寒戸[さむと]の婆さま
昔あったずもな。
松崎の寒戸って家、あったずが、あるとき、
そこの家の7つ8つになるおなごワラシコいたずもな、
このワラシは、ある冬の寒い日、外サ遊びに行ったまま、
いっこと帰って来ねかったずもな。
赤い緒っこのじょうりっこ履いて、
ややぶっこ(お人形さん)持って遊んでら。
(次からは目で追う場合の読み易さを考慮して、会話文の後ろにだけ
方言の注を入れます。)
この女の子は、暗くなっても帰ってこない。
親類の人達、隣あたりの人達は、それを聞きつけて、
みんなで探した。
「どこへ行ったんだろう、どうなったんだろう?
(どこサ行ったべか? 何じょうになったべ?)」
と、暗くなるまでみんなで探したが、見つけることが出来なかった。
家の前の大きな梨の木があったが、
その根元にその女の子の履いていた赤い緒の付いた草履と、
その側には遊んでいた人形(ややぶっこ)が置いてあった。
人形と草履がここにあるから、この子は何かにさらわれてしまった、
と、そこの家の旦那殿は言った。
その日を命日にして、
人形と草履を形代[かたしろ]に、葬式を出した。
それからというもの毎年、
来る年も来る年も、親類だの隣あたりの人達を招んで、
その子の供養をした。
それから、30年経ったか50年経ったか、分からないけれども、
その日もまたうんと寒い日だった。
親類だの隣あたりの人達を皆招んで、
その子の供養をしていた。
すると、いつどこから来たのか分からないけれど、
白髪頭のボロボロの着物を着て、
擦り切れた草履を履いた婆さまが縁側に来て、座っていた。
“あや~、この婆さまどこから来たべ?
こんな婆さま、見たことねえが!”
と、そこの旦那殿は、縁側に出てきた。
「これこれ、婆さま。おめえどっから来た?」
と、聞いた。
婆さまは「おれか~?」と言った。
「ここの家から、30年前にさらわれた娘だ」
旦那殿「おめえ、いいとこサ帰ってきたな。
みんなでおめえの供養してらとこだから、中に入れ入れ」
と、手を手繰って引っ張ったが、
婆さまは言った。
婆「いやいや、そんなことしていられね」
そしてこんなことを言った。
・・・この家の人達はどうしているか、
親類や隣あたりの人達丈夫でいるか、
一目でいいから、会いたかった。
それを聞いた旦那殿は、
「何たら、きょうだいでねえか、入れ入れ」
しかし、婆さまは、そうしてはいられない、と言った。
・・・この家の人達は達者で、親類や隣あたりの人達も
一向変わりなく、
元気でいるようだから、
自分は何も思い残すことはない。
その日も北風の吹く寒い日だった。
婆さまは
「このまま、おれ帰るから」
そう言うと、風に乗ってどことも知れず、
行ってしまった。
それからというもの、寒戸あたりの人達は、
冷たい風の吹く夕方に、子ども達がいつまでも外で遊んでいると、
「寒戸の婆さま、来るんだぜ」
と、言うんだとさ。
(1923年3月生まれ)
子どもなどが、突然行方不明になり、
村中の人が山などに分け入って探しても
見つからない場合を「神隠し」に遭ったと呼んだ。
現代の失踪事件は、
誘拐事件・自ら旅に出て自殺を図る
行方不明事件・拉致事件等、
社会のひずみやさまざまの利害関係の中に、
因果関係をみることが出来る。
神隠しは、これとは違う天狗や鬼、山んばの出没した、
ゆったりとした時間が流れた時代の話である。
「神隠し」に遭うのは、子どもが多いが、
人間をさらう昔話はいろいろな地方に散見する。
●寺の小僧が天狗にさらわれて、都に飛び、
土産を買ってもらって元の場所に戻る。
(秋田県、取材済み)
