猫股
あったてんがの。
お侍さんが、おっきいおナカの奥さんを連れて、峠を登って行ったと。
奥さんの実家が峠の向こうにあるので、
そこで子どもを産もうと、2人して峠を登っていた。
峠の中程に着くと、奥さんがムシ気立ってきた。
(ハナさん「ムシ気立つは、ハラが痛うなることですよ」)
侍はつい口にした。
「こんな人気の無い山の中で、まあどうしたらいいか!
(コゲなひとけの無い山の中で、まあどうしたらいいろ。)
困った、困った!」
その時、侍の肩をポンポンと叩く者がいた。
後ろを見ると、婆さんが立っていた。
「心配しなさるな。
この峠を下って、いっつ最初の家に、
産婆(取り上げ婆さん)がいるスケに。
そこで頼んでみるといい」
「そうかな。有難とうござんす」
「お侍さんがのう、その婆さんの家へ行って戻ってくるまで、
オレがこの奥さんを看ててやるスケに、
心配しねえでゆっくり行ってくらっしゃい」
侍はドンドンドンドン、ドンドンドンドン峠を下っていった。
とっつきの家へ行ったら、婆さんが顔を出した。
「おれが、取り上げ婆さんだがノシ」
「ああ、そうかの。
まあま、よろしくお願いします」
侍がその婆さんを連れて、峠を駆け上がった。
奥方はいなくなっていた。
奥方に付いていた婆さんも一緒に来た婆さんもいない。
“はて、どうしたろう?”
侍はこうやって、手をかざして、あたりを見回した。
すると、大きな木のてっぺん(てっちょ)で、
奥方の髪の毛をひらひらさせながら、でっかいネコが言った。
「これ、欲しくないか、欲しくないか?」
侍は驚いて刀に手をかけたが、木のてっぺんまで、刀は届かない。
“はて、困った!”
侍はとっさに、峠の下のとっつきの家を思いだした。
助けてもらおう!
すぐに峠をかけおりて、戸をどんどん叩くと、
カッカ(小母さん)が出てきた。
「助けて頂きたい!」
侍は説明した。
「かくかくしかじか」 つまり、
・・・さっきこの家に来た。
出てきた婆さんが取り上げ婆さんと名乗ったので、
峠まで一緒に行った。
峠に居た産月[うみづき]の家内もいなくなったし、
家内に付いていてくれた婆さんも、
連れだって行った婆さんも姿を消してしまった。
木の上で髪をひらひらさせてみせたネコ、
髪を持った大きなネコが居るだけだった。
じっと話を聞いていたカッカは、口を開いた。
「おら家[うち]の婆さんは、
3年前までは、取り上げ婆さんで出かけていた。
この3年というもの(言うろ)、腰が痛いといって、
どこにも出かけません(行かんね。)」
そして、とんでもないことを言い始めた。
「婆さんが、変だなと思うことが度々あります。
寝ている婆さんの所へ、まんまを一杯[いっぺ]持って行っても、
皆食うてしまう。
たまに魚を焼いて持って行くと、
頭から骨まで、ぺろりと食うてしもうて、
皿まできれいになめる。
・・・おら家の婆さんは、ネコではないでしょうかのう。
もしかしたら、取り上げ婆さんだと言った婆さんは、
うちのネコだと思いますのう」
侍はびっくりしたが、峠の奥方を助けねば、と心配でたまらない。
侍は言った。
「そうかの。婆さんがネコかどうか二人で調べてみよう。
おまえさんが婆さんの所へ行って、こう言ったらどうかの。
“良い医者が来たスケに、診て貰っしゃい。”」
そして、カッカ(小母さん)と示し合わせた。
・・・人間なら喜んで起き上がって、診て貰うし、
ネコだったら逃げ出すはずだ。
カッカが布団をめくったとき、窓に飛びついて逃げるなら、
自分が窓の側で刀を構えて待っているから、退治しよう。
カッカは婆さんの寝ている寝床へ近寄った。
カッカ「お婆さん、良いお医者さんが来られたので、
診て貰ったらどうですか?
(ばばあ、えい医者が来らしたが、おめえ、診て貰わさねか?)」
婆「いやいや、オラ医者なんか大嫌いだ。
医者なんか呼ぶな!」
カッカは布団に手を掛けて、
「ばばあ、良いお医者さんが来たから、診て貰うといい
(来たてがね、診てもらわっしゃい。)」
そう言いざま、布団をくるっとまくった。
婆さんは、ネコの姿に早変わり。
パアッと、窓に飛びついた。
窓の外に首を出したところを、侍が刀で切りつけた。
侍がカッカと二人で、寝床を調べると...
