブルを囲むことすら
難しい現実がある。