●佐渡の女児をさらって、
山んば(女の鬼)は炊事や洗濯にこきつかった
(新庄市、万平魚屋と山んば)。
●鬼が、食べるために女の人をさらう
(新庄市、鬼に食われなかった娘)。
さらうのは、天狗や鬼が多い。
天狗の場合は、鬼のように実利一点張りではなくて、
遊んでいるような雰囲気がある。
2006年5月に、
旧中里村(新潟県、十日町市)の樋口倶吉さん(89歳)宅で、
昔、天狗にさらわれた2件の失踪事件を聞いた。
・・・いづれも男の子であった。
米を量る石の一升枡[ます]の底を斗棒でコンコン叩きながら、
山奥に村総出で探したら、
人間にはとても登れないそそり立つ岩の
てっぺんあたりで見つかった。
大正の初め頃や、大正の終わり頃のことだった。
(詳細は天狗関連の民話で述べたい。)
この場合は、二人とも生還している。
本編の「寒戸の婆さま」は、
ふらりと一度だけ実家に姿を見せた。
神隠しに遭った本人が、自分の意志で戻って来て、
北風に乗ってスッと消えたというくだりは、
もはや人間ではない妖怪のたたずまいを感じる。
遠野では、子どもが夕方遅くまで外で遊んでいると
“寒戸の婆さまが来るぞ!”
と、この妖怪をおそれたらしい。
中里村でも“天狗様がさらいに来るぞ。”と怒られるので、
暗くなるまでは遊ばなかったという。
寒戸の婆さまは、30年の間、
どこでどんな生活をしていたかは、全く語っていない。
異次元の世界に居たと推測されるが、
それはどんな所だろうか?
この婆さまがぼろ布のような格好で戻ってきたことから、
青い鳥の住む国でも、王道楽土でも無さそうだ。
“神隠しに遭ってみたい。”
と、憧れる若者が集まるHPがある。
例えばこんなことを書いている。
●神隠しに遭ってみたい。
そのまま二度と帰ってきたくない。
●(この世から)消えたい。
●自分で行動を起こして、
行方不明になる勇気がないから、
神隠しに遭ってみたい。
●本や映画「学校の怪談」を見て以来、
(神隠し願望とは)長い付き合い。
異界に対して好奇心いっぱいだが、
厭世感の漂うコメントである。
“ 今の自分の住む世界よりはよさそうだ。”という憧れが
書かせるのだろうか。
異界がどういう所か、分からないままで
そんなこと言っていいのオ、と、思いますがね。
本編は、少女が連れ去られる瞬間を見た者はいない、
履いていた草履を揃えたまま居なくなったなど、
「神隠し」のミステリアスなお膳立てが揃っている上に、
婆さまを通して異界をチラリと暗示してもいる。
何よりも、本人、並びに関わりのある
親族の喪失感は、深くて何十年も続くのである。
さまざまな民話を聞いたが、
この話は最高傑作の一つではないか、と思う。
正部家ミヤさんのこと
全国屈指の、遠野を代表する伝承民話の語り部として有名。
遠野はむろん、郡山、会津若松、東京など氏とは全国各地でお会いした。80歳を越えた今も、元気に飛び回っている。
2006年83歳の夏、「私は38歳です。明日は48歳・・・」などと口上して、みんなを笑わす。
実姉の鈴木サツさん(故人、昭和59年度の「NHK東北ふるさと賞」受賞)とともに、幼い頃、遠野の語りの名手、父親の鈴木力松の膝に抱かれて聞いた200話を越える民話を、いつでもどこでも、自由自在に語ることが出来る。
「姉のサツにくっついて1975年頃から物産展など、人前で語るようになった。それまで話したことはなかったが、小さな頃に覚えた話は、ちゃんと記憶に残っていましたね」と言う。
2002年4月、第9回、旅の文化賞受賞(旅の文化研究所主催)
背景は氏が「遠野物語」を書いた柳翁宿(昔話村)