ワアッ~、
奥方の腹から出たばかりの、
まだヘソの緒の付いた赤っこが、食われないでいた。
その向こうには、奥方が頭から全部食われて、
骨ばっかりになって、横たわっていた。
その向こうには、人間のだか動物のだか分からない骨が、
ぎっしり折り重なっていた。
このネコは、産婆の婆サを食って、
3年も婆サに化けて、寝床に寝ていたのだった。
カッカは侍に礼を言った。
「お侍さんが来なかったら、この化物を何年飼っていたものか。
しまいには、オレまで食い殺されてしまうところだった。
ありがとうござんした」
猫股は、年を取りすぎたネコが変化を来たして、
妖怪になったものを指す。
10年でこの化物になるとか、40年も生きて
生を全うする直前に猫股になるとか諸説在るが、
人間の目には普通のネコと区別がつかない。
以前に、道下春美氏(島根県波積町)から
妖怪「次第高」の昔話を聞いたときに、
「猫股になったヤツは、自分で襖[ふすま]を開けて、
敷居のまん中を歩く。
普通のネコなら、敷居のへりを歩く」
というネコとの区別を聞いたことがある。
一般に、襖を手を使って開けるネコはいるが、
開けたのを自分で閉めるヤツは、猫股になったものだ。
猫股とは、どんな格好をしているのか。
●非常に大きい。
古典を調べた人によると、
「明月記」(平安時代、藤原定家の日記)では、
「犬のように大きい」とあり、
江戸時代の「寓意草」(1776年より前の記述)では、
これが「かしらより尾の先まで、9尺5寸(2m88cm)もあった」
という途方もない大きさになっている。
(平岩米吉著「猫の歴史と奇話」、1985、動物文学界刊)
(書物に現れたネコとはいえ、体長が3mとは想像を絶します。
虎だってこんなに大きくならないでしょう。)
●尻尾が二股に分れている。
尾が股になっていることから、
ネコの妖怪を猫股と呼ぶようになった。
人を食い殺した大ネコ(江戸時代、寛政の頃)を捕まえたところ、
コイツは1.2mあった。
大黒柱に鎖でギッチリつないで、
見張り人を15人もつけ、何と24時間ベースで見張ったという。
当時の人々がどれほど恐ろしがったか、わかります!
大ネコは、ゆうゆうと居眠りをし、
明らかにタヌキ寝入りを決め込んでいた。
隙あらば逃げようと、ウソ眠りしていたというから、
ボンクラなネコではない。
ときどき薄目を開けると、炯々[けいけい]と光る眼光は、
あたりを払うほど鋭かったらしい。
猫股が恐れられる理由は何か。
葬式などで、死人を奪って
空の彼方に消えたり(「火車」を参照されたい)、
いずれ書きたいが、手ぬぐいを被って踊ったり、
物を言ったり、老人や老女に化けたりする。
そこは、妖怪だから自由自在というわけですね。
これらは民話に散見する猫股の怪異であるが、
手の付けられないほど極悪になったのは、
本編のように人を食い殺す猫股である。
喉笛のあたりをさすってやると、ゴロゴロと喉をならし、
気持ち好さそうに細目になってこちらを見る。
...こんな可愛いペットが、化物になるなんてね。
しかし、そっと後ろから忍び寄って来る、
足音を立てないネコは薄気味悪い。
怪異譚の中では、鋭い爪で仇[かたき]の喉を
グサリとやるんでしょうな、なんて想像する。
ネコが、そんなに大きな爪を持っているはずはない。
鈎爪が武器の、「ジュラシック・パーク」で主役を張った
恐竜ヴェロキラプトルではあるまいに。
人に実害を与えたり、
人を食う化けネコのイメージはなぜ生まれるのか。
犬が、時として、
集団で人を襲う凶暴性を 秘めていることは、誰でも知っている。
嗅覚に優れ、走るのも得意だ。
機能性に優れ、明るく社交的といっていい。
これに比べて、ネコは
集団で行動することは聞いたことがない。
一匹単位で行動する。
隠密裡に行動するような、 こころに含むものがあるような
ホノ暗さがある。
ペットとして飼っているネコの
“プライドの高さがたまらなく好き”という、御仁を知っている。
こういう人は「それに比べて犬はねえ」と、 犬の粗雑さ、
騒々しさをあれこれ言って、 憎々しい目付きになる。
ほんとですよ、あはは!
普通のネコ族は、おとなしく優美だが、
ホノ暗さを拡大して行くと、
化けネコ(猫股)→最後には、人を食う.
にまで、発展するのでしょうか。